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メイクと、わたし


中学3年生の時、コンプレックスだった眉毛をそったのが私のメイクの始まりだと思う。

今、内観ゼミで「優等生」と言われる人たちに出会うと自分が、かなり思い切った人だったのかもしれないと気付く。
ただ、私はいわゆる「不良」ではなかった。勉強はできた方ではないが真ん中くらい。服装の乱れも自分に似合うようアレンジしただけで目立って悪い服装ではなかった(はず)
私は色々な校則が理不尽だなと思えば、守らないことが悪いことだと思ってなかっただけ。
こういうのが、一番「面倒な生徒」なのかもしれないと大人になってから思う。

私が高校生になったとき、コギャルやアムラー(安室奈美恵)全盛期だった。私は地味なほうの生徒だったと思うけど、それでも女子高の中では地味だっただけで、共学の例えば部活を頑張ってるような女子高生からすると派手だったのかもしれない。
そういえば、香水をボトルのまま持ち歩いていて驚かれた。詰め替えるのが面倒だっただけなのだけど。

「リキッドアイライン」を始めて知ったときの感動を覚えている。藤原紀香がCMしていた。友達に引いて、と言われてやってみたけれどガタガタになってしまって、申し訳なかったけど悔しくもあった。
色々なアイラインを買って研究してみた。カネボウはもちろん、ボディショップも流行ってた。引きやすいか引きにくいかは、筆先の長さと持ち手から筆先の距離、筆の硬さによるものだとわかった。
持ちてから距離があったり、筆先が柔らかくしなりすぎたりするとブレやすくなる。

当時「一重メイク」「二重メイク」が流行っていて、一重の友達が二重が羨ましいとしきりに言っていた。確かに彼女は三白眼気味で、可愛いというよりクールな顔立ちだった。
ただ、その雰囲気は目の形が理由じゃないんじゃないかな、とぼんやり感じていたが、二重の私が何か言うと怒られそうだから黙っていた。
女子高はマウントとコンプレックスと安いコロンの香りが乱れあう世界。

私にとってメイクは特別なものじゃなく、いつもそばにあるものだった。お菓子作りやマフラーを編むことと変わらない。

メイクすることで、自分の顔が整う。
「自分の顔を好きになる」という表現には、どうも抵抗がある。
好きになるためにメイクすると思うと、力みすぎる気がする。ただ整えるだけ・・長年の習慣でずれてしまったものを、少し元に戻すだけ。できれば、こうだったらいいなと思うことを叶えるだけ。

「顔」は、マンションの共有スペースだと思ってほしい。適切なメイクがされてない顔を見ると、絵のかかっていない応接室。
喫茶店なのにソーサーのないティーカップ。掛け軸も花もない旅館の床の間のよう。

メイクしないことがポリシーである人の場合は、また少し違った印象だ。室内というよりは庭を思い浮かべる。
ナチュラルな草原かもしれないし、刈り取られた稲やワイルドな野草を思い出すこともある。


結局は「演出」として成り立っていればいいと思う。薄くても濃くても。

1番中途半端なのは「なんとなくほったらかし」だ。

どんなスペースか意図を持てば、飾る花も絵も変わるだろう。その人の持つ雰囲気というのがそれにあたる。

普段メイクをしない人は「ルネッサンス調でなければ」みたいなイメージを持っている人が多いように思う。

マンションの共有スペースが時として、唐突にダサいように。

和モダンでもいいし、カフェのような雰囲気でもいい。

内観心身美×メイク3/15は、そんなことを思って提案したいと思っています。ゆっくり話をしましょう。

眉をどうしたいか?
どんな眉を美しく思うのか?
どんな女性が美しいと感じるのか?

そして、自分の顔に対して思うこと。

◾︎持ち物

ティッシュ
綿棒

アイブロウペンシル
アイブロウパウダー
眉ブラシ
チーク
ハイライト
チークブラシ

メールに推奨品を書いておきますので、お持ちでない方は、ご購入ください。

◾︎日時
3/15(金)12:00〜15:00

◾︎場所
大阪市内(中崎町近く)

■お申込み締め切り3/10まで


ちなみに一緒に開催します、もんのうちえりこさん
メイクについて内観されました。

色々やりましたの
プチプラでok!

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