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現場で人を見て、関係性を深めるために俯瞰する大切さ|梅乃宿酒造 阪本之暢さん

奈良先端科学技術大学院大学(以下、奈良先端大)に入学する前から、阪本さんは就職のことを考えられて、希望の業界へ就職されました。そして、新卒で入った会社でも、その後に転職して入った現在の会社でも、最初に配属された部署から変わり、本当に多岐にわたって業務を経験されています。希望通りにならない状況や変化する仕事の中で、どのような考え方を持って進めていけば良いのかを含めて、詳しくお話を伺いました。

阪本 之暢
奈良先端科学技術大学院大学では、有害物質のダイオキシ類を分解して低減させるために遺伝子解析を用いて活性化する菌を特定する研究に取り組む。博士前期課程修了後、大関株式会社に入社。入社後は商品の研究開発を経て、マーケティングを担当。現在は梅乃宿酒造株式会社で、商品の企画開発、物流部門を経て、現在は会社経営の基盤となる経営企画室での業務を担当している。

狭き門だった食品業界の就職活動で苦労したこと

物作りを通じて楽しさを提供できるような人になれたら良い、食生活にプラスアルファのところで楽しさを提供できるアルコール業界で開発・研究職に就きたいと、奈良先端大に入学する前から、考えていました。

ただ、食品関係の研究職の採用は、かなり狭き門だったこともあり、化学系も含めて受けていた記憶はあります。特に、私の時代はまだ就職氷河期でしたので、研究職や開発系の募集を探すことから、かなり苦労しましたね。M1の2月頃に、日本酒メーカーの研究職の選考の話を教授からお話をいただき、受けた結果、大関から内定が出て就活を終了しました。ただ、給与面や待遇面より、やりたいことを優先させた部分はありました。

就活と研究との両立はやはりしんどいです。就活期間中、ある程度は周囲も理解はしてくれましたが、何となくプレッシャーは感じていました。特に、実験のまとまった時間が欲しい時に面接等が入ると、実質、研究が進まない日が多々ありましたね。できるだけ集中的に進めて割り切るしかないと思ってはいましたが…。

研究開発からマーケティングへの異動で得た本当に凄い経験

大関に入社後、3年間は研究開発の部署で、主に商品に関連する開発をしていました。製品用の酵母の育種や新商品のレシピを開発したり、外部機関との共同研究に携わったりするなど、少数ながらもやることが多岐にわたっていて、刺激的でした。

その後、今度は企画側、マーケティングの部署に異動して、外見の開発や商品の企画を行っていました。当時の主力ブランドのマネージャーを担当、営業との戦略の連携、各種会社の中での調整などに携わっていましたが、中でも特に良かったと思ったことは、お酒の会社に就職しながらも、食品や化粧品の開発を担当したことです。周りや上司、社内で知見がほとんどなかった中で、色々と進める必要があったので、自分で学んでいかないといけない土壌があったことは凄く鍛えられましたね。デザインの準備や必要な資材の手配、協業先との検討とその交渉、生産立ち会い、品質保証など、通常のお酒の担当であれば、社内に各担当部門がいて分業がなされている中、頭から最後まで自分でやらないといけない、ノウハウが少ない営業に同行して提案営業も行かないといけない。思い返してみると、何でもかんでもする必要があったことは本当に価値のある経験を得ることができたので、今となれば、感謝していますね。

原点に戻るための転職

今後のキャリアに対して、会社の考え方と自分の考え方が若干違ってきていることも認識し始めていたこと、出身の奈良で地元に貢献できるようなことがしたいと思ったこと、7年間の企画の仕事から、またもう一度手を動かして開発したい、もう一度原点に帰りたいこともあって、転職活動を始めました。

地元の企業でトライしてみたいと思ったことが一番大きく、ちょうどそのタイミングで梅乃宿酒造が中途採用募集をしていて、転職を決意しました。大関を10年目に退職した形ですね。

転職後のリスタートとキャリア変遷

弊社に入社後、約3年間は開発の部署で、それから、物流部門に行ったり、管理部で総務や人事を含めた経験をしたりして、現在は経営企画室で仕事をしています。

製造現場から物流部門に行く時に、組織を整備したいという会社の考えがあって、そこの課題を解決してほしいというオファーがありました。私自身も経験がないので、正直不安はありましたが、商品を企画開発する、これまでのフェーズから、組織の企画開発をすることが課題解決に繋がるというように読み変えました。新しい商品を作る時に、色々な知見や情報を集めて形を作りますが、組織の仕組みのあり方、人の働きやすさというような環境の開発が頭に浮かんだので、やれないことはないと思いました。その後は、周辺情報を集めて、一つ一つ整理していって、道筋を作るという概念で捉えて取り組むことにしました。

