見出し画像

コージくん②

 前回からコージくんシリーズとして書いてまして、最初に言っときますが今回は長いです。 
 超ひまな時にお読みいただけたらと。
 

 前回話したとおり、そんなこんなでコージくんの保険のお客さんになった訳です。

 それからは同い年で共に熊本でひと花咲かせよう的な仲間になり、たまに飲みに行ったり、
コージくんは紹介のみで営業をしていたので、人を紹介したりしていました。
 というか正確には、コージくんに人をたくさん紹介してくれる人を1人だけ紹介しました。それは僕の母でした。
 この紹介がまさかまさか、士業を捨て保険屋になる、という後の僕の選択に繋がることになりました。

 コージくんから紹介を依頼され、彼の話はきっとかーちゃん達の役にも立つと純粋に思った僕は、母にサラッと話を聞いてみないかと言ってみたのですが、それは世間的に嫌がられる「営業の紹介」だったようで、「絶対会わん」「アンタは騙されとる!」と言われました笑
 さすがに僕もイラッとして、騙されたと思って会え!的になかば強制で会わせた気がします。かーちゃんには絶対刺さる、という自信があったので。
 案の定かーちゃんはコージくんの話に感動し、自分の周りのマダム達を紹介するようになりました。
 僕が実家に帰っては、彼とは分野は違えど同じ志を持って働く友達だといつもしていたのも手伝ってか、かーちゃんは何人もの人をコージくんに紹介し、ときには紹介先の県外にまでついて行ってコージくんのことを心底応援するようになっていきました。

 僕がコージくんと同じ会社で働くようになってから聞いた話ですが、当時コージくんは友達のかーちゃんと付き合ってると言われていたそうです。 ペタジーニですね。

 自分で母にコージくんを応援してくれと頼んではいたものの、ここまで人に応援され、全国各地を飛び回り、新しい出会いを心底楽しんでる。そして、それを応援してる人がめっちゃ楽しそう。なんだこの仕事は、、、と僕はなかば混乱してました。

 その頃の僕はというと、前回書いたとおりの働き方がピークに達しておりました。
 3時間以上立ったまま原稿の不備を指摘される毎日で、朝5時半に出社して休日もほぼ仕事に追われてる。しまいにはジンマシンと闘うのが朝の日課。こんな日々が5年近く続いていました。
 1番きつかった5日連続徹夜した週、3日目の夜にさすがに家に着替えと風呂に帰ってまた会社に戻ってるとき、なんか覚えてるんですけど3:30てクルマの時計が目に入ってきました。
こんな時間かぁと思ったら、意識が、あれ?ん?オレ反対車線にいる?
いやいやいや!!
気づいたら反対車線を運転してました笑
通勤路が田舎でよかったね。

 今から冷静にその時の自分を見ると、僕の器での「ガンバル」という文脈での限界はとうに過ぎていたんだと思います。でも、幸か不幸かその時は自分の心の状況に気づいてなかった。

 だから自分の状況を死ぬほど誰かに言いたい、なんてこともなく、誰にもその状況を話したことはありませんでした。

 そんなとき、なんの機会か忘れましたがコージくんと2人で飲みに行ってて。
 これもどの店のどの席かまで覚えてるんですけど、地下の居酒屋で奥の席に2人でいて、時間も遅く、気づけば僕ら2人だけでした。
 いつもと同じように楽しく飲んでた気がするんですが、なんの流れからか、初めて自分の現状を話したんですね。彼には本音を話したくなるような不思議な能力があるから、僕としては別にツラい話のつもりもなく、普通に話した気がします。
 ふとコージくんを見るとボロッボロ泣いてて。
どしたの💦💦
てこっちがビックリしちゃって。

泣きながらなんか怒ってて笑
お前スゲエって。
誰がなんと言おうとスゲエ、スゲエからって言って泣くんですよ。
 それ見てなんか5年くらいの間、僕の外にでることのなかった何かが決壊しちゃって、もうビックリするぐらい涙が出て。

 しばらく2人で泣いてたと思います笑

 彼が泣いてくれたから、あ、オレ超キツかったんだってことに気づくことができました。
 それくらい自分の心の状態って意外に気づかないものだってことも知れました。
 
 
 こんな感じで書くと、僕がものすごくキツい環境にいて、そんな環境だったり師匠のマネジメントが良くないってことが言いたいようなトーンに聞こえちゃったかもしれませんが、そんなことは全く思ってません。
 僕は師匠からいただいた教育に今も心から感謝しかありませんし、鬼のように時間を割かせてしまったことには申し訳なさでいっぱいです。。
 今でも師匠にはたまに時間をいただいてはお酒を飲みながら色々と教えをいただいてて、最も尊敬する方です。

