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「明るい」私というスイッチ

昨日もまた言われた。

「Nakaさんって、元気な子に見える。」って。

確かに、はたから見たらハキハキ喋るし、口調も明るくて、ニコニコしているから無理はない。

ただ、個人的にはこの言葉は複雑である。
だって、誰かと一緒にいる私と、ひとりの時の私はまるで違うんだもの。


誰かといるときの私は、まぁ上で述べた通りだ。
ニコニコしてて明るい子。

だから過去にも、
「病むことなさそう」とか、
「情緒が安定して見える」とか、
「明るくていいね」とか…
そんなことを言われてきた。

ただいつも感じるのは、この私はどこかでスイッチが入った私ということだ。

一人でいる私は、違う。
内気で、ネガティブな思考が頭をグルグルするし、無性に泣きたくなって部屋で大泣きすることだってある。女子の日前は、イライラが止まらなくて物をぶん投げることだってあるし、そんな自分に嫌気がさしてまた泣き出したりする。
まぁもちろん、ウキウキな気分で機嫌がいいときもあるけど、だいたいは何かしらのことを考えていて、ストレスを抱えていることも多い気がする。


でも、誰かと一緒にいる時って、不思議とそのネガティブな感情が制限される。というか、ほぼ無くなる。もちろん一緒にいて楽しいというのはあると思うが、心のどこかで負の感情は出してはいけないと、勝手に制御しているのかもしれない。
いや、もちろん傷つくこととかムカつくこととかあるときはある。だけれども、それを表に出さない。出せない。


この「ニコニコしてて明るい」私は、おそらく私が社会の中で生き抜くために見つけたひとつの手段である。

というのも、私にも感情に素直だったり、ネガティブが表に出て愛想がちょっと欠けたりしていた時代もあったのだが、その頃って人間関係とか特に上手くいかなかった。
いろんな人に嫌われたり、悪口まで言われたり、とにかく生活が穏やかじゃない日々が続いた。

だから、人に素直に受け入れられたいがために何年も自分の性格を試行錯誤していた。その間も、トライアンドエラーで失敗することもあったから、高校までは少なくとも穏やかな日常ではなかった。今振り返ってみると、そんな感じ。


そうやって手に入れた明るい私は、今ではもう自分に馴染んでいる。「明るい」私というスイッチが入ることで、友達と楽しく遊べて、おしゃべりも弾んで、最近はむしろこの私が好きになってきている。

でも、明るい私が好きでも、もちろんそれが全てではないから、単純に「明るくて元気で素敵」と言われても、すごく複雑なのである。スイッチが入ってるから、他人から見て内気でネガティブな私に気づかないのは仕方ないのかもしれないけれど、どこかで、実際の私はそうじゃないよ〜と思ってしまう。

これってわがままなのかな?
「明るい」私は、社会を生き抜く術として長年構築されてきたから、それは変わらないと思うけど、それでもやっぱりネガティブな面も知ってほしいみたいな。



まぁ、こう考えたところで「ネガティブな面もさらけ出していこう」とは到底思わないから、きっとこの自分の中の二項対立は続くんだろうなぁと思う。できても、ほんとに心を許した人にしかできないだろうな。ギャップを埋められたら楽なんだろうけど、今の私には難しい。

だからこそ意識したいのは、ひとりの時の内気でネガティブな私もこれから好きになっていけたらいいよね、って話。こんなこと言っても、これはこれでとんでもない理想論っぽいと私は感じてしまうのだが、実はひそかな目標のひとつ。

だれかといる時の私とひとりの時の私は、まるで別人かのようにギャップがあるけれど、そのどちらもこれまでの人生(と言っても20年ちょっとだけど)の中で作り上げられてきた確かな私だから、ちゃんと大事にしてあげたいって思う。スイッチのON/Offはあるかもしれないけれど、どちらかが虚像なわけではなくて、どちらもほんとうの私であるはずだから。ネガティブな私だって、その瞬間も一生懸命生きてるんだから、肯定してあげたいなっていうお気持ち。


なんていうか、決意表明みたいになってしまった。
でも、ほんとに思ってるよ?

私のことを1番知ってるのは私なんだから、私が1番に自分のことを愛してあげなくちゃね。


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