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大学生の頃に聴いていた音楽が、たくさん

ふと思いついて、Spotifyで大学生の頃に聴いていた音楽を集めたプレイリストを作った。
思い付くままにほいほいと放り込んでいったら、とりあえず作成しただけでも長さが10時間48分もあった。10時間48分。これらの曲を繰り返し聴いていたわけだから、大学生の頃はとんでもない時間、音楽を聴いていたことになる。
でも確かに、あの頃はたくさん音楽を聴いていたし、いろんな曲に出会えた。本当によかったと思う。
この記事はその頃の記憶を、思いつくままに振り返っています。長くなりそう〜。


学生時代のいろんな記憶をあえて捨てて、いちばん残っているのは、アパートにいるときや通学時間や、散歩中に音楽を聴いていた日々だ。あの頃はラジオを聴いていなかったから、そのぶん新しい音楽をどんどん吸収していった。

くるり、キリンジが多くて、ほかはCHARA、岡村靖幸、フィッシュマンズ、毛皮のマリーズ、東京事変、スピッツ…。どの曲も今も素晴らしく、思わず目を細めたくなるほどまぶしい。

当時はまだサブスクのサービスもなく、聴く形をiPodからiPhoneに変えたばかりで、駅前のTSUTAYAでアルバムをたくさんレンタルして、MacBookに取り込んでから聴いていた。もちろんワイヤレスイヤホンも、ノイズキャンセリング機能もなかったから、SONYの安い有線のイヤホンをiPhoneに挿して、服のポケットに入れて持ち歩いた。

学校やバイト先からの行き帰りは、いつも井の頭公園を通った。8月の公園の中を通り抜けると、木漏れ日はぎらついてまぶしく、子供たちがお母さんと一緒にはしゃいで遊ぶのを横目に歩いた。そのとき聴いていたのはくるりのTHE WORLD IS MINE。今でも1番好きなアルバム。

帰り道の夜の井の頭公園は、池の水面に電灯の光が写って、池の奥から手前へと白く伸びていた。水面に合わせて灯りがゆらゆらと光った。いつもその光景を眺めながら、キリンジのエイリアンズを耳に流した。彼らが立っていた新世界ってこんな感じなのかなと思いながら。またアルカディアも、その雰囲気にぴったりと馴染んだ。

また、坂道を降りながら、くるりのワールズエンド・スーパーノヴァを聴いて、リズムに合わせてずんずん歩くのもとても好きだった。強い気持ちになれた。なんとなく、自分のこれからの未来って明るいんじゃないかと、そんな気がした。

自宅のアパートのキッチンでタバコを吸うときは(今思えばきっとあの部屋は禁煙だった)、換気扇の下のゴミ箱に腰掛けて、キリンジをよく聴いていた。当時まだ彼らは兄弟で活動していた。フェイバリット、ニュータウン、BBQパーティなんかがぴったりだった。気だるい真夏の、光が差し込みすぎるアパート。アイボリーの壁。換気扇が静かに回る。あの時間がわたしは本当に好きだった。なぜかかけがえのない記憶として、心の中にいつも蘇る。

大学の授業の帰り道。雨の日はいつものように自転車に乗れなかったので、仕方なくバスに乗って駅まで戻り、あとは歩いて帰った。閑静な住宅街の細い道を通りながら、傘を差して歩くときは、キリンジの雨は毛布のようにを聴くことがお気に入りだった。その曲があれば、雨の日さえも憂鬱じゃなかった。わたしも水溜りをはねて駆け出せそうなくらい。

マルイのあたりの脇道を、キリンジのフェイバリットを聴きながら朝に歩いた気がする。あれは実家から東京に夜行バスで戻ってきて、その朝の帰り道だったか。夏だったか冬だったか。もうはっきりとは思い出せない。

恋愛に浸りたいとき、かなしい気持ちになったときは、aikoやチャットモンチーやCHARAをよく聴いた。彼女たちの音楽には支えられた。曲を聴きながら月を見上げたり、アパートで片膝を立てて椅子に座ってぼうっとしたり、めそめそしたりした。
逆に、YUKIを聴いて元気で跳ねるような気持ちになったこともある。そのときに歩いていたのも井の頭公園だったな。

デートに向かう道では、オザケンのLIFEというアルバムをよく流した。愛し愛されて生きるのさを聴きながら、軽快なギターに合わせてソールの薄いスニーカーを踏み締めて歩く。わたしもプラダの靴が欲しいのってワガママをいってみたいな、とか。

就活の時期は忙しくて、でもやたらにエネルギーに満ち溢れていたっけ。部活を頑張ったから(結果はそんなに残せなかったけど、友達もぐんと増えたし、わたしなりに打ち込んだ)、その努力を言葉にしたい、評価されたい、通用するのか試したい!と勝気なことを思っていた。
普段は乗らない地下鉄のホームで、東京事変の新しい文明開花を聴いたな。ワクワクしていたし、モノトーンのリクルートスーツを身につけていたけど、わたしはきっとキラキラした気持ちでいた。

卒業が近くなると、友達と集まれる時間がこれから減っていくのが、なんだかさみしくなった。オザケンのさよならなんて云えないよ(美しさ)を聴きながら、いろんな集まりに出かけた。あの住宅街の角を曲がったとき、メロディが流れていたのを、なぜかとてもはっきり覚えている。庭の木の形さえも覚えている。この曲はとても切なげで淡々としていて、でも大切なことを歌っているので、自分の中でも大切な曲です。

