現実逃避・ロースクール・将来

何をしたくて弁護士になるのだろうか。

昔の俺は仮面ライダーかお笑い芸人になりたかったらしい。
23歳になってバイクの中免も取ったし、毎日電車で芸人の深夜ラジオを聴きながら通学する今の自分を振り返ってみると、案外本質的には子供のまま変わっていない。

しかしながら、中身は変わらないが、ガワだけは年をとっていく。

同級生は新社会人1年目を乗り切ろうとしている中、俺は未だにロースクール生などという学生の身分でうら若き20代の日々を費消している。

ロースクールを知らない人の為に簡潔に説明すると、ロースクールとは、司法試験受験資格を得るために、大学卒業後、2年間を学者先生様のありがたい講義や、偉そうな先輩OB方のおべっかをこなしつつ、本命の司法試験の勉強に捧げるための場所である。(なお、念のため、2年間分の学費や生活費を投資させたうえで、法曹の身分を保障しないという極めて非人道的かつ害悪な制度であることも付言しておかねばならない。)

このようにロースクールは、大学卒業後も全く面白みのない法律を学ぶための場所であるので、俺のようなサラリーマンになりたくないプライドの高く頭でっかちな人間が多い。

一方で、司法試験にさえ受かってしまえば、裁判官・検察官・弁護士のいずれでさえ最低800万の年収が担保されることから、人生一発逆転を目指して入学してくる社会人も多い。

こうした社会人経験者は、少なくとも就職や社会の競争から逃れ、法曹市場という競争の激しくない環境に身を置きたいという怠惰な自分よりも幾分、人格など総合的な面でマシというか、まっとうな感覚をもっている人間が多い。気がする。

何について書いているのかわからなくなってきたので話を戻すと、なぜ俺が弁護士になりたいのかということについてだったか。

おそらく中学生くらいまでは純粋に人の役に立つことが好きだった。

しかし、高校受験・大学受験・就職などの社会制度の「ふるい」がかかっていく中で、学力的な意味での才能や、家庭環境、教育資本の投資の効果や差という、個人ではどうにもできない偶然的なものによって、否応なしにかつての友人達とは疎遠になっていく。

そうした「ふるい」にかけれられた友人たちや、幸か不幸かロースクールという場所まで残った今の自分を考えると、たまたま恵まれただけの自分が、そのような立場に胡坐をかくだけに飽き足らず、自分の自尊心を満たすために、「弁護士になって困っている人の役に立ちたい!」などと考えることは、おこがましいを超えて悍ましい。

今は、困っている人の為になりたいから弁護士になりたいと胸を張って言えない。少なくとも、「人から感謝されたいという自分の自尊心をただ満たすために弁護士になりました」というのが本音ではないが、表現としてはしっくりくる。

話はふたたび逸れて、数回飯を食事に同席して、話をしたに過ぎないというわずかな経験にしか基づかない所感だが、いわゆる人権派弁護士というのは、この辺の感覚に違和感を感じる人が多い(クソデカ主語)。

酔っているとは言え、一体全体、壮年期のいい年こいたおっさんが
「僕の顔優しそうでしょ。どんな難しい人でも僕のことは頼ってくれるんだよね。君たちも困ったときはいつでも頼ってね★」と平気で言いのけるのはいかがなものだろうか。

俺も客も、お前自身じゃなくて、「弁護士」のお前を必要としているに過ぎない。勘違いするなよ。

…これは弁護士になった後に自分が気を付けなればならないことでもある。いずれ俺も「俺」ではなく、あくまで「弁護士」の俺が必要とされているに過ぎず、俺の人格その他諸々が評価されるわけではないことは常々意識せねばならない。

話を戻そう。

ともかくも人の為になりたいというのが弁護士になる理由としてふさわしくないのであれば、俺は一体全体なぜ今も勉強しているのだろうか。

途中で触れたように、司法試験に合格して法曹になることで800万程度の年収が担保されるのは、たしかに理由としては中々に強い。

しかし、金を稼ぐという目的であれば、安定性やその他の面で考慮される事情次第ではあるが、他にも大企業に就職するなど手段として適合的なものがあり、それらにはあまり魅力を見出すことができなかったことからすれば、金が理由ではない。

自分はそこまで現実が見えていないし、また利潤にこだわる面白くない人間でもない。

あるいは、この「なぜ俺は弁護士になりたいのか」という問い自体が現実逃避の便法にすぎないのかもしれない。

司法試験は今年の受験生として思うが、果てしなくしんどい。この点は、弁護士になった諸先輩方の酒の席の話に、心の底から同感する。

同級生が社会人として、働き、遊び、彼女と過ごし、ライフステージを着実に進めている傍らで、六法をシャパシャパめくって毎日を過ごすのは、中々心に来るものがある。

だからこそ、明確で確実な弁護士になる理由が欲しいと感じるのかもしれない。かもしれない、というかそう。

黙って勉強に取り組むべきであるところ、誰も見ないnoteに2時間かけてとりとめもないことを書き連ねているのがそのすべてだ。

結局今の俺のロースクール生という身分も、このnoteと同じで現実逃避の産物としてあるに過ぎなくて、深い意味などないんだろうな。

自己陶酔が覚めてきたので、今日はこのあたりとしたい。

以上

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