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共作小説【白い春~君に贈る歌~】第3章「繋ぎとめるもの、思いとどまらせるもの」②

〈1月10日〉


今日は天気がいい。

海を眺めに行きたいな。

両手を広げて、大きな空を受けとめたい。


「海を眺めていた」のエッセイを読んでから、私のなかで三浦さんがとても近しい存在になっていた。

何せ、彼の人生をすべてタイムバックするかのように、アルバムの曲を片っ端から聞き漁り、彼へ向けた詩まで書いたのだ。

これで心の距離感が近くならないわけはない。

ただし、これはあくまでも一方的な歩み寄りだった。

なぜなら、彼にはエッセイ集を読んだこと、一切伝えていないからだ。

普段の作業療法の時間に、一体どんな顔して言い出せばいいか分からないし、黙ってエッセイ集を読んだことに気分を害するかもしれない。

書いた詩はいつか、何かのタイミングでサプライズで見せるのがいいかもしれない。

それまでは、私の心の中に、大切に閉まっておこう。

そう考えていた。


それに、最近の三浦さんはなんだか忙しそうだ。

何でも、画家の山本さんの作品展を開くのだと張り切っている。

なんとしても素敵な作品展を迎えさせてあげたい、という三浦さんの静かな情熱をひしひしと感じていた。

三浦さんときたら、やっぱり燃え上がるのは芸術方面の案件なのだ。

そのことに、本人はあまり気づいてなさそうなのが不思議なくらいだ。


入院してからというものの、山本さんと私は、時々ラウンジで、珈琲を飲んで語らう習慣ができていた。

仲良くなったきっかけは、同じ担当者の作業療法仲間として、三浦さんが紹介してくれたからだ。

山本さんの第一印象は、芸術家肌の繊細なイメージ。

実際、彼女は画家としての経験が豊富で、沢山の受賞歴があった。

私も素人ながら、ルノワールやモネなど印象派の絵画鑑賞が好きで、美術展が開催される度に早朝から並んでいるタイプだった。

そのため、山本さんの語る画家人生はとても魅力的で、あっという間に彼女の話の虜になった。

いつしか自分にとっても、唯一と言っていいほど、患者同士で楽しく話せる間柄になっていて、いつも彼女との珈琲タイムを楽しみにしている。


そんな山本さんが開く作品展だ。

三浦さんと同じくらい、開催を心待ちにしている自分がいた。

できることなら、作品ごとに感想を詩に書きとめて、いつか自分の詩の作品展もやっちゃおうかな、なんて短絡的なことすら考えていた。


私たち患者が生きていく上で、痛みや未来への不安を忘れ、没頭できるものがあるのは本当に救いだ。

誰かのための詩を書いているとき、自然と身体の痛みが薄れるのを感じる。

グーッと集中している時は、頭と心は使うけれど、そのほかのすべての事は忘れている。

そこにあるのは、伝えたい心と、言葉だけだ。

そんな私の詩が、誰かにとっての光でありたい。

いつもそう、自分に言い聞かせている。



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〈1月18日〉


山本さんの調子が、最近特に悪そうだ。

ここ最近、一気に病状が変化したのか、いっこうにラウンジで見かけなくなってしまったのだ。

看護師の佐々木さんに、

「山本さんは、最近体調悪いのでしょうか?」

と伺っても、

「うん、ちょっとね……」

と言葉を濁すだけで、詳しいことは教えてはくれない。

もちろん、職務上、他の患者の状態をうかつには話せない、ということもあるだろう。

それでも、彼女の芳しくない表情からは、山本さんの病状が悪化していることは明らかに見て取れた。


ああ、山本さんと話すアートの話が恋しい。

彼女とラウンジでお茶する時の主な話題は、もっぱら絵画・詩など芸術の話だった。


油絵の個展を開いた時の話を、感慨深そうに教えてくれた日の山本さんをよく思い出す。

ラウンジにいながら、その目はいつも、どこか遠くを見ていた。

きっと、過去の個展の世界にタイムバックしていたのだろう。

アーティスト型の人には、しばしば見受けられる現象だ。


山本さんは、芸術が人に与える癒しをよくご存知だった。

だから、私が作業療法で詩を創作していることを知って、心から応援してくれていた。

お互いの作業療法の話になると、自然と三浦さんの話が話題に上る。

山本さん曰く、ホスピスで油絵ができずに落ち込んでいたところを、

「水彩画やデッサンをやってみませんか」

と三浦さんが声掛けをしてくれ、彼女が絵を描ける環境を整えてくれたそうだ。

スケッチブックに向き合う隣で、一緒に絵を描いてくれる三浦さんにいつも癒されているという。

「紗良ちゃんぐらい若い時に、三浦先生と出逢いたかったわ」

なんて冗談を言うほど、山本さんにはお茶目なところがあった。

そんな彼女の笑顔を、ここ最近、見れていない。

とても心配だ。



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〈1月20日〉


今日の作業療法での三浦さんは、何か様子がおかしかった。

目が、真っ赤に充血していたのだ。

これは何かあったのかな、と思って、恐る恐る声をかけてみた。

「三浦さん、何かありましたか?」

もちろん、クールな三浦さんのことだ。

正直に答えが返ってくるなんて思っていない。

案の定、

「いや、ちょっと寝不足でして」

という当たり触りのない返答が返って来た。

(またまた。寝不足のときの三浦さんの目はもっと眠そうですって。

いつも見てるんだからそれぐらい気づきますよ。)

とは思ったが、言い出すのはやめておいた。


……もしかして、山本さんのことだろうか?

