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哲学とは、人々に眼鏡を提供することである


哲学とは世界をより正確に見るため、より正確に理解するために存在するのである。

要は眼鏡である。


度が合っていなかったり、景色が歪んで見える眼鏡は、その都度修正されなければならない。

間違った眼鏡を掛けて自動車を運転したら、事故を起こしたり怪我をしたりする事だろう。

景色が歪んで見える眼鏡を掛けて道路を運転することほど、馬鹿げた行為もあるまい。


間違った眼鏡は、それを受け取った人々を不必要に危険に晒す。



哲学者としての最も愚かな行為は、
自身の作った眼鏡が歪んでいることに気付いていながら、自己保身を目的とした辻褄合わせのためだけに、間違った眼鏡に合わせて現実世界の方を捩じ曲げる努力を何年も続ける事である。




まぁ、その努力は往々にして失敗に終わるのだが。



2024年6月26日(水) 西川智成

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