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不登校の問題を解決したい人、ではない

みなさんこんにちは。うるかです。
久しぶりにnoteというか、こういった文章を書くので書き方あってるのかなという気持ちです。

まずは自己紹介。
成毛 侑瑠樺(なるげ うるか)です。名前の由来は鮎の内臓の塩辛で、福岡生まれ熊本育ちの20歳です。好きな食べ物はお好み焼きです。

小3から不登校で中学でも不登校や別室登校をしており、高校は通信制高校に進学、卒業後は2浪したのち、今年の4月に開学する叡啓大学に進学することになりました。

それから浪人中はほとんど何もできていませんでしたが、高校時代から
「教師と中高生の対話の場づくり」「不登校の子や保護者向けのケア」
という活動を行ってきました。

今回は、これらの活動を始めたきっかけや目的、今までしてきたイベントついて書きたいと思います。

というのも、高校時代は結構注目して頂き、様々なメディアにも取り上げていただいていました。その中で、不登校の問題を解決したい人、可哀想な不登校を経験してすごい活動をしている子、不登校にとっていい学校にしたい人、という取り上げ方をされることがよくありました。とても違和感がありました。

もちろん、取材してくださった方々が悪いのではなく、私の説明の仕方が悪いのが大部分の理由だったと思います。そのためメディアだけでなく、人に説明をする中でも「不登校の問題を解決したい人」と捉えられることが多かったです。

違うんだけどなぁ、と思いつつ、上手い説明ができず悩んでおりました。
しかしここ最近やっと、これまでで一番納得できる言語化ができたので書いちゃおってnoteです。長いけどよかったら読んでください〜

そもそもの活動始めたきっかけ

前述したように、私は小学3年生から不登校で、中学でも不登校と別室登校をしていました。活動を始めたきっかけは、中学での経験が主になっています。色々重なった結果ではあるのですが、いくつかエピソードを書こうと思います。

きっかけ①

例えば、中学3年生になり別室登校をしている時に、卒業アルバムの集合写真を撮ろうと数人の教師が呼びに来たことがありました。必要性を感じず断ったところ数分粘られた後、何を思ったか他の生徒を呼びに行き学年殆どの女子生徒に囲まれ、数分もの間一緒に行こうと言われ続けたことがありました。

教師も生徒も善意の行動であったと思いますが、こちらの意思を初めから伝えているにもかかわらず、一方的に行動を決定することに疑問や逃げ場のない感覚を持ちました。

また、別の日に、私は卒業式に出るつもりがなかったため、その旨を教師に伝えたところ「卒業式“くらい”は出ようよ」と言われました。3年間、このような言動から、学校や教室に行かない私は間違っていて、ちゃんとした人間ではないと否定されたように感じることが多々ありました。

また、そういう人間だと認識されていたことで、私の意見や意思に耳を傾けてくれない一方的なケアや、無理やり学校や教室に連れて行こうとする教師がほとんどでした。

その際に思ったのは、なぜ教師側の1つの価値尺度で、私のことを否定されなくてはいけないのかということです。学校に行くことを良しとする価値観は何ら問題ないと思います。

しかし、「全員こうあるべき」というように、価値尺度を一本化することでそこから外れる人間を否定することに疑問を持つようになりました。

きっかけ②

ただ、これらの出来事とは対照的に、中学ではいい出会いもありました。

私自身、不登校になって暫くは、周りから否定されることや、学校は“絶対”に行かなければいけないという自らの価値尺度で、不登校はだめな存在だと考えていました。そのため、自分への嫌悪感や母を悩ませている罪悪感から、とても自己肯定感の低い時期がありました。

その時に、1人の教師が私自身を肯定してくれました。その方は、1つの価値尺度から私がどういう人間であるかを決定せず、対等に会話をしてくれました。

ある日、家や別室でどのように過ごしているかを話すと「いい生き方をしてるね」と言ってくれました。その時に私は、「自分はこれでもいいんだ」と思えました。

そこから、自らを1つの価値尺度に当てはめようと思い悩む必要はなく、他の生徒や教師との自分の違いを認められるようになりました。

これらの2つのきっかけから、
「価値尺度を一本化して生徒を否定する学校環境への疑問」をもち、
それとは異なった価値尺度を持つ他者からの承認」
の重要さを考えるようになりました。

このように、活動のきっかけは私の不登校としての経験が主です。
しかし、これは不登校だけに限った問題ではありません。

例えば学校内で、教師から生徒に対する暴言、生徒の背景や考えを顧みない指導方法の選択、体罰などが学校に存在していることによって、生徒が少なからず怯えたり、自己肯定感が左右されたりする学校環境があります。最近知った言葉なのですが、ダークペダゴジーという概念が一番近いのでは...と思っています。

そのため、学校教育全体のこういった問題に取り組んでいきたいと考えて活動を始めました。
(もちろん、教師や学校を攻撃、否定する意図はありません。活動をする中で、そういった現状を生み出す様々な要因も知りました。ゆくゆくは教師をサポートするような活動をできればと考えています。)

私がしている活動と目的

これらの理由から、「教師と中高生の対話の場づくり」と「不登校の子や保護者に向けたケア」という2つの活動を始めました。
(文章長すぎて読んでいただけるか心配になってきました)

■教師と中高生の対話の場づくり

まずは、「教師と中高生の対話の場づくり」という活動について書きます。この活動では、「学校内で、教師の1つの価値尺度で生徒が否定されたり、自己肯定感が左右される状況や環境」を根本的に変えることを目的としています。

