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航空保安大学校を受験をした話

 昨今、航空管制官の話が話題に上がっていて、思い出した話があるので、少しその話をば。
 ちなみに、私自身は最終的には、航空保安大学校には進学せず、最終的に某国公立大学に進学し、現在に至る(アバウト)。


お金をもらって行ける学校

 自分がかつて検討したことベースにお話するので、今では少し古いかもしれないが、そこはご勘弁を。
 ここで話題に上げるのは所謂(いわゆる)、高校を卒業してから進学する学校で給料等の名目で行ける学校のこと。
 有名どころで言えば、防衛省管轄の以下学校があるものの、入学してからがとてもハードらしいのと、親の反対もあり、そもそも受けに行かなかった。
・防衛大学校
・防衛医科大学校

 実際に受けに行った学校は以下の学校。
・気象大学校(4年制)
・航空保安大学校(航空電子科・2年制)
 いずれも、卒業してから各地に配属になる。
気象大学校を出てからは各地気象台、航空保安大学校を出てからは国内の各空港に配属され、いずれも、入学以降、国家公務員の身分となる。
 また、気象大学校を卒業すると、学士(大学卒業の資格)がもらえるということもあったせいか、難易度はとても高かった。ざっくり、東大の併願とか、国公立の医学部くらいの難易度はあり、私は完膚なきまでに撃沈した。(当時の学力は、旧帝大の理学部工学部あたりのボーダー前後だったと記憶。ざっくり。)

航空保安大学校受験の話

航空保安大学校とは

 航空保安大学校は、「空の安全を支える航空保安業務の専門家を養成する我が国唯一の教育訓練機関(航空保安大学校ウェブサイトより引用)」で、かつては以下の3つの科で構成されていた。
・航空管制科
・航空情報科
・航空電子科
 ここで言う「航空保安業務」は「航空管制」の他、「各種航空保安無線施設等の整備及び管理運用」が含まれている様子。航空管制科は、航空保安業務のうち前者の業務を遂行する航空管制官を養成し、航空電子科は航空管制技術官と呼ばれる、後者の業務を遂行する職員を養成する課程である。(航空情報科を出ると、運行情報官/管制通信官になれるようであるが、業務そのものがあまりピンときていないので説明は割愛。)
 尚、先に軽く触れた通り、身分は大学校在学中から国家公務員で、給料という形でお金をもらいながら学校に通うことになる。そして卒業後、国内の各空港に配属となる。
 詳細は、下記ウェブサイト参照。

航空保安業務の概要(国土交通省ウェブサイト)

航空保安業務とは
(国土交通省ウェブサイト上のPDFファイル) https://www.mlit.go.jp/common/001417848.pdf

 国土交通省管轄、航空保安大学校の以下のウェブサイトは以下。

 かつてあった高卒→航空管制科のルートは廃止されているらしく、大卒→航空管制科のルート(養成期間は8ヶ月)のみとなっている様子。
 当時は(今も?)、航空保安大学校在学中や、それ以降の進路があまりメジャーでなかったことから、受験当時は以下の本やウェブサイトを参考に、業務のイメージを掴んだ。

◆イカロス出版発行「航空管制官になる本」
 …今は色々本は出ていそうなので、新しめの類書を参照いただくのが良さそう。

◆われら六稜人【第19回】機長が指示を待っている
 …大阪府立北野高校のOBOGが各々自らの進路や経験について執筆しているホームページ。記事が1999年と古いながらも、管制業務の実情(厳しさ)が的確に描かれていて、こちらも何度も読んだ記憶。

