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書籍「インド密教史」で金剛界系のダメさを学ぶ-①

長い年月をかけて世界を駆け回り密教の歴史を追い求めてきた偉大な学者さんが、学者人生の総括の一冊としてまとめた書籍ということで、敬意を持って読ませていただきました。
本来は、経典・教学・曼荼羅の変遷の歴史を、主に仏教美術に関心がある人達が学ぶことを想定しているのであって、ボクのような密教の実践の側(しかも真言宗ではなくて阿含宗)の人物が読むことは想定外だったと思うのですが、こちら側であるが故に気づいて、改めて学ぶところがありました。

歴史的経緯に踏み込んで密教を学んでみたい人にはオススメです。

ここからは、この書籍を読んで、ボクが理解し考えたことのまとめです。

この書籍で金剛界系の歴史、即ち理趣経から金剛頂経成立の過程を見ていくと「金剛界系の教義を考え出した連中は頭がイカれている」と確信を持って断言できます。

仏教の経典なのだから高尚で尊いものだという先入観は捨てたほうが良いです。
特に金剛界系、あれはダメです。
つまるところ

ものすごく秀才でものすごく頭が悪い官僚系エリートが、後付あとづけで無意味な屁理屈を付け足して、ぐちゃぐちゃな教義にしてしまった何か、それが金剛界系の教義です。

これがボクが「インド密教史」を読んで理解した結論です。
そして、ぐちゃぐちゃになったポイントが2点あります。

  1. ヒンドゥー教との信者獲得競争

  2. 秀才だけど頭が悪い官僚系エリート僧侶の跋扈

このnoteは、この2点に限定して書きます。
具体的に金剛界系の何がダメなのかは次回以降に書きます。


ヒンドゥー教との信者獲得競争

インドにおける仏教変遷の重要な要素のひとつに、他の宗教との信者獲得競争があります。
書籍の中で、仏教側がヒンドゥー教の神々が改心して仏教に帰依したという体裁で新規に制作した金剛界系経典や曼荼羅に諸天善神として組み込まれていったとあります。あの経典がこうで、この経典がこうだから、こういう変遷の過程がわかるという事例が研究結果として、たくさん書籍に記載されています。そこに、それらの他宗教の神々が組み込まれていった歴史も刻まれています。

これはつまり「最近、世間では◯◯神というのが流行しているから、うちでも取り入れて信者獲得しようぜ!」みたいなノリです。
日本でも本地垂迹ほんじすいじゃくといって変なことをやっていた過去があるし、現代でも幸福の科学で大川隆法が知っている人物が登場して(彼が知らない偉人はたぶん出現しない)霊言と称して語らせるのと同じです。もし、その人物に語らせた霊言を教団の教義教学の新理論として付け足しているならば古代インドの金剛界系経典増強増築の過程そのものです。

仏教の変遷において、内部事情だけではなく、外部要因によって変遷をせざるを得なかったという部分は、今回の書籍のテーマ外と思われて、著者さんはサラリと書き流しています。
あくまでも書籍のテーマは変遷の結果、変遷の歴史の説明なので。
でも、もしも、なぜ変わらざるを得なかったのか?を考えたいと思ったならば、外部要因を考えることは重要だと思います。

秀才だけど頭が悪い官僚系エリート僧侶の跋扈

「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」がぐちゃぐちゃにしてしまったの具体例を仏教外で説明します。

大日本帝国軍は、組織拡大や国家予算獲得のために侵略戦争を開始したけれど、侵略戦争とは言えないから、暴支膺懲・八紘一宇・五族協和・大東亜共栄圏といった後付の屁理屈をでっちあげて自己正当化し、正義の大義名分を掲げました。軍部に所属していた「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」がやったことです。

現代においても、省庁の名前は書かないけれど、異次元の少子化対策という大義名分のもと、自分たちの存在意義を主張するために、効果がない政策を次々と生み出して、資金不足を理由にして、実質は税金なのに税金ではないと屁理屈をでっちあげて国会を通さずに自分たちの一存で社会保険料をバンバン引き上げている「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」が、今、まさに霞が関で大量に跋扈しています。

これを仏教でやると金剛界系の教義になります。
宗教なのだから、そんなことはない!と思うなかれ。
古代において政治行政に関わる血筋ではない秀才たちの有力な就職先は僧院になるのだから「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」が集まることになって、その結果どうなるかは昔のインドも、現代日本も同じですよ。

  • 書籍「インド密教史」で学ぶ金剛界系の教義と経典の変遷

  • 「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」が集まってやりそうな事

これを総合的に考えたら、金剛界系仏教の変遷の実際の姿が想像できます。

ヒンドゥー教その他の外部の宗教との信者獲得競争に勝つために「何でもいいから新しい信者獲得手段を考えろ!」という号令がたぶんあって、誰かがでっちあげた頭のイカれた新理論を採用した。

その新理論が大当たりして流行してしまったので、新理論をでっちあげた本人たちは、そのイカれた新理論を信じていたかどうか知らないけれど、もう引くに引けなくなり、次々に屁理屈理論を追加して、曼荼羅という美術作品も作って、トンデモ理論の瞑想方法もでっちあげて、虚構の新理論を組み上げた。
※トンデモ理論の部分は次回のnoteに書きます

僧院に就職した「秀才だけど頭が悪い官僚系エリート」僧侶が、自分の存在意義を示すため、自分が頑張った人生の痕跡を残すため、自分のお給料分の働きをするため等々の様々な理由があって、さらに荒唐無稽な理論の追加を重ねていった。

このようなことは「インド密教史」の書籍には書かれていないけれど、読んで学んだことを俯瞰的に考えてみれば、これがインドにおける金剛界系仏教の変遷の実際の姿だろうと想像できるとボクは思います。

コンピュータ・ソフトウェア開発・保守の現場にいる人は
「あぁ、作り直しも保守メンテも何もかも困難になった、スパゲティーソース化した、我が社の担当するシステムのことですね」
と涙する人がいるかもしれません。
それです、それ。あなたの気持ち、ボクもよくわかります。

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