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フリーのライター・編集者としてうまくやる方法【月刊(本当は週刊だけど)お気楽フリーランスマガジンVol.22】幸せになるには名前を売ろう

上記画像は、九州でもっとも売れている即席めん「うまかっちゃん」です。本当においしいですね、コレ。さて、今回はすいません、関係のない方も多いかとは思いますが、私の本職であるフリーのライター・編集者としてうまくやっていく方法について書きます。

結論としては、「編集者になれ」ということを私は言いたい。理由は、「ライターはいつでもなれるけど、その上にいる編集者はその機会が来ないとなれない」ということだから。

正直、編集者になれば、ライターにもなれるんですよ。編集者というのは、掲載の可否を握る存在なわけで、発注主でもあります。そんな立場であれば「私がライターもやっちゃうか…」なんてこともできる。だから、権限が多い編集者になった方がいい。

今、私は編集者は辞めましたが、まぁ、散々やったのであとはライターとしてのんびり生きるかな…、というスタンスです。ただ、どこかから「編集者をやってください!」と言われればいつでもできますので、やっぱり19年程編集者をやって良かったな、としか思えません。現在ライターをやっている皆様は一回は編集者をやって「商売の上流」を経験すべきだと思います。

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編集者をやり続けた結果、さっさとセミリタイアできて唐津の「虹ノ松原」で自転車走らせる呑気な人生に入ることができました。

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さて、今回、フリーのライター・編集者がガチでどう稼ぐか、という話を書きます。当マガジンは「フリーランス」全般を意図していますが、今回はこの「ライター」「編集者」のフリーランス、ということで書いてみます。職業的に偏る部分もありますが、フリーランスの皆様に当てはまるように普遍的になるように書いてみたいです。

私は47歳で「セミリタイア」という名の「一線から敢えて撤退する」人生を選ぶことができました。それは、23歳で博報堂に入り、27歳で会社を辞め、28歳からフリーライター・編集者になり47歳の今まで働き続けたからです。相当貯金はありますし、その他金融資産もあるため、まぁ、年金も含めれば寿命が来るまではなんとか生きていけるかな……という境地に達しております。

カネ儲けは大事よ

ちょっと今回は、「カネ儲け」について初めて生々しく書くので無料部分はあと少し。

正直、フリーのライター・編集者として一部上場企業のサラリーマンの数倍稼ぐというのは、生半可なことでは達成できません。私自身は2006年8月から2021年1月までの14年間、「年間休日1日」生活でした。2021年1月でネットニュース編集者の仕事を完全に終えられたので今は土日は休めています。

まぁ、世の中にはびこるビジネス書とかは「いかにしてラクに稼ぐか」みたいなことを書いていますが、それはその著者が多分相当才能と運があっただけでしょう。それらがない人間にとっては「ひたすら働く」しかないんですよ。私もそうでした。とにかく労働時間が長かった。

結局、ストックオプションをGETする、とか株式投資でウハウハ、みたいなことでなければ「ひたすら働く」しか金持ちになる道はありません。それは相当なストレスだとは思うものの「これを15年ほど乗り切ればその後はラクになる」という考えを持てば、案外その苦痛な人生も耐えられます。

人間はなぜ生きているのか--かなり根源的な話になってきますが、結論としては「生命を与えられてしまったから仕方ないので生きる」ということになるのではないでしょうか。

そして、仕方なく生きているのであれば、「まぁ、より良い人生を送りたいな。カネはあった方がいいな」ということに行きつくでしょう。この人生観というものについては、抗えません。人は誰しも幸せに生きたいと思う。しかし、カネがなくては幸せになれない。この2つの命題を持って我々は生きているわけです。だったら「いかにして稼ぐか」と「ただ、組織に縛られてクソ同僚・上司のいる環境では働きたくない」という方々がフリーを選ぶわけです。

前置きが長くなりましたが、フリーの編集・ライターで稼ぐにはとにかく「カネを握っている企業からの直発注をGETせよ!」ということになります。これは、たとえば博報堂と仕事をしているのであれば、博報堂からの直発注をGETせよ! ということになります。子会社である「博報堂プロダクツ」からの発注ではなく、「博報堂本体」から仕事を取れ! ということですね。理由は、博報堂から博報堂プロダクツに仕事が降りている段階で、すでにピンハネはされているからです。

ピンハネ業者は極力排除しよう

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