仕事のやりがいと現場で人を見ることの大切さ

開発の時は形になって、それが店頭に並び、売上に繋がるところがやはり華だと思っていました。開発のプロセスの中では、かなり苦労は多かったですし、時間的な制約も含めて、休む間もなく取り組んでいて、アウトプットできた結果が見える仕事だったので、本当にやりがいはありましたね。

それから、物流は上流工程で、物が作られて最後に出ていく場所なので、出荷日程を含めてデッドラインが決められている、やらないといけないという凄いプレッシャーやストレスを部門のメンバーは感じています。そのような中で、一つ一つ課題がクリアになっていって、みんなが喜んでくれることが働きやすさに繋がることを実感できた時に、色々な思惑のある人達が一つのベクトルに向かうようになることはやりがいでしたね。

ちょうどコロナ禍で、誰も状況が読めないし、経験したこともないし、不安で過去の経験値が誰も当てにならないような状況でした。出荷のコントロールもそうですが、人のコントロールを想定していても、家族がコロナになって休むことも多かったので、彼ら彼女らがストレスなく出社できることに念頭を置きながら、どうしたら良いのかを考えながら、仕事をしていいました。その人に寄り添ってあげることで、周りが逆に寄り添ってくれた、こちらを向いてくれたことは本当に達成感があり、人を見ることの大切さを思い知らされ、やって良かったと充実感に変わりました。

前職の上司には「現場100回」とよく言われて、「とにかく現場に行きなさい」、「現場に答えがある」と教わってきました。やはり現場を見て、人を見る。ある特定の部分だけではなく、いかに全体最適で物事を見て判断するのかが大事だと思っています。特に、外部との協力企業もそうですが、いかにWin-Winであるかは大事にしています。発注側、受注側、常に対等と考えています。協力してくれる方々のおかげで資材、原料が入ってきたり、商品が入ってきたりして、販売ができてお金に変えることができるので、常にWin-Winになるような関係性を持ちたいという風に取り組んできました。そのために、関係性の開発や構築、深めていくことはずっと目指しています。それから、短期的な目先の商売だけであれば、将来に繋がらないですね。ビジネスの上から下まで全体を見て最適は何か、そういう見方ができているかを常に意識しています。関係取引先の方から、「会社とビジネスをしているのではない、阪本さんとビジネスをしている」、「阪本さんだから、このビジネスをしている」と言ってもらえるように心がけています。

新入社員だった、あの頃の自分へのアドバイス

まずは引いてものを早く見られるようになりなさいと言いたいですね。どうしても目先の仕事や与えられたタスクに対して、集中してしまい、近視眼になっていたと思います。今自分が抱えている問題点がどうしたらブレイクスルーするのかを考えていた時に、引くことでよく見えますし、やはり近視眼だと全体最適からは距離感が出てしまいますので、早く俯瞰して見られるようになりなさいと伝えます。

あとは、早く協力者を見つけなさい、何でもかんでも自分でしようとしてしまうところもあるので、人に任すことも大事な行動だと言いたいです。それは自分の責任逃れではなくて、周囲のビジネスパートナーと一緒にどうミッションを遂行するかということだけです。そこになかなか気付けずに全部一人で抱えていたので、自分が本来やるべき全体像を捉えて、早く関係者を見つけて遂行してほしいとも伝えますね。

企業の成長によって、地元を活性化させる夢

元々、奈良を活性化したい思いで転職しましたが、それが一つの夢だと思っています。最初は漠然としていましたが、会社の経営企画というポジションで、会社をどう成長させるかという仕事をしている中で、奈良の地元の企業として、会社の売上を大きくしたり、企業を成長させることが、例えば、奈良県の雇用に繋がったり、奈良県の活性化に繋がったりすると、最近思うようになってきました。自分が今やっていること、会社を良くしていくこと、会社を成長させることが奈良を活性化させていくことに繋がっていると捉えていて、本当に夢の真っ只中にいると思っています。予算の立案や、経営戦略の立案など経営企画の経験がなかった状態で、アサインいただいて、今度は会社を開発するという意識で今の仕事に従事しており、本当に充実感があります。本当にラッキーだとも思っていますし、気概にも感じています。忙しくて大変ですが、会社が大きくなれば、奈良の活性化に近づくと信じています。

