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僕が45歳で死ぬと決めている理由

どうも、アフリカの人たちに向けたTwitterアカウントを作ったらそっちでもアンチが速攻でてきて「日本でもアフリカでもすぐアンチできるのは才能だったんか〜い」と突っ込んでしまったアフリカ系男子のナイケルです。



僕は、高校生ぐらいのときから「自分は45歳で死にます」と世間に公言しています。


なぜそんなことを言い出しているのか、その理由とメリットをお伝えしたいと思います。




親父が45歳で死んだ


僕が中学校のとき、親父が他界しました。


父はテニスで国体に出るくらいの実力で、健康にも常に気を使っていて、僕の記憶では風邪を引いてる姿は3回くらいしかみたことがありませんでした。


そんな父がある日体調を崩し、いつもなら翌日には治っているのに、数日経ってもよくならない。それで精密検査をしたんだと思います。


翌日に、母親が急に夜部屋に入ってきて「お父さんガンだったんだ。しかも結構よくないから、覚悟はしておいてね。」と言われました。


それから1年後、親父は亡くなってしまいました。


実はうちの家系はガン家系で、親戚含め、男性は40〜50代で亡くなってしまっている人が多いのです。


そう思ってから「自分も可能性的には短命であろう」と中学生のときに自分も45歳くらいで死ぬと思うようになりました。



早めな死ぬ時期を決めておくと時間の大切さに気づく


確か80歳以上の方でしたかね。その方々に「後悔してることはなんですか?」というアンケートを実施した結果をみました。


その結果の半分以上が「チャレンジしなかったことへの後悔」をあげていたんですね。


80歳でも出来るチャレンジはありますが、中にはそのときじゃないと挑戦できなかったものもあったでしょうし、年齢的に今はできないことも含まれています。


「45歳で死ぬ」と考えることによって、例えば今の僕は34歳ですから「あと11年しかない」と結構焦る精神状態になるんです。


そうすると自ずと1日1日を大事に使おうと思いますし、多少のリスクがあっても「これやらんかったら45歳のときに絶対後悔する」という想いが上回るので、とにかくやるという決断になることが多くなりました。



絶対死なないけど死ぬ日を決めるのはあり


僕がよく講演会とかで質問をいただくのは、「なんでそんなリスクを考えずに挑戦できるんですか?」というものです。


それについては「近々死ぬって思えば、ほとんどリスクなものなんて無いです」という答えになります。


ですので、もしも「自分はなかなか挑戦できない」とか「毎日を無駄に過ごしてしまう」という人は、自分の死ぬ年齢を少しはやめな歳で設定してみるといいかもしれません。




では、有料で今週のぶっちゃけトークです。


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