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vol.1 秘密基地

小学生時代、私は無口で気弱な、典型的な人見知り少年だった。
学校では口数が少なく、逆に我が家ではよく喋るような、内弁慶な奴だった。
友達は少なくはなかった。
そんな私になぜ友達はついてきてくれたのか、よく分からない。

そんな私にはいくつか秘密基地があった。

「大きなスポーツジムの裏にまわった貯水タンク下の 小さな隙間」と「最寄り駅前の薬局横の鉄階段の踊り場」。
今でもはっきりと覚えている。
どちらも猫しか入らないような狭い空間だ。
私は少し狭くて、汚くても自分だけの空間が
そこにあるだけで不思議な安心感を感じていた。

友達と一緒に校庭で鬼ごっこをしたり、
人並みの恋をしたり、普通の小学生なりの青春は
送ってきたつもりだ。
だけど学校とか皆で集まる空間にはどこにも自分の居場所はない。
毎日、誰かが中心になる空間におじゃまさせて頂いて
スッと抜けて、そしていつも通り帰る…
そんな毎日を過ごしていたように感じる。

内弁慶なので自分から中心になることはない。
そんな性格だから自分だけの居場所をひっそりと見つけたくなるんだろうか。
本当に仲の良い友達だけ連れてきて一緒に10円単位の駄菓子を食べていた。
人が通ったり、警備員が近くにいたり、ちょっとしたスリルを味わえる点もある程度の刺激になっていたのだと思う。
あの時の友達はいま何をしてるだろう。
自分だけの秘密基地を共有する仲だったのに
なぜ今は全く近況も何も知らないのだろう…
小学生の記憶はいつもぼやけている。


そんな私は大学生になり、
初めて一人暮らしの自分の家を持った。

初めての一人暮らしで、
全くの未知の領域だったので毎日がワクワクだったのを覚えている。
あの時は小汚くて、煙臭くて、狭い秘密基地が
自分の居場所だったのに。
家賃29,000円(静岡の大学に通っていて、家賃は割安。)のワンルームの小綺麗な部屋は、
一瞬で自分のものになり、一瞬で物に溢れかえり、  汚い空間となった。
そうした方が何故だか落ち着く。

酸いも甘いも経験したその部屋を
大学卒業時に不動産屋へ返す時はやはり不思議な
名残惜しさがあった。
空間って生きていると思った。
私は小学生の時の秘密基地も、
大学生の時のアパートも。全部自分の相棒だと思ってる。

今の私は誰かに、住宅という名の
空間を提供しているしがないハウスメーカー営業です。
気弱で無口な小学生の頃の自分が、思っても見ない世界観だと思います。
どうしてその世界に飛び込んだのかは後で書くとして、とりあえず自己紹介を書かなければ!と思って過去の日記を振り返ってみました。駄文です。

考えを言語化してアウトプットしていけたらという
自己満足が目的の多くを占めていますが、
引き続き投稿を続けていけたらと思っています。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
よろしくお願い致します。

(2020年4月8日に書いた日記を再編集しています。)

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