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フラガール

私がフラに出会ったのは小学生ぐらい。
おばあちゃんがお稽古で通っていて、披露パーティーみたいなのがホテルであるからとお呼ばれしました。元々派手でハイカラなおばあさまですが、その日は柄っがらのどピンクのお衣装で、何か叫んでから踊り出すんですね。母と真似をしながら帰ったのを覚えています。パンチが強かった。

そんな私が大学生になってフラというハワイの伝統文化に真正面から向き合うことになるとは微塵も思っていませんでした。曲の始まりにはカヘアという掛け声でミュージシャンと合図を送り合うという、おばあちゃんの叫びの正体もそこで知ります。
今はもう離れてしまったけど、私の表現にはフラの魂がきっと宿っているのです。

いきなりフラの大会の審査基準が面白いという話をするので、成り立ちとかが気になる方はググるか私の卒業論文を読んでください。

毎年日本各地でコンペティションが催され、ハワイではメリーモナークという、とんでもなく大きな大会がハワイ中を巻き込んで毎年行われているのですが、常連校やプロになればなるほど、正直順位なんてわかりません。だって踊りの基礎が違うんだもん。同じ曲でも振り付けは異なるし、同じステップ名でも違う動きだったりします。
フラには流派みたいなものがあって、それぞれハワイにお師匠様的な方がいらっしゃいます。日本のお教室はその分家みたいなものだということが多いです。
なので、この曲は難易度が高い、このテクニックができたら高得点、この形通りだったら上手いという話ではなくなってきます。

じゃあ何が審査基準か。
「曲を正しく解釈して、それを体現しているか」
なんですね。これが私がフラで1番面白いと感じる要素だと言ってもいいかもしれません。フラの曲はハワイの神話や歴史を歌ったものが多く、歌詞だけを聞くと自然の豊かさや有難さを表現したものにも聞こえますが、雨ひとつとってもそれが女神を表していたりするんです。しかも曲によってはその女神が市民から崇められる存在だったり、夫から愛される妻として描かれていたり、あたたかい母親として捉えられていたりします。恵みの雨なのか、悲しみの涙なのかという解釈もあったりするわけです。

それを理解するためには作者やハワイの土地、歴史を勉強して、何を感じて何を伝えようとしているのかを知る必要があります。そうして得た情報をファクトシートという論文のようなものに書き記し、なぜ今自分自身がその曲を選ぶ必要があったのか、どのような考えと気持ちで踊り、さらにそれをどうやって表現するのかまでを明記した上で披露します。だからこそ衣装の色や形、陣形、表情、曲のスピードやアレンジ、全ての整合性が問われる。そしてそれを体現できるだけの踊りの技量があることが不可欠。ねぇ、面白いでしょう‼︎

私はこの独特な文化に魅了されてしまったわけです。曲に合わせて踊ることは物心ついた頃からずっと好きでしたが、これほど人の想いや歴史を肌で感じて、背負って踊ることってありませんでした。
日本人だからこそ、ハワイアンではないからこそ、それを表現するにあたってより責任を感じていました。私が踊ることで「伝統」文化ではなくなってしまうことがあってはならないし、でも現代の自分が踊る意義を見出す必要もある。それを誰かに強いられるわけではなく、そうしたいと自然に思わせるあたたかいくて優しくて揺るがないフラが大好きでした。

この考え方を身につけられたことは財産だなぁと日々感じています。役や振りをいただいた際には、その子やその動きにすごく愛着が湧きます。役そのもののことも考えますが、自分が演じる必要性も考えるから。そこで自分の考えや今の気持ちだけで役に浸透すると、演出家や振付師の意図せぬ方向に進んでしまいますが、ファクトシートを書いた時みたいに全てを知り尽くして組み立てると筋道が見えてきたりする。それが見えないままのときは、頭で考えるのはやめます。というか、見えそうなときだけ考える。
日常生活でも同じかもしれないです。相対した事物のことをたくさん観察して、自分との関係性も俯瞰で見て、最後に主人公を自分にして何を思うか考えるという作業をとり、自分がそこにいる意義を見出す。だから少し嫌なことがあっても、その道を今私が通る必要があったんだって思えちゃう気がします。
この考え方をしているからでしょうか、クールだよね、ドライだねって言われたりします。感情が先行してないから確かにそう見えるかもしれない。でも組み立て方はハードだけど、めちゃめちゃソフトなものを組み立ててるから、意外と感情的だったりもするんですよ。

そしてもうひとつ、
「意図しなかったところに面白さが生まれる」のはまた別の話。
これだけ向き合ったのに全部持っていくやん!みたいな部分も愛することが、楽しく生きられるコツなんじゃないかなって思ってる。

フラを学んだことで、その文化や形成過程を大切にしたいと思えたからこそ、切っても切り離せない自分自身も大切にしてあげられるようになった気がします。ちっぽけな人間かもしれないけど、大きな時の流れの中の何かのピースであること、既に誰かに関わっている人間であることを忘れずに、一歩ずつ一歩ずつ、時には大胆にそこに居る意味を考えながら日々を過ごしたいと思います。

さて、フラモチーフのLINEスタンプを作成しているので、よろしければ。


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