エッセイ連載 第7回「私の、ボクノート……?」
最近テレビをつけたら偶然、歌番組に出演したスキマスイッチがこの曲を歌っていた。
歌い出しはこうだ。
「ボクノート」がリリースされたのは、2006年。ドラえもん映画の主題歌だった。当時14歳の私は、こう思った。
自分の悩みって歌にしていいんだ……!
あまり音楽に詳しい訳ではなかったが、14歳の私がそれまで聞いていた音楽、流行りの曲は、ポジティブで前向きなもの、そして抽象的な歌詞が多かった。そんな中で、この人たちは「自分が曲、書けないよ」ということを堂々と歌っている。曲を作っているスキマスイッチのストーリーが全部歌詞になっている。衝撃だった。
脚本や今書いているようなエッセイなど、文章を書いていると、その難しさにめまいがしそうになる。めまい、目眩、目が眩む。そのような表現になるのは、文字で何かを伝える、表現することの幅の広さを表す。
同じ内容、例えば“好きな人に告白する”という短いシーンを書くのでも、その場所が道なのか、体育館裏なのか、自分の部屋なのか、という場所や時間。男が告白するのか、女か、年齢は?相手は?同性?異性?などの人。ストレートに「好き」と伝えるのか、もっとトリッキーに、実は2人の間にしか分からない好きの合図、キーワードがあってそれに気づくか、などの方法。
そして何より頭を使うのは、セリフ。「好きです」と書くか「つきあってください」と書くか。「すき」にもいろいろな書き方があるし、その前後はどうするのか?などなど。
無限にある選択肢の中から、自分の感性でシチュエーションや言葉を選んでいく。
そのなんと面白くて、果てのないことか。
たくさん書いてみると自分の書き癖や、好きなパターンが分かってきて「これ前と同じだ。もっと捻った方がいい?」と悩むし、捻ったら捻ったで「これ面白いか?」と不安になる。そして、「面白いとは何か」「面白い」「おも、しろい……?」と、おもしろいのゲシュタルト崩壊が起きる。
この選択で、自分の言いたいことがちゃんと伝わるんだろうか?読んだ人はどう思うのかな?
……はっ!これが「ボクノート」じゃん!
と身を持って実感できたのは、大人になってからだった。
何時間机に向かっても、書けないことがある。納得がいかなくて、消してしまった物語もある。そんな自分に落胆し「もうやめる!」と涙した日もあった。
それでもまだ書き続けているのは、私も「ボクノート」のように、この今の悩みやあがきや苦しみが、報われるときが来て欲しいから、なんじゃないかと思う。
最後に、私の好きな部分の歌詞を。
光が差し込む、未来を信じて。
NEXT 8月10日
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