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長州力が新日本プロレスを離脱
選手・フロントの離脱を招き、数々の禍根を残したクーデター事件。その流れのなか、1983年11月に新日本を退社した元営業部長・大塚直樹(クーデター派)が「新日本プロレス興行」を設立する。
この会社がUWFと同じく、のちに新日本と深い因縁を残すことになる。新日本サイドは、新日本プロレス興行を兄弟会社として認識し、新日本の興行を専門に行うと考えていた。しかし、大塚はこの会社を純粋な興行会社ととらえてお
「外国人選手引き抜き」戦争
81年、全日本プロレスとの仁義なき引き抜き戦争が勃発した年である。
5月7日、京王プラザホテルにおける『第4回MSGシリーズ」前夜祭の席で新間氏が全日本のトップ外国人、アブドーラ・ザ・ブッチャーのIWGP参加を発表。翌8日、川崎市体育館にブッチャー本人が出現したことで戦争の火ブタが切られた。
川崎市体育館に現れたブッチャーは「IWGPのチャンピオンベルトを取るためにやってきた。必ず猪木を倒して
「猪木VSアリ」世紀の一戦
1976年6月26日土曜日に行われた猪木対アリ戦の当時の評価は 「世紀の凡戦」だったと言う。確かに今、見てみても退屈な試合に見えてしまう。
そもそも、この対戦が実現するきっかけとなったのは、1975年3月にアリが当時の日本レスリング協会の八田一朗会長に「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか」と発言したことである。
無論これはアリお得意のリップサービスだったのだが、そ
新日3大暴動事件《たけしプロレス軍団》
1987年12月27日 両国国技館 87イヤーエンド・イン・国技館
この3大暴動事件のなか、最大の暴動と呼ばれるのが、1987年12月27日の両国国技館大会で起きた、たけしプロレス軍団、通称TPGを原因とした暴動である。
もともと東スポ紙上でTPGの設立を発表したビートたけしにマサ斎藤が接近し、打倒猪木で一致団結。同大会にビッグバン・ベイダーを刺客として送り込み、藤波辰巳&木村健吾VSマサ斎藤
新日3大暴動事件《海賊男》
1987年3月26日大阪城ホール INOKI闘魂LIVE PARTⅡ
1987年3月26日に大阪城ホールで行われた猪木対マサ斎藤の試合に、謎のマスクマン「海賊男」が突如乱入。マサ斎藤と自身を手錠で繋ぎ、控室まで連行してしまうという事件が起きた。その後、マサ斎藤は試合に復帰したものの手錠で猪木とレフェリーを殴打し、反則負けになるという結果に。
この結果に納得できなかった観客が暴動を起こした。
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新日本プロレス 1983年クーデター事件《中編・転》
《中編・承からの続き》
1.猪木の社長辞任とトロイカ体制山本小鉄は「社長のアントニオ猪木、副社長の坂口征二、営業本部長の新間氏を失脚させて新日本を改革する」と内部改革を言い出したことで、当初構想に掲げていた新団体設立へと動いていた大塚直樹氏との間に亀裂が生じていました。
新団体設立の資金調達は、山本小鉄が行っていたが、小鉄があてにしていた大手スポンサー(中村パン)が他社(山崎製パン)に買収され、
新日本プロレス 1983年クーデター事件《中編・承》
《前編・起からの続き》
1.クーデター計画の出発点1983年6月30日 第12回定時株主総会の事業報告書を見た営業部長の大塚直樹氏は、その不信感から、翌7月1日 山本小鉄へ相談をしました。
山本小鉄もまた、アントンハイセルへ資金が流出し、選手や社員への還元がされていないと感じ、現状に不満を持っていることを知ります。
これだけの人気がありながら、全く上がらないファイトマネーに選手全員が、不信感を持
新日本プロレス 1983年クーデター事件《前編・起》
クーデターとは、フランス語で「国家の一撃」もしくは「国家に対する打撃」を意味し、既存の支配勢力の一部が、非合法的な武力行使によって政権を奪うことをいう。
《血判状》
1.まえがき1983年新日本プロレス内部で元レスラー、レスラー、フロントによるクーデターが計画・実行されました。これは、その時の血判状です。
上段にレスラー・レフェリーの名前、下段にフロントの名前が記載され、(総18名)この血判
新日3大暴動事件《長州力乱入》
1984年6月14日蔵前国技館|第2回IWGP優勝戦
1984年6月14日の蔵前国技館で行われた第2回IWGP優勝戦で起きた通称「蔵前暴動」。
その優勝戦で猪木とホーガンが対戦し、2度の両者リングアウトの後、再延長戦で長州が乱入し、両者をKO。セコンドたちによってリング上に運び込まれた猪木が勝利を手にするという結果に観客が激怒し、暴動が発生した。
「猪木さんのアングル」に反対なんてできませんよ
第1回IWGP優勝戦《猪木舌出し失神事件》
第1回IWGP優勝戦猪木舌出し失神事件。
IWGP決勝リーグ戦IWGP決勝リーグは5月6日 福岡スポーツセンターで開幕した。開幕戦の目玉カードは、猪木とアンドレの対戦だったが、猪木がショルダースルーでアンドレを投げた際、アンドレの体が場外フェンスを越えてしまい、猪木のオーバー・ザ・フェンスでの反則負けとなってしまった。
当時の新日本プロレスには、リングと観客席を分けているフェンスを自分から故意