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うさぎを「一羽二羽」と数える理由

兎(うさぎ)は、なぜ「一匹二匹」ではなく「一羽二羽」と数えるのだろうか? その由来は「肉食禁止令」の時代にあるといわれる。

食肉禁止令とは
日本においては、縄文時代から狩猟や家畜の飼育などで、肉を食べる習慣があった。しかし、538年の仏教伝来によって、殺生禁断の教えにより「生き物を殺生すると仏罰が当たる」とされ、日本人が古くから持っていた、穢れ(けがれ)、忌避意識と結びついて、肉食を避ける風習が生まれたのだ。

仏教伝来後、「肉食禁止令」が下されるようになったが、それでもこれまでの肉食の習慣は、そう簡単に消えることがなかった。人々は「薬猟」と称して、必要に応じて山野に猟に出かけ、鳥獣の肉を楽しむ風習は続いていたのだ。

薬猟(やくりょう)
薬の原料を得るために行われた、古代の宮廷行事。 女性は薬草を摘み、男性は薬効がある若鹿の角を取る狩をしたという。肉食禁止令が出されていた時代は、鹿、猪、かもしか、熊など獣肉は「山肉」と呼ばれ、薬代わりに食べることが許されていた。禽獣の肉も、健康維持や、病人の体力回復のために「薬喰い」という婉曲な表現で、「薬猟」と称して食べられていた。

肉食禁止令とはいえ、例外として食べてもいい肉があった。

うさぎを「一羽二羽」と数えるようになったのは、「動物の肉食は禁止されていたが、鳥は食べても良かった時代」に、「兎は鳥だ」という理由をつけて、密かに食べていたことに由来しているようだ。


「うさぎ」は「鳥」なんだ! その無茶苦茶な理屈とは

そうは言っても、どう見ても兎は鳥類ではない。しかし当時の人は、なんとしてでも「鳥」として食べるために、次のような理屈をこねていたのだ。


1:鳥と狩猟方法が似てる

狩猟には、網を使った方法がある。兎も鳥と同じように、網に追い込んで狩猟していたことから、鳥として扱われていたとされている。同じ網で捕らえるので、鳥と同じ単位で呼称されるべきだ、という理屈だ。

また、狩猟で捕まえた兎は、耳を束ねて「一把(ひとつか)み」にしていた。そこから、束ねたものを数える単位である「一把(いちわ)二把(にわ)」から「一羽二羽」に変化したという説もある。

2:鳥と骨格が似てる

骨格が、鳥に似てるという説。皮を剥き、肉にしたときの兎の足は、鳥の足に似ているらしい。大きさも鳥と同じぐらいなので、ほとんど鳥と同じじゃないか、という理屈だ。

3:二本足で立つ

鳥と同じように、兎も二本足で立ち、跳ね回るからという説。江戸時代に発令された「生類憐みの令」では、四本足の動物を食べることが禁じられていた。

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)
1685年、五代将軍徳川綱吉の時代に発せられた動物愛護の法令の総称。違反者には死罪・遠島などの極刑が科された。

4:飛び跳ねる

ぴょんぴょん飛び跳ねる兎は、飛ぶ鳥のようだという説。また、大きく長い耳が、鳥の羽に見えるから、一羽二羽と数えた、という説もある。

5:「ウサギ」=「鵜(ウ)」+「鷺(サギ)」だから

兎(ウサギ)の発音を、「鵜(ウ)」と「鷺(サギ)」に分けて、鳥として扱ったという説。

こうして見ると、なんとも無茶苦茶な理屈だが、肉食禁止令の時代においては、なんとか動物の肉を食べようと、あれこれ苦労していたようだ。


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