僕と新日本プロレスと

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古き良き時代のプロレス記事を書いています。 特に新日本プロレスのアンクルが好きで、子供の頃よく観ていました。 アントニオ猪木、長州力などの名言や名勝負について書いていきたいと思います。 フォロー宜しくお願いします!

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  • 僕と新日本プロレスとブログ

    80、90年代のプロレスについて書いています。 ここでは昭和プロレスについて雑談を書いていきます。 熱いアングルなど古き良き時代のプロレス記事を懐かしく思われる方、フォロー、宜しくお願いしますm(_ _)m

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    昭和のプロレスファンは過去・記憶に生きる

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    80、90年代のプロレスについて書いています。 プロレスラーたちの熱い名言。 熱いアングルなど古き良き時代のプロレス記事を懐かしく思われる方、フォロー、宜しくお願いしますm(_ _)m

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  • 橋本対小川1.4事変

    2005年7月11日不慮の死を遂げた橋本真也。 ここでは、1999.1.4 橋本真也 VS 小川直也 の試合《1.4事変》について書いています。

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第1回IWGP優勝戦《猪木舌出し失神事件》

第1回IWGP優勝戦猪木舌出し失神事件。 IWGP決勝リーグ戦IWGP決勝リーグは5月6日 福岡スポーツセンターで開幕した。開幕戦の目玉カードは、猪木とアンドレの対戦だったが、猪木がショルダースルーでアンドレを投げた際、アンドレの体が場外フェンスを越えてしまい、猪木のオーバー・ザ・フェンスでの反則負けとなってしまった。 当時の新日本プロレスには、リングと観客席を分けているフェンスを自分から故意に越えていった場合と、故意に相手をフェンス外に出した場合は、その時点で負けが宣告

    • 燃える闘魂 アントニオ猪木

      2022年10月1日 プロレスラーのアントニオ猪木さんが肺炎のため、亡くなられました。79歳、肺炎だったそうです。 1943年(昭和18年)2月20日生まれ。13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった力道山にスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向したジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。

      • 長州力が新日本プロレスを離脱

        選手・フロントの離脱を招き、数々の禍根を残したクーデター事件。その流れのなか、1983年11月に新日本を退社した元営業部長・大塚直樹(クーデター派)が「新日本プロレス興行」を設立する。 この会社がUWFと同じく、のちに新日本と深い因縁を残すことになる。新日本サイドは、新日本プロレス興行を兄弟会社として認識し、新日本の興行を専門に行うと考えていた。しかし、大塚はこの会社を純粋な興行会社ととらえており、他団体の興行だろうと「オファーが来れば受ける」と目論んでいた。 そんな状況

        • 「外国人選手引き抜き」戦争

          81年、全日本プロレスとの仁義なき引き抜き戦争が勃発した年である。 5月7日、京王プラザホテルにおける『第4回MSGシリーズ」前夜祭の席で新間氏が全日本のトップ外国人、アブドーラ・ザ・ブッチャーのIWGP参加を発表。翌8日、川崎市体育館にブッチャー本人が出現したことで戦争の火ブタが切られた。 川崎市体育館に現れたブッチャーは「IWGPのチャンピオンベルトを取るためにやってきた。必ず猪木を倒してベルトを取る」と挑発すると、猪木は「私は今までブッチャーのファイトなど認めていな

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          「猪木VSアリ」世紀の一戦

          1976年6月26日土曜日に行われた猪木対アリ戦の当時の評価は 「世紀の凡戦」だったと言う。確かに今、見てみても退屈な試合に見えてしまう。 そもそも、この対戦が実現するきっかけとなったのは、1975年3月にアリが当時の日本レスリング協会の八田一朗会長に「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか」と発言したことである。 無論これはアリお得意のリップサービスだったのだが、そこに猪木が挑戦を表明したのである。世間はこれをまともにとらえず、アリも一度は挑戦

          「猪木VSアリ」世紀の一戦

          新日3大暴動事件《たけしプロレス軍団》

          1987年12月27日 両国国技館 87イヤーエンド・イン・国技館 この3大暴動事件のなか、最大の暴動と呼ばれるのが、1987年12月27日の両国国技館大会で起きた、たけしプロレス軍団、通称TPGを原因とした暴動である。 もともと東スポ紙上でTPGの設立を発表したビートたけしにマサ斎藤が接近し、打倒猪木で一致団結。同大会にビッグバン・ベイダーを刺客として送り込み、藤波辰巳&木村健吾VSマサ斎藤&ビッグバン・ベイダー戦が行われることが発表されていた。 しかし、当日、ビートた

          新日3大暴動事件《たけしプロレス軍団》

          新日3大暴動事件《海賊男》

          1987年3月26日大阪城ホール INOKI闘魂LIVE PARTⅡ 1987年3月26日に大阪城ホールで行われた猪木対マサ斎藤の試合に、謎のマスクマン「海賊男」が突如乱入。マサ斎藤と自身を手錠で繋ぎ、控室まで連行してしまうという事件が起きた。その後、マサ斎藤は試合に復帰したものの手錠で猪木とレフェリーを殴打し、反則負けになるという結果に。 この結果に納得できなかった観客が暴動を起こした。 1987年3月26日大阪城ホールでの「INOKI闘魂LIVE PART2」での猪木