友達や後輩と、カラオケにしょっちゅう行っていた。もちろん飲み会の後で。そこで歌った曲もたくさんある。あの頃はあの人がまだいたけど、もうわたしの中からはいなくなってしまったけど、音楽の趣味が近かったから一緒にいろんな曲を歌ったね。あのころはよかったね。

映画のモテキを見て知った曲もあって、それで気になってCDを借りたこともあるな。あの頃はあまり人におすすめを聞かずに、自分で好きなアーティストをどんどん発掘していった。まだYouTubeも盛んに更新されていなかったのに、どうやって見つけたんだろう。笑。でもたぶん、Twitterでフォローしていた人たちが聴いていた曲を参考にしてたのもある。

思い出す季節はやっぱ夏が多い。うだるような暑さの中、アパートの近所の道を歩きながら聴いたのは、CHARAのo-ri-on。蒸し暑くまぶしい夏の夕方にぴったりだったね。

実家に帰省する新幹線の中で音楽を聴くのも、そう、大好きだった!!車窓から見える景色と、新幹線という空間に、くるりがとてもよく合うんだ。natsunoを聴きながら、田んぼが続く風景を眺めてた。
逆に東京に戻る途中の電車では、地元の山と空を眺めながら、グレイプバインの真昼の子供たちを聴いて、イントロのピアノにうっとりしたり。

キリンジが当時も大好きだったので、大学時代の思い出は必然的に多く結びつけられている。わたしは君の胸に抱かれたいを聴くと、なぜか雨の日の吉祥寺、東急デパートのあたりの道に曲の中の男女が向き合っているような、そんな光景が浮かびます。

あとさ、ほんとに長くなってきてどんどん書いちゃうけど、大学の図書館ではくるりの僕の住んでいた街のアルバムをよく聴いてた!
ガラス張りの個室があって、そこでパソコンを使ったり読書したりできるんだけど。そこであのアルバムを聴いたことをなぜか鮮明に覚えてる。個室で音楽をただ聴いていただけなのか…??なにか軽く読める本とか手元にあったのかな。でも曲に集中していたけど。笑


本当にあげればキリがなく、思い出と音楽が結びついている。
ああ、大学近くの大きな通りを歩きながら、スピッツの空の飛び方をいつも聴いていたっけ…。大学3年のころにスピッツにハマっていたんだよな。友達と好きな曲を話し合ったりしてさ。

地元に帰る夜行バスの出発時刻に、イヤホンで聴いたくるりのグッドモーニング。これは夜行バスに乗って旅していた人たちの曲だなって。新宿の街の真ん中で、わたしは少し嬉しかった。

手ひどく失恋して、やる気を失って大学を休んだ時期に、薄暗い朝?夕方?の部屋で流した、さよならストレンジャー。あのときのレースカーテンの白さをまだ覚えている。外の明かりが青っぽく、白っぽく、また灰色でもあったことも。ベッドにノートパソコンを置いて、ジョゼと虎と魚たちを見ていた。あのときは心がうつろだった。

夕方の公園の池にかかる小さな石橋を渡るとき、くるりのピアノガールが流れた。静かで残酷なメロディに耳をすませた。それがスロウダンスだった日もあったかもしれない。

生まれて初めてセックスを彼氏とした日、私は奇妙に浮かれていて、自転車を漕ぎながら、くるりのブルー・ラヴァー・ブルーを口ずさんだ。なぜその曲だったのかはわからない。処女喪失になんら関係ない曲だと思うけど。笑

あとね、そう、これはわたしの中でもまたいい思い出なんだけど、アパートから大学側と正反対の方向に、よく散歩をしていたの。特に目的地はなく、ふらふらと。それでも片道30分くらいは歩いた。
奇妙な道で、住宅街からだんだんお寺や林のある通りにつながって、その先にロイヤルホストがあって、そこを通り過ぎてかなり歩くと、TSUTAYAがぽつんとある。遠くには大きな道路があって、車が走ってる。その静かで薄暗くて、つかみどころのない散歩道がなぜかわたしは好きで、ときどき予定のない日にはひとりで歩いた。わざわざその遠くのTSUTAYAで映画を借りた。

そのときはくるりの真昼の人魚が、なぜかすごくその散歩道にあっていたな。ロイヤルホストに行ったことがなくて、いつもあの店の入店を躊躇っていたんだけど、今なら行ってみてパフェでも頼めばよかったかなーって思う。
ちなみにいちど、帰り道に自販機でドクターペッパーを初めて買って飲んでみて、まずくてすぐ飲むのをやめてしまった。笑

あとはきつい派遣のバイトの帰り道に、脚がクタクタになって聴いた、スピッツの夜を駆ける。軽薄な男の子たちのことを思い出す、ババロアや俺のすべて。
フィッシュマンズのいかれたBABYももちろん好きだけど、わたしはBABY BLUEのほうが切なくて好きだったな。
フジファブリックの銀河や虹を聴きながら、また友達とバンドやりたいなって妄想したり。
くだらないの中に、を聴きながら、まだ知らぬ愛について少し考えてみたり。


本当に長くなってしまいました。
でもわたしにとって、大学生の頃、つまり18〜22歳の感性が瑞々しくてエネルギーがまだきらきらとあったころと、好きな音楽は常に一緒でした。初めてこんなに明確に、まとめて振り返ってみたけど、振り返ってよかったです。とてもセンスのいい音楽を聴いていたと思います、我ながら…。
薄れていく記憶や、消したい過去ばかりだけど、でも音楽をたくさん聴いてきてよかった。よかったです、本当に。