米国ドラマgleeを見てLGBTQの挑戦

少し古いドラマだが、歌のドラマでダンスドラマだと思ってみた。とにかく楽しいものだと思ってみた。
田舎のハイスクールのgleeというクラブを中心に青春でわちゃわちゃしてる群像劇だった。
コメディを基調としているドラマ
だがアメリカでは日本もそうかも
しれないがハイスクールは性的怒涛が暴れてるときだ。ジェンダーの問題は最初の方から始まる。gleeのメンバーがゲイをカミングアウトをする。そのこは全体的な感じはフェミニンだが女装はしていない。gleeというクラブは部活カースト的に下層階級でさらにゲイということで虐められる。gleeというクラブはまたレズビアンもいる。このドラマで一番インパクトあるがあったところは女のフットボール監督のカミングアウトで生物的には女であるが性自認は男であって性的対象は男であるということだ。ゲイとはひとつの発明だと僕は思ったが性的対象が同性ではあるということでゲイという言葉でまとめたことだ。問題なのはジェンダーはそれだけではおさまらないのだ。問題の核心はフットボール監督の例をだしたがそれは性自認ということである。性自認とは自分はどう感じるかということだと思う。感じるかというと弱いかもしれない。強くそう思うということだ。そうであるところ複雑になる。あたりまえだが他人はどうにもならない。複雑な世界である。僕はこのような人をどうとも言わないがフットボール監督のくだりを見てて目眩をおぼえたが現代のわれわれは様々なジェンダーに寄り添っていくことになる。作品でも理解して寄り添っていた。このドラマは基本的に歌と踊りの作品である。最初僕はこの作品を見るきっかけになったのはジャーニーの「ドンストップビリービン」を歌ってたからだ。楽しいかもと思って見たのである。そして面白くそして興味深かった。ハマったから6シリーズ全部みたのである。とくに好かったのは合唱の楽しさをミュージカル的な楽しさを教えてくれた。得体のしれない設定もありそれは部活カーストのところからあり、なぜかgleeとチアリーディングが対立していて
gleeはいじめられていたりする。ジェンダーの話もしたが中心は音楽だが色んな要素があるドラマだった。とくにジェンダーの話はこのドラマの中心ではないが重要な要素であったと思う。アメリカ社会はこの問題を絶対に無視できない。隠されていた問題であった。
アメリカ社会はいやわれわれもジェンダーの問題はあらためて言うのもおかしい現実である。gleeというドラマはその現実を音楽に乗せて僕らの目の前に乱暴に投げつけられたものだったと思う。


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