思い出は定期的に思い出そう

当たり前のことかもしれないがふと思った。

Twitterを見てたらメッシのユニフォームを着た少年が写っている投稿があったのだが。

それを見た時ふと小学校時代の塾にいた、メッシってあだ名で呼ばれていた友達のことを思い出した。

そのことはもう音信不通であり連絡手段はなくどこで何をしているか知らない。

ということは、Twitterであの投稿がたまたま目に入らなければ一生記憶の底にあったかもしれないのだ。

別に思い出す必要のない事柄なのかもしれないが、そういうものほど思い出す機会は少ないということでもある。

思い出して何かの得になるようなことではないが、忘れてしまうのは何か悲しい。

どうでもいいことほど覚えていたい。これは昔から自分のモットーでもある。

意味あることを追いかけても、死ぬ時には意味があるとかないとかなんて関係ないんだ。

なら、今意味あることを覚えるのではなく、自分しか覚えていないようなことを覚えていたい。

そういうものに価値を見出している。

形あるものはなくなる

これは自然の摂理だ。

どんなにでかくても、どんなに厳重にしていても、避けられない。

人が死ぬ時は忘れられた時だ。

とはうまく言ったものだ。


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