思いきって聞いてみた。

「三浦さん、山本さんの作品展は無事に開けそうですか?」


すると彼は、視線を窓の外に向けた。

……が、窓の外には車が一台、殺風景に走り抜けていくだけだ。

やや強めの風が吹いているようだが、特段変わった景色は見受けられない。

「……すみません、余計なこと、聞きましたかね。忘れてください」

慌てて謝り、彼から目を逸らした。

詩を書いてみたりはしたけれど、現実世界の三浦さんとの心の距離はまだ遠そうだ。


そんなことを考えて俯いていると、意外な言葉をかけられた。

「上野さんの真っ直ぐなとこ、大事にしてくださいね」

顔を上げると、私にかすかな微笑みを見せてくれる彼がいた。


……三浦さんにとってもこの時間は、少しは気分転換になっているのだろうか。

三浦さんも、山本さんも、どうか心穏やかな日々でありますように。


そうだ、もうすぐバレンタインデーだ。

お疲れ気味の三浦さんを元気づけようと、とっておきのチョコレートをネット注文することにした。



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〈1月30日〉


山本さんが亡くなった。

自分にとっては、一番に話せる患者仲間の死。

同じホスピス内で一緒に暮らしているからか、半ば家族のような親愛の情も湧いてきていたところだった。

段々と衰弱しているであろう山本さんの容体を想像し、自分も他人事とは到底思えず、心が痛んでいた。

苦しんでいる患者仲間のことを考えると、なぜだか私の身体を貫く鈍痛も、より耐えがたいものに感じられる。

それでも、自分まで落ち込んでしまっては、他の看護師さんたちの負担が増えてしまうだろうと、敢えて気丈に振舞っていた。


だが、「死」の現実は重い。

いざ、彼女の「死」を伝えられた瞬間は、ショックのあまり頭が真っ白になってしまった。


山本さんのお誕生日がもうすぐだったのに。

誕生日のたった5日前に息を引き取ってしまうなんて、運命のいたずらか。

色紙にメッセージを書いたけど、きっとご本人が読むことはなかったのだろう。


こんな時、詩ではどのように表現したらよいのだろう。


……ペンを握ってみたが、いっこうに言葉が浮かんでこない。

どうやら、人は本当にショックを受けた時、言葉を失う時があるらしい。

今の私には、山本さんにかけるお別れの言葉も、死に対する気の利いた表現も出てこない。

ただただ、そこに横たわっている「死」という現実があるだけ。


全身に震えを感じる。

背中を貫く鈍痛が増し、得体の知れないブラックホールに吸い込まれそうな焦燥感に駆られる。

過呼吸になりそうになる。


「上野さん、昼食の時間です」

そこへ、佐々木さんが昼食のトレーを持って入ってきて、我に返る。

いけない。私まで、危うく闇に取り込まれそうになっていた。

モードを変えてくれた佐々木さんに感謝だ。

「上野さん、顔色が優れないけど、大丈夫ですか?」

「……大丈夫です。ありがとう」

慌てて笑顔をつくってみせるが、さぞや不格好な微笑みだったろう。


……今日はもう、詩を考えるのはやめておこう。


深いため息をつき、ペンを置く。

窓の外を見ると、人や車が行き交う様子が見え、変わらぬ生活感に少し安心する。

しばらく呼吸を整えた後、心の中で山本さんに話しかけてみる。



山本さん、さようならが言えなくてごめんなさい。

そして、出会ってくれてありがとうございました。

どうぞ安らかに、なんてとてもじゃないけど今は言えないです。

苦しかったですよね。

怖かったですよね。

一人で旅立たせてしまってごめんなさい。

でも、あなたを孤独にはしないから。

私だって、もうすぐおそばに往きます。

その日まで、ちょっとの間だけ絵でも描いて待っていてください。

私はもう少しだけ、こちらの世界での用事を済ませてから往きますから。

