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愛すること、恋焦がれること

「私をあたたかく包んでくれる上位存在は、時に自分自身で演じて、時に“誰か”を憑依させて、有り余る想像力を働かせて、そうやって、自らを満たしていくほかない。
それでも零れ落ちそうな欲望の行き場を、私はきっと他の誰かに、生身の誰かに、頼ることだろう。」

満たされない思い。愛情への飢え。私だけじゃないだろう。きっと多くの人が、少なからず、それを抱えながら生きている。

私を、そしておそらく人を、幸せにするのは 愛情だと思う。あたたかく、静かで、やわらかく、ずっと続いていく、無条件の肯定である。愛情は他者からもらうものとは限らない。自分で、自分自身のことを愛し、肯定することも愛情のひとつである。わたしはむしろそちらの方が本質ではないかとさえ思う。所詮他人に過ぎない他者に、愛情を依存すべきではない。他人の心変わりや状況の変化ひとつで輪郭が崩れてしまうようなもろい事象に、自分の明暗をゆだねるようなことをするな。自分の機嫌を取ってあげられるのは、他でもない自分なんだ。

…と、私は特に間違ったことを述べたつもりはないが、私は自分が、そして人が、そんなに強くできているわけではないことも知っている。自分はひとりでは生きていけないから。そして、これだけははっきりと言えることは、自分を愛せるようになることは、他者からたくさんの愛情を、できればなるべく早いうちから、何度ももらう経験を積み重ねてこそ、可能となるのだ。

私は欲深い人間だから、「もうちょっとほしかったなぁ」って、今でも思ってるよ。

「もうちょっとほしい」時に、いとも簡単に、恋情や欲望の沼へと引きずり込まれるのはなぜなのだろう。それは時に熱すぎるぐらいの熱さで、鮮烈で、刺激的で、気持ちの良い、一過性の快楽である。
そもそも、愛だの恋だの欲だのはその境目なんて曖昧で、わざわざそれらを区別しようと考えるほうがバカげているのかもしれない。それでもなぜだか 私は、自分が愛情と恋情の違いを分かっており、他の多くの人はあまり分かっていないだろうという錯覚に陥る。簡単だ。愛は私を幸せにするが、恋は私を気持ち良くするだけである。

愛や恋や欲に対する見解は、千差万別だろう。特にそれらが独立しておらず複合的なものであるという点において。その上で 私の話を続けると、恋という代物は別に 私を幸せにするわけではないのだ。

私が恋をするときに、私はこれでもかというほど“女の子”であり、私や相手の振る舞いは 典型的な男女の行動パターンに回収される。それは社会的に構成されたものである。恋という形式を通して 不慣れな社会参画を行うとき、私は驚くほどナイーブで、弱々しく、不器用で、それゆえ“女々しい”姿をさらし、自分の中でもそれを持て余す。
「可愛い」?そんな一言を投げかけられてしまった日にはお終いである。私には異性に話しかけられると好きになってしまう、しかもその思いを 1人で勝手に募らせてしまう 陰キャのキモオタクの血が流れているので、そんなことをされたらお終いなのである。チョロいのだ。ダサいのだ。バカなのだ。
そうして無事“女の子”の立場に甘んじた私を待ち受けるのは、男からの搾取である。この場で「悪い」フェミニズムや男性への非難をしたいわけではない。しかし、私個人の場合、自分の弱さや志向性ゆえ、女の子になることは搾取されることなのである。私の恋は、愛を含まない恋は、そうであった。

でもね、”女の子らしさ”の皮を被らせた自分のか弱さを、ナイーブさを、“男の子”にたまたま開示できて、うっかり気を許してしまって、私の強がりやプライドや社会への疑念なんて全て葬って、いたって素直に自分の弱さを認められて、甘くあたたかく優しい庇護がなされたとき、私は最高の幸せに似た何かを感じるのだ。そしてその鮮烈さが、頭から離れず反すうするのだ。

私が人を愛する時、そこに男も女もない。ただ、「私」と「あなた」がいるだけだ。これは1人の人に限った話ではない。肩書きや属性、ステータスなんかじゃなく、あなたの、私の中身そのものを見つめられるのが、私なりの愛だ。弱さをさらけ出し、受け止めてもらう、そしてそれを双方向で行うことは、別に、男や女という肩書きを借りなくてもできるはずだ。もう少し別の言葉で言えば、愛するということは、私がありのままの私に近い状態で、目の前のあなたと関係を築いていくことだ。それゆえ、必然的にある程度、「社会参画」から距離を取ることが必要だ。

私の愛する人?あんまり会えなくてもへっちゃらで、変なラインができて、2人だけの会話パターンができてて、いっぱいいちゃいちゃできて、私の話をたくさん聞いてくれて、穏やかで、やさしくて、あたたかい人。

私の恋焦がれる人?背が高くて、私より賢くて、余裕があって、どこかで見守ってくれる気がして、気づいてくれて、私を弱くさせて、図々しくも「女の子」として扱う人。憂いを帯びた目。輝かんばかりの笑顔。

今だけだから、どうかどちらも、大好きでいさせて。

2023.6.26

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