8/11 棄てたもの

 色々と棄ててきた。まず、棄てたのは自己肯定感だった。一番早くに棄てたのはハッキリと覚えている。虐められた幼い私は「虐められるにも理由があるのだ」という糞みたいな理論を信じきっていた。虐められている自分は、何か原因があるのだと。そして、自分の事を棄てた。そうしたら、誰も虐めなくなった。
 そして大人になって、仕事を始めると今度は逆に「アイツは自己がない」と評価され、仕事の梯子をどんどん外されていった。わたしと仕事を共にする同僚は、非常に出来た人だった。あらゆる事をスムーズにこなし、知識もあり、判断力に長けていた。だからだと思うが、無力なわたしを介さず、その人に回されるようになった。
 そして、何もかも出来なくなって途方にくれた私は仕事を辞めた。迷惑になると思ったから。たぶん、過去に棄てた自己肯定感が必要だったんだろう。
 しかしながら、本当に沈んでいた(鬱だったと思う)時期は、メールを送るのに1時間かかった。レポートがまとめられなかった。電話をかけるのに台本を作り、話すと手と声が震えた。それくらい鬱と不安障害の症状が出た。いまだに事務処理は出来ない。今回もまとめて傷病手当金を貰おうとしたら、受給する期間が長すぎると叱責された。

 正直、もう疲れた。生きていくにも、死ぬにも。どちらにせよ疲れた。呆然として漠然とただ怠惰に過ごす日々。何も成せず、何も得られず1日が過ぎていく。念慮に脳をかきむしられ、死へと駆り立てる。失うものは何もない。悲しむものもない。私はいつも死にそびれる。
 リビングデッド。生きながらに死んでいる。

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