改善のための変化が止まらない現在の会社の実情

弊社は創業130年を迎え、とても伝統のあるように思われがちですが、そういったことはなく、どんどん変わっていこうという姿勢が非常に強い企業です。そこが働いていて今一番面白いところで、伝統産業ということを気にすることはないですし、どうやって世界に挑んでいくかに取り組んでいる会社なので、大変刺激的な中小企業です。最近は今まであった制度や設備も含めて、どんどん変わって良くなり、追い付いていくのも大変ですが、変化を作る側でもありますし、変化を楽しんでいます。

嗜好品のため、お客様にワクワクしていただきたいという思いが全ての判断基準になっていて、そこが本当に楽しいポイントだと思っています。社員の自主性が重んじられ、それが会社の推進力に繋がるので、一人一人が活躍できる土壌があります。組織が大きくない分、一人一人を見ながら評価もしてくださる点も含めて、やりがいを充分に感じられる会社だと思っています。

現役の奈良先端大生へのメッセージ

私もそうですが、将来の選択肢で希望通りに行かないことは多々あります。私自身、開発がやりたいと就職しても、商品の開発を含めた研究だけをずっとできるところは本当に一握りで、そうやって思うような形にならないことも多々あります。ただ、これは思い返してみれば、奈良先端大もそういうスタイルでしたよね。入学してから、研究室が決まる時、思っていた研究室にならない人だっていますし、研究室に入ってからも研究テーマが思ったようにならなかった人もいたはずです。今後も同じことが当然のように続いていくので、そこで一喜一憂するのではなく、その中でどうやってやりがいを見つけていくかを捉えていってほしいです。

ダメだったから、思うようにならなかったから、諦めるのではなく、そこで前を向くことが今後の社会生活でも必要なメンタリティが身に付くと思っています。その中で将来に向けて、どう爪を研ぐか、自分の知識を含めてトライしていくか、努力していくかも大事です。近視眼的にならず、一歩引いてマクロに見て、違う景色を見るようなトレーニングをしてほしいです。中長期的にはそういう視点、視座が、の経験が役立つような時は必ず来ると思いますので、諦めることなく、前向きな思考を持ち続けていってください。

奈良先端大を目指す学生へのメッセージ

奈良先端大の良さは、独立していることで、色々なところから人が集まってくることです。同じ研究室の中でも、全く違う学部から来ていることは、考え方、基礎素用が違う人達が多いので、本当に多種多様な思考に触れることができ、自分の知らない部分を得やすい環境にあると思います。

あとは、学部からそのままマスターに上がることで、続けて同じテーマで研究できるメリットはありますが、切り離されることで、限られた時間の中、結果を出すことも凄く魅力的だったと今は思いますね。その時はプレッシャーがありましたが、気分を変えて新しいことにトライできたことも含めて、環境だと思いますし、周りの皆さんがそうなので、やらないといけない、のんびりしていられないと、必然的に頑張らされてしまうという良いところもあります。

奈良先端大の研究生活で印象に残っていること

先輩後輩もとても仲が良く、先生も拘束するようなことはなく、自由で比較的ストレスはなく、研究室で過ごしていましたね。仲が良い研究室の一番の要因は、研究室へ配属してすぐに打ち解け合うことを目的にゼミ旅行がありました。教授の先生がその年、退官されるということもあって、みんなで記憶に残るようなことをたくさんしていました。結局、そういうことが後輩が付いた時など、スタートの部分でやりやすさに繋がっていましたね。

楽しい一方で、しんどかったこととしては、研究の結果が出なかったところです。なかなか最終的に思ったストーリーにはなりきらなかったですが、そこが歯がゆかった部分です。それと、特に研究職で就活する上で、当時はM1の10月頃から説明会が始まって、12月から年明け頃にかけて大手から試験が始まりましたが、7月の配属後に研究テーマをまともに理解していない、結果も何も出ていない中、採用面接に臨むことのしんどさは凄くありましたね。

奈良先端大で経験して、今も仕事で役に立っていること

私自身が現在は酒造メーカーにて、直接微生物を活用して食品を作り出す会社にいますので、微生物の知識は直接的に繋がっている部分もあります。また、今は開発や製造現場にいるわけではないですが、理論的に考えることであったり、問題があったりした時への解決の道筋を立てて考えていくかは、やはり役に立っていると感じます。

※この記事に記載した内容は取材当時の情報になり、会社名や役職名等は現在と異なる場合があります。

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