あの世に還ったら、一緒に珈琲でも飲んで語らいましょう。

あなたの笑顔が大好きです。

また逢う日まで、どうかお元気で。



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〈2月8日〉


山本さんの死から1週間以上が経つが、まだ実感が湧かない。

心がふわふわと、どこかに浮いているようだ。

ラウンジに行く度に、彼女のお気に入りだった席が空白なのが、嫌というほど目につく。

それにしても、山本さんの死はあまりにも急だった。

口の軽い坂本さんが「うっかり」教えてくれたが、あんなに絵画が大好きな山本さんだったのに、1月半ばからは精神的に不安定になり、一切絵に向き合わなかったという。

芸術が与える癒し、というレベルを越えた、「死」への焦燥感を持ってしまったのだろう。

そして、最後の数日間で容体が急変したらしい。


……私にもいつか突然、その日はやってくるのだろうか。

山本さんの死を悼むべき時期なのに、自分の番はどうなるのだろう、という思いがよぎってしまう自分が浅ましい。

「誰かの幸せのために生きる」なんて大見得切ったけど、この先は誰かに迷惑をかけてばかりの日々かもしれない。

実際、排泄も入浴も一人ではままならない。

慢性的な鈍痛のせいで気分も滅入りがちで、最近の自分は、笑顔が不自然にひきつっている。


自分は、これ以上の痛みに耐えられるだろうか。

山本さんは、最期はどんな気持ちで息を引き取ったのだろう。

死の瞬間、人はどんな思いを持つのだろう。

走馬灯のように人生がフラッシュバックして浮かび上がるというけれど、あれは本当だろうか。

死への疑問は尽きることはない。


段々と弱っていく体の筋力。

上半身の痛みが、朝起きるたびにひどくなっている。

傷みがひどくなり、筋力が弱っているということは、死に近づいていることを意味するのだろう。


……怖くない、と言えば嘘になる。

この世界の馴染みある人たちを置いて、自分だけが違う世界の住人になってしまう日は、やはり怖い。

それでも、亡くなった家族が迎えに来てくれる、という話もある。

体の痛みもおそらく感じなくなるだろう。

悪い話だけではないかもしれない。

くよくよと考えすぎるのは、そろそろやめにしよう。



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〈2月14日〉


かなり前から予約注文していたホワイトチョコが届いた。

ところが、山本さんの死を今でも引きずっており、自分でもビックリするぐらいに精神的に落ちているのを感じていた。


せっかくのバレンタインだけど、気分はまるで上がらない。

ジョン・レノンの曲を流してはみたけれど、逆にしんみりしすぎているかもしれない。

一応、作業療法の時間には三浦さんにチョコを渡し、一緒にチョコを食べることができた。

口数の少ない私に、

「ジョンの『Love』、いい曲ですよね。僕が学生の時に好きだったドラマの挿入歌でも流れていたっけ」

と、珍しく三浦さんの方から話題を振ってくれた。

三浦さんだって、リハビリを担当していた山本さんの死は、相当堪えているだろうに。

そして、せっかくの気遣いにもかかわらず、私の気分が上がりきらないことも、彼にはすぐに見通されてしまった。

我ながら、どうしてこうも表情に出てしまうのだろう。


見かねた三浦さんが私にくれたアドバイスは、人との「距離」についてだった。

「どんなに大切な人にも悲しい出来事にも、一定の距離で付き合っていかなければならないと思うんですよ。

境界線を作ること。

そうでなければ、自分を守ることができなくなって、いつか心が倒れてしまいます」



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作業療法が終わった後も、先ほどの三浦さんの言葉をずっと考えていた。


