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【ディスク 感想】「ノスタルジア」 イリーナ・メジューエワ(P)

 イリーナ・メジューエワの新盤「ノスタルジア」(BIJIN CLASSICAL)を聴いた。

 タイトルのとおり、「ノスタルジー」をテーマとしたコンセプト・アルバムで、平野一郎を除くと、東欧・ロシアのスラヴ系作曲家のピアノ小品が収められている。収録時間は50分にも満たないコンパクトなアルバムだが、ショパンのマズルカやドヴォルザークのユモレスク、バルトークのルーマニア民俗舞曲などの有名曲から、スクリャービン、メトネル、ヤナーチェクの小品、平野の作品まで、選曲は多彩だ。

 メジューエワは、ヴィンテージ・ピアノ(1922 NY製スタインウェイ)を駆使し、より自由さと柔軟さを獲得した演奏を繰り広げている。ホールの残響を心持ち多めに取り入れた録音も相まって、たっぷりと潤いを含んだ歌が、静謐な余情をまとって生み出されていて、惹きつけられずにはいられない。彼女が持ち前のタッチとペダリングの技に磨きをかけ、古いピアノの独特の響きに、無限と言いたくなるほどに豊かな階調をもたせていることが、そうした印象を強めているに違いない。

 メジューエワの、幅広い表現力にも驚嘆する。各曲の作曲者の独特の書法や息遣いを具現化する様式感のたしかさ、曲ごとの性格の描き分けのこまやかさはいつものことながら、ドヴォルザークの「ユモレスク」のような単純な音楽からも幾層にも重なった情感が溢れ出てくるあたり、もはや名人芸と呼んで差し支えないのではなかろうか。

 あるいは、バルトークのルーマニア民俗舞曲は、どこまでも純化された演奏なのに、どこか土の匂いがして懐かしく感じるあたりも同様だ。

 そして、得意のメトネルの「おとぎ話」Op.34-2。左手の目まぐるしく動くアルペジオは、もはやピアノの音ではなく、逆巻く波や、吹きすさぶ風のような自然の音そのもの。つい超一流の噺家の語り口と重ねたくなる妙技である。

 一方で、平野の作品での、手加減の一切ないアグレッシブな抉りには度肝を抜かれてしまう。彼女の実演を初めて聴いたとき、あの華奢な身体のどこからこんなに強烈な音楽が生まれるのかと、思わず舞台を何度も見直してしまったが、そのときの感覚を生々しく思い出してしまうほどだ。

 ほかにもメジューエワの演奏の素晴らしさを挙げればキリがないが、ライナーノートに掲載された、メジューエワ自身の手によるエッセイにも激しく打たれた。

 詩情にあふれた薫り高い名文は、まさに「ロシア文学」だ。

 そこで綴られた体験や情景は、メジューエワのきわめて個人的な思い出に属するものであり、彼女がそれらに対して感じるノスタルジーも、彼女固有の感情と深く結びついている。

 しかし、彼女の文章に惹きこまれて読んでいるうち、それがあたかも私自身の体験であるかのような錯覚に陥ってしまうのだ。

 完全に失われてしまった過去と向き合うとき、人は「ノスタルジー」の語源に含まれる「痛み(algos)」を感じる。痛みを伴って動いた感情は、それが強ければ強いものであればあるほど、過去と現在、死と生の相克を生む。苦悩を抱えた魂は救いを求め、永遠への憧れ、祈りの中で浄化されていく。

 書き手が自身の体験を淡々と語った文章から、その一連の過程が「詩」として立ち昇ってきて、読み手の心の中へと入射して新たな心象風景を生み出す。

 そう、それは彼女が奏でる音楽のありようそのままである。

 演奏者の「個」の内奥から一人称単数で奏でられた音が、一人称複数の「普遍」として聴き手と共有され、やがて受け手側の交換不可能な一人称単数の体験として還元、内面化されていく。メジューエワの演奏を聴くときにいつも体験することが、彼女自身の文章を読んでいても(翻訳はされているが)寸分たがわず起きるのだ。

 音を聴くだけでけも、十分に楽しい。しかし、メジューエワ自身が紡いだ言葉とともに音楽と向き合うのは、さらに刺激的だ。演奏家の内的なイメージや思考に想像を働かせつつ、音楽について、人生について、ときには世界について思考を巡らせる。そして、繰り返しそこを訪れ、その都度、新しい場所への旅に誘われる。音盤ならではの愉悦を、このメジューエワの新盤で心ゆくまで味わった。ヤナーチェクの「ふくろうは飛び去らなかった!」がとり上げられている理由が、うっすらと述べられているのも嬉しい。

 とは言え、私自身、演奏者や制作者の真の意図を理解した訳ではない。どうして今回のようなアルバムが編まれたのか、知る由もない。エッセイに「ウクライナ」という名詞が出てくるが、録音はロシアのウクライナ侵攻前(2021年11月)だから直接の関係はないはずだ。

 しかし、2022年秋にこのディスクを手にした聴き手は、亀山郁夫氏がライナーノートで書ているように、「鎮魂」という言葉を重ねずにはいられない。今の私たちを取り巻く環境と、彼女の音楽と文章にある、二度と戻らない過去への憂いを孕んだまなざしゆえに。

 小林秀雄は、歴史とは思い出である、というようなことを書いていた。その言葉をいったん正しいものとして受け容れ、何年かのちに2022年をノスタルジックに回想するとき、私たちは、そして、次世代の人たちは、どのような「思い出」に直面し、それを音や言葉として表現していくのだろうか。

 明るくポジティブな想像は、残念ながらできない。でも、それでも私たちは生きていかねばならない。しんどいことだ。だからこそせめて、この「ノスタルジア」を聴き、こんなに心を打つ芸術が存在する世界は、まだ生きるに値する場所だと思えたことに感謝したい。たとえそれが束の間の幻想であったとしても。

【曲目】
ショパン:
 マズルカ 嬰ハ短調 作品 50-3
 マズルカ 嬰へ短調 作品 59-3
ドヴォルザーク:
 ユーモレスク 変ホ短調 作品 101-1
 ユーモレスク 変ト長調 作品 101-7
バルトーク:
 ルーマニア民俗舞曲 Sz.56
スクリャービン:
 二つの小品 作品 57(欲望 / 舞い踊る愛撫)
メトネル:
 おとぎ話 ホ短調 作品 34-2
 おとぎ話 イ短調 作品 51-2
ヤナーチェク:
 ふくろうは飛び去らなかった!(草陰の小径 第1集より 第10曲)
平野一郎:
 二つの海景(♀:祈りの浜 / ♂:怒れる海民の夜)
【演奏】
イリーナ・メジューエワ
(ピアノ…1922年製NYスタインウェイ)
【録音】
2021年11月9日~10日
相模湖交流センター
STEREO / 192kHz+32Bit 録音


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