 言いたかったことは、僕をキツくさせちゃってた原因は僕自身にある、という事です。当たり前ですが。
 僕は自分の本当の願望と向き合わずに、努力が目的化してた。結果自分の首を自分でしめていたし、超絶真剣に育てていただいた師匠の時間まで奪っていたわけです。
 こんな自分にも周りにも良くない状況にいるのって僕だけじゃないんじゃないか。そう思ったから僕に起こったことを敢えて詳しく書かせていただきました。

 具体的に僕をキツくしてたのは、周りによく見られたい、そればかりを気にして自分に向いていない道を選択し、ひたすら努力すればいつか報われる、と無思考に毎日を生きていた点です。

 僕はいわゆるエリート校を卒業し三大難関国家資格を取れば明るい未来が拓ける、とどこかで思っていたんだと思います。
 もちろん難しい学校や資格の道を目指すことを否定している訳では全くありません。そこを目指す理由が大事だよねという話です。
 僕に関して言えば、人に良く見られそうというブランド志向のみで選んでしまっていました。
 もちろん何か目指すきっかけなんて、カッコイイとかモテたいとかそんなもんで全然良いと思うんですが、「それ自体が好き、楽しい」がないとかなりツラくなってくると身をもって感じることができました。
 
 ただ、僕の幸運はコージくんと出会えたこと以外にも、自分の働く分野の中でも最も輝いてる人(師匠)を見れたことです。
 師匠は心底この仕事が好きだということが伝わってくる。こんな楽しみながら夢中で取り組む人にはこの分野で一生勝てないとちゃんと思えました。
 自分も心底楽しめる分野を探したほうがいいと5年もかかりましたが気づくことができました。

 その勘は当たっていました。他人からどう見られるかではなく素の自分で考えたとき、僕は人との出会いがなによりワクワクします。それは今なお変わりません。
 コージくんやその周りで応援してる僕の母を見ていてワクワクが抑えられないってことは、きっと僕もコージくんのように営業の仕事を心底楽しめるはずだと思いまして、ほんとに単純ですが直感を信じて保険の営業マンになりました笑
 案の定周りからは難関資格を捨てて保険屋?とポカンとされたり、営業先のアテはあるのかと心配されたり、転職先のセンパイからは勉強だけやってきたボッチャンが結果出せるような甘い世界じゃないよとあしらわれたり、、色んな声をいただきました笑
 でも心の声に正直に生きた結果、僕は入社1年目同期で全国1位になれて、あんなに仕事ができなかったのが仕事上の結果も出ましたし、なによりツラい毎日に追われるんじゃなくて、心底ワクワクしながら明日を追いかけるように生きれるようになれました。

 僕がこんな風に生きれるきっかけをくれたのは間違いなくコージくんです。

 彼が僕に、同い年で超楽しみながら働く姿を見せてくれたから、あの時一緒に泣いてくれたから、そしてそこから同じ会社で一緒に走ってくれたから、
僕は、自分は自分で居ていいんだと心から思えるようになれたんだと思います。

 「あなたはあなたのままで素晴らしい」

 これが僕らが事業を通して世の中に訴求していきたいことです。
 こういうとちょっとモノモノしいですが、
 「多数派とは違うかもだけど、そんなあなたらしい選択にも寛容な世の中でもいんじゃね?」
 こんな感じで思ってます。

 vettäに関してもやりたいのはサウナではない。値段が高い、時間が長い、食事もついてる。しかも流行りの無人スタイルではなくコミュニケーションにこだわりたいと思っている。

 今あるサウナと色々と逆をやってるのは、北海道のサウナ施設で体験した、大切な人とただただゆったりと過ごすことや、泊まり先の主人とカウンターごしに語らうっていう時間の使い方に感動して、こんな時間の過ごし方の提案があってもいんじゃね?と思ったから。
そして、そこには自分達と同じように「自分の感覚にもう少しだけ素直に生きたい」って人達が集まって来てくれるんじゃないかと思ったから。

 この先、そんな施設や事業をコージくん達とつくっていけたらと思っています。
 
 ほんとに長くなりました。

 ひと言でいえば、
 コージくん、俺に働く新しい景色を見せてくれてほんとにありがとう。
 
 では、また次回。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?