「どんな大切な人にも一定の距離感で付き合うこと」


三浦さんの仰ることはごもっともだ。

人が生きていく上では、誰かの悲しみに感情移入しすぎると、自分までもが心の痛みを感じてしまい、生きづらくなってしまう。

きっと今まで、人の痛みに共感しすぎてしまった三浦さんだからこそ、実感を持って伝えられる話でもあるだろう。

普段はあまり自分から話さない三浦さんが、こうした話をわざわざしてくださったのだ。

その事自体に大きな優しさを感じたし、心遣いがとても嬉しかった。


ただ、ひとつだけ、どうしても気になってしまう部分があった。

「境界線」、という言葉。

あれからずっと、私の頭の中に「境界線」という言葉が、無限にループしてしまっていた。

自分の心が倒れてしまわないように、人との間に一定の距離を置き、「境界線」を作った方が生きやすい。

……それは、生きている人にとっての対処法ではないのだろうか?

私のように死にゆく者には、「境界線」を作られてしまうと、2度とその人の世界に触れられないように感じてしまう。


生と死の間の「境界線」。

絶対に越えられない、深い溝だ。

エッセイ集を読んでからというもの、三浦さんを近くに感じていたのに、「境界線」という言葉を聞いてから、なんだか胸が痛い。


私が三浦さんに詩を書いていたことは、「境界線」を超えることなのだろうか?

18年前の三浦さんの曲にまで遡って共感して、返歌の形で詩を書いている私は、一体何なのだろうか?

そもそも、三浦さんにはそんなこと頼まれてない。

そして私はもうすぐ、別の「境界線」の向こう側に行ってしまう身だ。

死にゆく私から詩を書かれても、邪魔なだけなのではないか?


……恥ずかしい。なんでこんな事してるんだろう。

三浦さんはこの先も生きていく人で、私とは住む世界が違う人だったのに。

私は何を勘違いしていたのだろう。


……私にとっても、人生最後のバレンタインだろう。

なのに、山本さんを失ったショックと、三浦さんにチョコを渡したい自分とが混在していて、感情がぐちゃぐちゃだ。


……自分は今、何のために生きているんだろう。


三浦さんにとって私は、いつものように死んでいく患者の1人に過ぎないのだろうか。

三浦さんが傷ついて倒れてしまわないように、適度に「境界線」を引いて距離をとるべき存在なのだろうか。


山本さんが自分の絵を引きちぎったという噂を聞いた。

今なら、彼女の気持ちがよく分かる。

私は、日記の1ページに書き留めた「帰る場所」の詩をビリビリに破り捨てたい衝動に駆られていた。


こんなもの、残しておいて何になる!

残された側だって、ただただ迷惑なだけじゃないか!

いくら三浦さんの心の叫びが聞こえたからって、今の彼に私は必要とされてないじゃないか!


……だが、私にはできない。

両手が震え、詩の1ページを、破り捨てることができない。


……ああ、私はこれほどまでに詩に思い入れがあるということなのか。

目頭がじわーっと熱くなり、涙がポロポロ流れる。


「誰かの心の居場所になりたい」だなんて、馬鹿な私だった。

それなのに、詩を破けないなんて、もっともっと大馬鹿者だ。

私は「誰かを助ける」と称して、自分の居場所を探していただけなのかもしれない。


「境界線」の話がショックすぎて、ホワイトチョコの味も覚えていない。

込み上げる涙を押さえられない。

周囲に悟られないように布団を被って、気が済むまですすり泣いた。



……どのくらい泣いていたのだろう。

ふと、三浦さんの言葉が蘇ってきた。


「でも同時に、絶対に自分と繋がっているものが、必ずあると思うんです。

それを見失わずに、心の真ん中に置いてくださいね」


待てよ。

三浦さんは、「境界線」をつくることだけを話していたわけじゃない。


「自分の中に繋がっているものも大事に」


そう仰っていたはずだ。

動揺した自分は、ずいぶんと偏った記憶の仕方をしていたのかもしれない。


……三浦さんの仰っていた、「繋がっているもの」とは、やはりあの話のことだろうか。

私の頭には、彼のある衝撃的なエッセイが浮かんでいた。


胸の動悸が激しくなる。


ベッドサイドにこっそり隠してあるエッセイ集「海を眺めていた」を取り出す。

居ても立ってもいられず、改めて頁を捲った。





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