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小林麻央さんに学ぶ、幸せになれる人生の選択

「幸せに死にたい」誰もがそう思うが、自分の死に方を決められない人は多 い。それは生きている間に自分に正直な選択をしてこなかったり、死に方を考えていないため、死に際になってもその判断ができないのかもしれない。最後に「愛してる」と言って自宅で亡くなった小林麻央さんの人生から幸せになれる人生の選択方法を考える。

若くして亡くなった小林麻央さん

フリーアナウンサーやタレントとしても活躍し、歌舞伎俳優・市川團十郎(前:市川海老蔵)の妻でもあった小林麻央さんが2017年6月、乳癌で亡くなった。34歳だった。

若い人の癌は進行も早く、痛みを伴いやすいため、末期状態の患者さんに対して鎮静剤を使うこともあるそうだ。しかし、この鎮静剤を使うと痛みが和らぐ代わりに浅い眠りが続くようになり、本当に静かになってしまう。喋れなくなるのだ。

病気の進行と治療

小林麻央さんが亡くなった後、姉の麻耶さんが「麻央は標準治療を受けたがっていたが、夫の海老蔵さんが選んだ気功師を使っており、適切な治療が受けられなかった」と暴露に近い形で公にした。麻耶さん自身も過労で倒れてしまうほど、積極的に看病していたようだが、それは思うような治療が受けられなかったことも原因かもしれない。姉の無念は強いと思う。

しかし、本当にそうだったのだろうか。海老蔵さんによると、亡くなる1ヶ月前に自宅療養に切替え、海老蔵さんの帰宅を待っていたかのように息を引き取ったという。麻央さんの最後の言葉は「愛してる」だったそうだ。私はここに麻央さんの人生の幸せの選択が全て詰まっていると思う。

「小林麻央」という生き方

少なくとも麻央さんはいくつもの治療方法から最適な治療方法を選んでいるはずだ。それが海老蔵さんの選んだ気功師であっても別に不思議ではない。なぜなら最後まで自分の意思を持って言葉にして伝えることは、麻央さんにとっての最大の幸せだったと思えるからだ。彼女の幸せの選択は大きく3つあると私は考えている。1つはフリーアナウンサーになったこと、2つめは市川海老蔵さんと結婚したこと、3つ目は病気と向き合い、死に方を選択したこと。

仕事の選択

彼女は「人前でキレイに話してみたい、いろんな人に会いたい」というのが夢で、フリー アナウンサーとして仕事をしていた。ニュースキャスターとしてだけでなく、その取材先で行った国々の支援活動までし、それを人々に伝えていた。私は、麻央さんの強さは、ただ与えられた原稿を読むだけではなく、自分の気づきを伝えられることにあると思う。それは彼女自身の魅力にもなっているし、何より自分のやりたいことに素直だ。そんな彼女にとって、仕事は一番の幸せだっただろう。

人生のパートナーの選択

一方でプライベートでは海老蔵さんと交際してからわずか半年で結婚した。梨園の妻なるというのは、普通の結婚とは違う大変さがあるという。大好きだったであろう仕事を辞め、献身的にサポートするのは、本当に海老蔵さんを信頼し、愛していたからに他ならないと思う。これも麻央さんが自分に素直になっている選択の一つだといえる。

そして病気が公表されたことを皮切りにブログ『KOKORO』を開設した。彼女の「人に 伝えたい」想いがここにも表れていると思う。これが梨園の妻として許される行為か分からないが、麻央さんの献身的な市川家のサポートが評価されていたからこそ、歌舞伎界からもお咎めがなかったと私は考える。ブログには日々変わる体調、辛い治療の病院生活、子供とのふれあいや、梨園の妻として役割を果たせない不甲斐ない想いなどをつづっていた。そして同じ状況の人や読者に励ましのことばをかけることも忘れなかった。どんな状況になっ ても、自ら情報を発信し、多くの人を励ますことが、彼女自身の幸せにも繋がっていたと思う。

自分の気持ちに素直になれる強さ

だからこそ麻央さんは自分の意思を保てる治療方法を選択していたのかもしれない。そして彼女が梨園の妻として立派に役目を果たしていたからこそ、ブログを開設でき、言葉を発せられたのなら、そのサポートを最大限してくれた夫の海老蔵さんに「愛してる」と最後に伝えるのは麻央さんの本当の言葉だと思う。麻央さんの生き方から思うことは、いつも自分の気持ちに正直な選択をしてきたからこそ、最後まで自分が幸せになれる選択ができるということだ。

生きている間に自分に素直な選択をする力をつけておくことが、幸せな人生の一歩だと私は思う。

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