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渡る世間は鬼ばかりだと感じたら

パリにいると、日本では考えられないようなトラブルに見舞われることもしばしば。

ビザや保険など公的手続きは、たらい回しにされて進まないのが常。アルバイトを始めてみても、経営者の気分一つで就業条件が変わったり、賃貸の契約でも、順調に話が進んでいたのに、いざ契約の段階で家賃を値上げされたり。

もっと小さいことでは、買い物の列を抜かされたり、フランス語が伝わらなくて面倒くさそうにされたり、他のお客さんには明るく対応してるのに私の時は無愛想だったり、そんなことは日常茶飯事。

そういうことが積み重なると、「私、意地悪されてる?」「アジア人だから差別されてる?」と魔の被害妄想ループに陥ってしまうこともしばしば。

そうなると出かけるのも怖くなり、人と会うのも億劫になり、ますます殻に閉じこもってしまうという・・・。

でも、こういうことも自分の受け取り方次第なわけで。別に相手がなーんにも考えずにやってることで、こっちが必要以上に傷ついているだけなのかもしれないし。

不当に扱われた時は、落ち込むよりも、相手に交渉して解決していくことに目を向けたほうがいいのだろうし。

悲劇のヒロインで落ち込んでいても、何にもいいことがないし。


日本にいた時にフランス語を習っていた美しくて優しい先生が、私の渡仏前にこんな風に励ましてくれた。

「きっとフランスに行くと、大変なことがたくさんあると思います。対等に扱ってもらえないこともたくさんあるし、もどかしい思いもすると思います。でもそういう時は、『あの人は私に意地悪してくる』っていう風に思わないほうがいいですよ。不当に扱われたとしても、その相手にもいろんな事情があって、いつも同じ機械作業ばかりしていて、働くことに何の楽しみも見出せないのかもしれない。だから誰彼構わず当たり散らしてしまうのかもしれないし。別にあなたが悪いから辛く当たってくるわけではないんですよ。決して、個人対個人の構造で物事を見ないほうがいいんです。」


今になってその言葉のありがたさが身にしみる・・・。確かに、相手がどんな背景を抱えて自分の目の前に立っているのかなんて、その場の言動からはわからないものだ。世の中には、個人では解決できない絶対的なパワーバランスとか格差があって、その社会の中で生きること自体がそうやって自分や相手をすり減らすことにどこかで繋がってしまうのかもしれない。その問題の方に目を向けるべきなのかもしれない。


渡る世間を鬼ばかりにしているのは、自分の思い込みだ。
「私ばっかりこんな目に・・・」「フランス語ができないから・・・」「日本人だから・・・」etc...etc...悲劇のヒロインがそんな風に泣きながら待っていても誰も救いには来てくれないんだろうな。世界は自分を中心に回っているわけじゃない。

多少、意地悪されてその場でダメージを受けたって、自分のことまで否定されたわけじゃない。自分で這い上がって、ボコボコ相手を打ち負かして自分の道を切り開いていくくらいの心意気がなきゃ〜。


パリのドタバタ日記はこちらです→ https://viequotidienne629.wordpress.com





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