老いて灯る、幼き日々
中学生の頃、20歳はすごく大人に思えた。20歳になれば、見える景色が違うと思っていた。
20歳になると、自分の稚拙さを思い知らされ、30歳の方向を見つめては「オバサン」という言葉が頭をよぎっていた。
30歳。社会を知り、自分がなお成長過程にあることを自覚する。だけど、10年後は人生の後半戦に突入だな、と40を大台として眺めていた。
40歳は不惑のはずなのに、釈然としない焦燥感も生まれ、この先の生き方を本気で考える。でも、たくさんの曖昧さを抱え、それもまた楽し、と思うようになった。
***
どの年代になっても、予想以上に心が若さを保っていることに気づき、加えて最近は思いのほか身体的な老いを感じる。
未来の年齢はわからないことだらけ。
50代の自分は今と同じ感覚をどのくらい持っているのだろう。還暦ってどんな心持ちなのか。70代となり終焉に向けてカウントダウンを始めるとき、その思いはポジティブなのかネガティブなのか、そのどちらでもないのか。
80代の人が笑いながら言った。「周りの人が次々と死んでいくのは寂しいわぁ。ふと自分より先を生きている人が少ないことを思うと、無性に不安になるのよ」
私たちは、自分が経験していない年代を「お年寄り」とひとくくりにしすぎてはいないか。多くの人がまだ体験したことのない高齢世代の感覚に、どのくらい敏感になれるのだろうか。
そんなことを漠然と感じていたある時、
70代の母が、「幼い頃のことを唐突に思い出すことがある」と、自身の記憶を徒然に綴った文章を、年季の入った手で渡してくれた。温かく、寂しく、克明に記された、幼な子の母が生きた昭和20年代。初めて知るエピソードばかりだった。
私が幼いころ見ていたものは、まだまだ百科事典ほどある気がする。
(母の手記より)
これは、聴かねば。書かねば。伝えねば。
私の中で、使命感がムクムクと音を立ててせり上がってまいりました。
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