          新日3大暴動事件《海賊男》

          新日3大暴動事件《長州力乱入》

          1984年6月14日蔵前国技館|第2回IWGP優勝戦 1984年6月14日の蔵前国技館で行われた第2回IWGP優勝戦で起きた通称「蔵前暴動」。 その優勝戦で猪木とホーガンが対戦し、2度の両者リングアウトの後、再延長戦で長州が乱入し、両者をKO。セコンドたちによってリング上に運び込まれた猪木が勝利を手にするという結果に観客が激怒し、暴動が発生した。 「猪木さんのアングル」に反対なんてできませんよ」ミスター高橋氏はそう語る。 抜群のプロレスセンスを発揮してきたアントニオ猪木

          新日3大暴動事件《長州力乱入》

          金曜日夜8時 新日本プロレス

          【金曜日の夜8時】 このシチュエーションだと、みなさん、どんな事をイメージしますか? サラリーマンや学生なら、1週間が無事に終わって、休日前のまったりとする時間帯でしょうか? このご時世だと金曜の夜は、飲み会だ!とは、なりませんが、少し前なら、街へ繰り出して、友達や恋人と遊び回る時間帯だったかも知れませんね。 【金曜日の夜8時】僕の場合は、今でも新日本プロレス(アントニオ猪木)をイメージしてしまいます。そんな人もまだまだいらっしゃるのではないでしょうか? そんなこと

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          有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】の紹介

          おはようございます。 今日は、くりぃむしちゅーの有田哲平さんの新しいYouTubeチャンネル「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」を紹介したいと思います。 有田哲平さんのプロレス好きは有名で、僕も「有田と週刊プロレスと」は、プライムビデオで、シーズン4まで、全部観ました。 このブログの「僕と新日本プロレスと」もそこから名前をつけさせてもらいました。 僕は、アントニオ猪木や長州力など昔のプロレスが好きで、有田さんも割と80年代のプロレス話をされるため、有田さんのプ

          有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】の紹介

          共通テスト

          おはようございます。 今日と明日、大学入試の共通テストがあります。 受験生の方は、体調を崩すことなく、また、緊張しないで、本来の実力を出し切って欲しいと思っています。 共通テストで人生が、決まるわけでは決してないですが、大きな岐路となる試験であることは間違いないです。 高校3年間、頑張ってきた成果を出せる日です。 是非とも力を出し切って、後悔がないように頑張って下さい。 頑張っている人に、頑張って、と言うのは、嫌いですが、今日だけは言わせて下さい。 「ガンバレ!

          アントニオ猪木の「最後の闘魂」を読みました

          おはようございます。 今日は、セブンイレブンでアントニオ猪木の「最後の闘魂」を購入しました。価格は850円でした。 内容は猪木の名言集《猪木語録》みたいなもので、構成は以下のようになっています。 第1章 「生きる」とはなにか?《全18語録》 第2章 夢がなければ夢をつくれ《全16語録》 第3章 勇気を持て、限界を決めるな《全15語録》 第4章 プロ意識が人を大きくする《全16語録》 第5章 「勝負」とは勝ち負けではない《全14語録》 ページを開くと、右側のペー

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          それがお前のやり方か セメントを仕掛けた小川直也に言い放った長州力の名言

          プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。 そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。 そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。 それがお前のやり方か ~1999.1.4 長州力の名言~ 今回は長州力の名言となります。 1999年1月4日東京ドームで実現した橋本真也対小川直也。 (長州の試合ではないのですが・・・) まずは、小川の肉体改造

          それがお前のやり方か セメントを仕掛けた小川直也に言い放った長州力の名言

          選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり 第二次UWF旗揚げ時 前田日明の名言

          プロレスラーは、マイクパフォーマンスで数々の名言をこの世に誕生させてきました。 そのマイクパフォーマンスに私たちファンも同じように、熱くなり興奮し、それによってストレス解消をしていました。 そんな熱いプロレスラー達が残した熱い名言をまとめていきたいと思います。 選ばれし者の恍惚と不安、2つ我あり ~1988.5.12 前田日明の名言~新生UWF旗揚げの際に前田日明が言った名言です。 なんとなく詩人ぽいですよね。 それもそうです、フランスの詩人の言葉であり、太宰治も「葉」て

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          1990.6.12 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン《超ド迫力の肉弾戦・ジュースもあるよ》

          80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。 僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。 皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか? 宜しければ、コメント欄に記載お願いします。 バトルライン九州 1990年6月12日 福岡国際センター IWGPヘビー級選手権試合 ビッグバン・ベイダー VS スタン・ハンセン前回の東京ドームでは、右目を腫らして戦ったベイダーですが、今回も北

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          「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」を読みました

          おはようございます。 今日は、「真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男」をメルカリで購入して、読み終えたので感想を書きたいと思います。 著者は、真説長州力の方と同じ、田崎健太さんです。 裏表紙のあらすじは、以下でした。 プロレス史上最高のスター・タイガーマスク。佐山サトルはいかにしてその座に就き、そして離れたのか。謎として語り継がれるプロレス時代の「事件」の真相。総合格闘技の先駆者として生み出した「修斗」との訣別の理由。本人をはじめ親族から大物格闘家まで、膨大かつ濃

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