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パートナーシップと平和

3月21日は、18年の歳月を共に歩み
今の私を支えてくれてる
掛け替えのないパートナーのお誕生日

彼は、私の2拠点ある生活の横須賀の家で暮らしてる
世間一般で言うと「元彼」って存在

元彼なのか現彼なのか…
私には、どっちでも良い
彼氏とか彼女とか、旦那さんとか奥さんとか
友達だとか、なんだっていい
周囲の捉え方に任せてます。って感じです

私にとって大切な人

そして最も重要な
一緒にいたいか、いたくないかの判断で
一緒にいたい。と思える1人。

一緒にいたい。と感じる相手と時間を過ごす
ただ、それだけ。

私には、もう1拠点の生活の場の南伊豆に
もう1人の男性パートナーがいる
彼とは6年の歳月を共に歩んで来ていて
彼もまた、掛け替えのない存在の1人。

パートナーの定義ってなんでしょうね?

私には、共に支え合う関係性の人
信頼のおける関係性で、目的が同じ心で生きる人
男性、女性に関わらず
心が通い合う相手で、どんな状況でも助け合える相手をパートナーと定義する。
そして、そんなパートナーたちのお陰様で生きていられる。

現在の私は、セクシャルな肉体の触れ合いで
女性に魅力を感じることはなく
男性にセクシャルな魅力を抱く
私にとってセクシャルな面て、非常に繊細な領域。
肌が触れるって、不和不快を非常に敏感に感じる

なので、肌の触れ合いが出来る相手は非常に稀で
この方、マッサージですら受けに出向いたことがない。
触れられたい。って思う相手に出会えることは…
これまた奇跡みたいなものだ。

セクシャル面に関わらず
自分の不和不快には、非常に敏感な質なので
不和と不快のない自分の感覚選択で生きてきている

自分に正直に…素直に
自分の心に嘘つかず、嘘つけず
向き合う相手に、自分の本音で生きてきた

そもそも全く違う人間同士なのだから、合うはずがない
そんなの大前提の元
そんな全く違う人間と過ごす時間に、心地良さを感じ合えたら
それは奇跡の始まりだと思う

めちゃくちゃ我儘なのに…
そんな我儘を受け入れてくれる
私がパートナーと呼ぶ存在が沢山いる
男女問わずで
私の人生のパートナーたち、私が存在出来てるのは
そんなパートナーたちの存在あってでしかない。

私は女性としての意識があるから
男性を異性と認識して向き合うけど
その前に、人と人として向き合う
その人の人間性と向き合う
そこからの男女の視点となる

私の経験上では、関わった男性に優しくされなかった経験はない

だから、男性は非常に優しい生物だと思っている
シンプルで単純で、純粋な生物だと思っている
そして、子供と同じ様な質を持つ生物だと思っている

男性諸君の皆さま、生き物扱いしてごめんね。
子供同様と捉えて、すみません。

でも、私の中では…私も含めて全て生き物だと思ってるから
自分と違う奇妙な生き物たちの集合で、この世界は成り立っていると思っている
その生き物の生態が奇妙で興味深いと、妙に惹かれてしまう(笑)

自分に無い、と奇妙センサーに引っ掛かり、惹かれてしまう。
それが何なのか?確認したくなってしまう
そんなことを繰り返して、分かったことは
自分にある同じものには惹かれない。ってこと。
「違い」に惹かれるんだってこと。そこに魅力を感じるんだ。ってこと
同じじゃないのに惹かれるんだからね。
不思議だな〜って思って来てたけど

それはきっと、この世界の真理みたいなもので
男女の存在は究極の違いの凸凹。
無いを埋めたくなる欲求なのかもしれない。
同じ人間だけど、そもそもで違いすぎるんだから
男性を理解出来るはずはない。