航空保安大学校受験の話

 前述の通り、航空保安大学校学生は国家公務員の身分となるので、体裁は国家公務員の採用試験となる。
 一次試験の筆記と、二次試験の面接の末、順位が決定し、上から順番に採用が決まる方式で、辞退者がいれば繰り上がる。また、各科でそれぞれ独自の検査があり、航空電子科では色覚検査(色盲の有無を確認するもの)があった。
 また、航空電子科では、一次試験では、国家3種相当の教養試験と、専門科目試験として数学物理の試験があり、専門科目の比重が高かった(教養:専門=1:2)。航空管制科は向かないと思ったのと、航空情報科はうろ覚えながらも、専門科目に英語があり、英語の点数の比率が高いように見えた。理数が得意で英語を苦手としていた私は、自ずと航空電子科を選択した。当時、家が高台にあり、AMラジオの遠距離受験を行い、ベリカード(受信報告書を放送局に送るともらえるはがき)の収集を行うくらいには無線に興味が向いていたことも、動機の一つだった。(参考:AMラジオは、深夜になると空で電波が反射し、例えば、中部圏にいても、札幌や福岡から電波を受信できるようになる、という特性がある。)
 前情報によると、航空電子科は大体国公立の中位〜上位くらいの学力があれば一次試験は突破できるとのことだったが、確かにそれくらいの手応えではあり、一次試験は通過。二次試験の面接はほとんど覚えていないが、「空の日のイベントはいらっしゃいましたか?」を聞かれたことだけを覚えている。高圧的ではなく、あまり突飛なことも聞かれなかった記憶。
 合格発表は確か11月頃。郵送でも連絡がある、とのことであるが、人事院でも掲示があったことで、折角なので庁舎のある名古屋まで直接見に行った。合格だった。

受験の後の話

 もともと国公立大学を受ける予定でいたものの、このように合格が出たこともあり、もともとあまりない勉強に対する緊張感が、更に失せてしまったのは事実。
 ただ、暇つぶしのネットサーフィンで、航空管制技術周りを調べたところ、某電機メーカーの方が日誌調で空港の無線設備の開発の話をされているホームページを目にした(若干うろ覚え)。海外でも無線の講習をされてような内容が記載されていたこともあり、世界に開かれた、最先端の仕事、の印象を受けた。
 また、別のウェブサイトで、航空管制技術官の方が雪かきをしていた旨を目にした時、航空管制技術官は無線だけでなく、設備の保守関連の仕事は何でもやるのだろうなぁと思った。先述の某電機メーカーの方の話との対比で、無線開発や先端の無線技術に携わるなら電機メーカーに行くべきで、そう考えると大学に行くべきなんだろうなぁ、更に言うと、当時は大学院重点化の話もあり、大学に行くなら大学院に進学し、修士くらいは取っておくべきか、との考えに行き着き、国公立大学の二次試験の受験を前に、人事院に辞退の連絡をした。
 その後、国公立大学には合格し、大学〜大学院の修士を取得。大学、大学院の研究は無線関連を選択し、大学生生活の後半では、給付式の奨学金も得られた。その後、電機メーカーに入社、無線機関連の研究開発に従事。後に第一級陸上無線技術士(一陸)を取得、と当時のイメージとは違う部分はあるものの、概ね、思い通りの経験はできた。はず。就職以降の紆余曲折は、別記事にて。

最後に

 本記事は、給料等をもらって行ける学校、特に航空管制関係の学校を受験した際に調べたこと、考えたことをまとめました。
 受験以降、今日まで、時折ニュースなどで航空管制官が取り沙汰される機会もあり、また、業務遂行の結果、刑事事件に発展してしまうシーンも目にしたりと、数ある職種の中でも責任の重い部類に入ることを実感しています。そのニュースを目にするたびに、時折この受験の話を思い出してはいて、この度、記事にまとめた次第です。
 この受験以降、色々とターニングポイントはあったと思いますが、こちらもそのターニングポイントの一つではあり、あの頃、あの道に進んでいたらどうなっていたか、を考えることも折に触れてあります。
 最後に、受験の話となる都合上、採用や合格の難易度の表記(上位、中位等)が、偏差値やペーパーテストの点数の目線にならざるを得なかった点は、ご了承いただきたいです。

 以上。

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