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エジプト人初ロマンチック歌手アブデル・ハリム・ハーフェズ

エジプト人初ロマンチック歌手・アブデル・ハリム・ハーフェズ (1929-1977)は、アラブ地域全世代の人々に愛され続ける大人気歌手、俳優。

指揮者、経営者、音楽の先生、映画プロデューサーでもあった。

☆幼少時代☆

4人目の子供として誕生するが、母親は産後の肥立ちが悪く、彼を生んだ3日後に亡くなり、父親はその5年後に亡くなる。

児童養護施設で育ち、その後、叔母叔父夫婦に育てられるが、その間はとても貧しい時代を過ごした。

小学校の頃から音楽の才能を発揮し、14歳でカイロにあるアラブ音楽インスティテゥートに所属し、モハメド・アブデル・ワハブを歌う少年として有名になった。

☆歌手として☆

カイロのナイトクラブで歌手として活動をしていた時、ラジオ番組で歌った所、その歌を聞いていたエジプトナショナルラジオのハーフェズ・アブデル・ワハブに見いだされたことから、ハーフェズをステージネームの名字として使うようになる。

キャリア初期の頃、彼の新しい歌い方は受け入れられなかったが、自分のやり方に拘り続けた結果、全ての年代から愛される歌手となる。

エジプト初のロマンチック歌手。

有名な作曲家のモハメド・アブデル・ワハブと共に沢山のラブソングを世に発表する。

☆曲リスト☆

Ahwak ("I adore you")
Nebtedi Minen el Hekaya ("Where should we start the story")
Fatet Ganbina( "She passed by us")
Zay el Hawa ("It feels like love")
Sawah ("Wanderer")
Hawel Teftekerni ("Try to remember me"),
Aye Damiet Hozn ("Any tear of sadness"),
Mawood ("Destined")

彼のコンサートは常に売り切れで、アラブ諸国の殆どの国でコンサートをし、ヨーロッパでもコンサートを開催。

高い人気にも関わらず、ライブシンガーとして活躍したので、スタジオアルバムの数はあまりない。

260曲以上を残す。

演奏家としての腕もよく、オーボエ、太鼓、ピアノ、ウード、ギターを弾きこなす。

歌う全ての曲の作曲過程に携わる。

また、沢山の新しい楽器をアラブ世界に紹介する。

自分の曲に深い情熱を注ぐ姿勢とユニークで珍しい声の持ち主として有名。

常に内側の深い所から湧いて来る感情に真摯に向き合い歌った。

アラブ音楽の王、革命の申し子、情感溢れる歌い手の王等の異名を持つ。

彼の歌い方、彼の音楽が常に愛されること、彼の生き方がアラブの歌手に影響を与え、ロールモデルとなる。

☆俳優として☆

16作品に出演。

1作目:Song of Truth (1955)

エジプトの始めてのカラー映画に出演:Dalia (1956)

最期の作品:Abi foq al-Shagara(1969)

☆功績☆

30歳の時から持病があったが、それにもかかわらず、常に前向きで、亡くなるまで作曲や歌手活動を勢力的に行う。

チャリティーや貧しい人への寄付を度々し、若い歌手や俳優達を援助をする。

中東各国の児童養護施設や病院で度々ボランティア活動をし、寄付をしたり、音楽を教えたり、その時々に必要な物を提供する。

1969年にエジプトに病院を建てる。

貧しい人も裕福な人も大統領も全ての人と平等に接する。

47歳でロンドンの病院で持病の関係での手術中に亡くなる。

お葬式には何百万人もの人が参列。

中東では、一番の参列者の数を記録する。

彼の死後も、彼と彼の曲は沢山の人々に愛され続け、彼はアラブ人の心に住み続け、CDは売れ続けている。

ニックネームはナイチンゲール。

ウード奏者の加藤吉樹さんがアブデル・ハリム・ハーフェズについて語っているYouTubeを見つけました!


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