理解しようと思わない。理解されようと思わない。

同じじゃないんだから

これって、男性に限らずで女性に対しても同様
「そもそも、あなたと私は違うんです」

これをはっきり伝えると
意外にも「ガーーーン」てなる人が少なくない。
と近年になって知った。

大概の衝突や争いは
自分の欲求という、相手には関係無いもの求める事から
災いは起きるんだと思う
近い存在になればなるほど、この感覚は強くなるらしい…
7才頃に母親に「親子だって他人だから」って言って
めっちゃ怒らせた経験がある。
だからと言って、自己欲求を抑える必要もなく
そのまま出せば良いだけだと思う
言いたい事は伝えたら良いだけ。

そこから先は相手がどう受け止めるか?でしょ。
相手は自分と違うんだから。
相手の捉え方の問題だと思う。

欲求通りに行かない事や思い通りにならないから
怒って腹立てて…滑稽です。
そして、それが人間ていう生き物みたいです(笑)

多くの人間観察をしながら、自らのパートナーシップを築いて来て
大概の衝突や別れって、感情の乱れと混線。これが要因になる。
それを表に出すか出さないかは個人の違いで、
出せてぶつかり合えて、話し合えたらラッキーなんだと思う。

“話し合うこと”がきちんと出来る相手でないと
健全で良好なパートナーシップを築くって、難しい。
経験上、非常に大事なポイントだと思う。

イヤなことから逃げない。
不和や不快は「自分が感じてるもの」で、
それには要因となる原因がある事だけど
相手は違うだけの存在なのだから、
その不和や不快は「自分の感情や心」なのだ。

相手ではない。
相手のせいではない。

私はそう思って生きている。

ただ、相手はそうなだけの存在。

その違いを受け入れることが出来るか出来ないか
シンプルなことだと思う。
受け入れられない。は自分の欲求が強いからだと思う。

男性って、小学低学年みたいな少年な感じで
無邪気な人が多いと思う。おじさんになったって同じで、
7、8才の子に相手のことを理解しろと言ったところでね〜
感覚は子供だよ(笑)って感じ。
でも、代わりにとってもピュアだから感じることは出来てるんだと思う。

そこに、多くの女性は大人の男!って定義付けて
ガミガミ言うんだなぁ…トホホッだよね、男性諸君
私も女だから、時々やらかして反省すること多い(汗)
ハッとして気づいたら、直ぐに謝るけどね。

私のパートナーシップの実情は
こんな感じの思いや考えの上で成り立って来ている。

昔から「付き合い」で行動しないので
男性とも付き合った経験は、男女を知った中学生の時の一度だけ。
付き合うというカタチにハマったら、不自由でしかなかった。
そして、流れで結婚というカタチにハマっても、不自由でしかなかった。
カタチから入ると不自由でしかないので、カタチは私には重要ではない。
そんなおかげでなのか
過去に深く関わった男性とは、現在もパートナーシップは良好です。
(元旦那様を除いてはね。彼は現在も刑務所暮らしなので)

信頼できるパートナーは、本当に心の支えです。
そして、私の大事な宝物で財産です。

一緒にいたい。と思える相手と一緒に居られるって幸せなこと。
身体は一つしかないから、今の目の前で向き合える相手との時間は
とっても貴重な時間。
その時間を共に過ごすって、違いを受け入れ合うしかないんだよね。

大きな争いの戦争と、日常の人間関係の争いの要因は同じだと思う。

世界のLove &Peace の以前に
自分の視野の範囲のパートナーと良好に過ごせてないのに
大きな平和を望む人間て、何とも矛盾した生き物だと思う。

結果、人間ですもの…

平和を多くの人間が望む。
ならば、パートナーとの関係性から見直して
「愛し合うこと」を現実で体現して経験することは重要だと思う。

愛することでしか平和は訪れない。
経験上、そう思う。

愛されたい、は争いと困窮の源だと思う。

「愛したい相手をとことん愛する」

そして相手を通して、自分の在り方を平和にして行くことが
世界平和への一番の近道だと思う。

生きてると波風立つのは当たり前

それは自然現象だと捉えるくらいの
俯瞰力と、身のこなしを育むことが大人になるって事で
大人の関係でより良いパートナーシップを継続させる鍵だと思う。












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