一番重きを置いている活動です。この活動では、学校内外の安心安全な場で、教育や読書会、雑談などテーマを決めてそれぞれ学校の違う教師と中高生で話をする場を開いています。

教師と生徒でお互いの意見や考えていることを話し合うことで、
“異なった”意見や考えがあるということを認め合い、1つの価値尺度からの否定や一方的な指導方法の選択がなくなるのではないか、と高校に入ってから考え始めました。そして、高校2年生頃にこの活動を立ち上げ、4回実施してきました。 

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例えば、熊本市の中学校で教師20人程に対して実施させて頂きました。
私の不登校時代の話をしてほしいとの要望があり、最初に不登校時代に教師や学校に対して疑問をもったことを話し、問題提起を行いました。その後、スタッフとして参加をお願いした高校生や大学生も含めた、5人ほどのグループで話に対する疑問や感想をまとめて発表し、再度それに対する私の考えを述べるという内容で行いました。 

バイト先のコワーキングスペース、未来会議室でイベント主催という形で実施したりしました。
活動する中で場の様々な問題点も見えてきたので、教師と中高生が安心安全な場で話すということをキーワードに、お菓子やジュースをとりいれ、会の初めにはアイスブレイクをしたり、グランドルールの設定を行っていきました。この回では、個人ワークで学校の良い所・悪い所を出して発表して貰った後、その中から気になるワードを議題として出して話し合いをしました。
ちなみに参加してくれた子が書いてくれたブログがあるのでよかったら🎉

■不登校の子や保護者に向けたケア

次に「不登校の子や保護者向けのケア」についてです。
この活動では「多様な価値尺度に触れることで、不登校の子や保護者に、自己を肯定できるような機会づくり」を目的にしています。

2016年には、「不登校は問題行動ではない」と文科省が小・中・高、すべての学校へ向けて通知しました。また、多様な学習環境の保証を認めた「教育機会確保法」も成立しています。

しかし、不登校の子や保護者は、「学校は“絶対”に行かなければいけない」という周りの誤った価値尺度で、「学校に行かないのはおかしい」「あの親や子どもは変」「ろくな大人になれない」と不登校であることを責められることが多いです。我が家も、不登校ということで知り合いにお札をもらったりしました。

こうして、子ども達や保護者は、「学校は“絶対”に行かなければいけない」という価値尺度から外れていることに対して悩むようになります。

私は、学校に行っていないという事実ではなく、「周りの誤った価値尺度」「絶対に行かなければいけないという価値尺度から外れていることに悩んでいる状態」これらから不登校の問題のほとんどが生まれていると考えています。

そのため、1つの価値尺度に当てはまる必要はないと伝えることを意識して、高校1年生から自身の体験談の講演、高校2年から不登校向けのイベントや、県外からゲストを招いて講演会などの企画を行うようになりました。

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例えば、熊本県・熊本県子ども若者支援地域協議会などを始めとした様々な団体で体験談を話させて頂いたりしました。高1の頃に担任がしていた講演会についていって体験談を話したことが始まりでした。
しかし、ただの経験を話しているだけの状態や、具体的な行動は何もしていないのに何か自分がすごい存在であると勘違いしそうになる気持ち悪さや、参加者に対して持続的な変化を起こせていないような気がして徐々に講演会は減らして、主催イベントなどを始めました。

不登校は不幸じゃない Twitter

2018年には、「♯不登校は不幸じゃない」という日本全国100か所に一斉に不登校の居場所をつくるイベントの熊本主催をしました。
不登校の子や保護者に限定して開催し、60人ほどの方々が来場してくれました。プログラミングスクールを運営する方や、漫画家を目指す方々もスタッフとして参加してくださり、プログラミング体験、イラスト体験、子どもたち同士の座談会、保護者の座談会を行いました。

プログラミング体験やイラスト体験では、話すのが苦手な子たち同士でも、物や体験を通すことで自然に交流をしていきました。また、子どもたち同士での座談会では運営側が話を進めずとも、自然に会話が発生し学校への捉え方などをお互いに話し合っていたことが印象的でした。保護者の座談会では、お互いに考えていることをそのまま共有したり、自由に話したりする場を設定しました。お互いが同じような経験をしていることで、共感をしながら話をしていました。

こちらも参加してくださった方が書いてくださったブログがあるのでぜひ!

Colorful Foundational Brainwriting Brainstorm Presentationのコピー

また、「♯不登校は不幸じゃない」全国発起人の小幡和輝さんの熊本での講演会を主催をしたりしました。
不登校になったあとの居場所づくりや、不登校でも自分でお金を稼ぐことが出来れば周りは心配しないという話から、小中学生でも自分の特技を生かしてお金を生み出す方法などについて講演をして頂きました。その後、不登校中の中学生2人とゲストで対談や質問コーナーを行い、不登校になった理由や学校にどのように変化して欲しいかなどの話しがされました。

こちらも当日スタッフをしてくれた方が詳しくまとめてくれています...

おわり

こんな感じで活動をやってきてまいりました。
浪人中のここ2年はほとんど何もできていませんでしたが、4月からは大学で広島に行くのでまたぼちぼち再開させたいと考えています。

こういった文章をかくと、毎度毎度まとめかたがわからず最後はぐだぐだになります。書きたいことがうまく伝わっていたら嬉しいです。
感想などもいただけたらめちゃめちゃ喜びます。

読んでいただきありがとうございました〜

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