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道はなくても METROCK2024

二年前、野外フェスデビューをした日は、術後一か月を経過したところだった。計画的な手術だったし、命を脅かす病ではなかった。それでも、誰の手も借りずに歩き回れることが殊更有難いと感じられたし、皆が経験したコロナ生活が明ける兆しが垣間見えていた頃だったから、野外の空気が新鮮だった。

昨年は、いよいよコロナ明けの時期と重なり「ひとり1平米」制限のレジャーシートは配られなかった。そうすると、皆遠慮なく、ぐちゃぐちゃに混乱するのだな、という実態も体験した。殊にオオトリまで聞いた後の、最終電車を目指す人たちの大混雑は、ちょっと思い出したくない。
(一昨年は、翌日の登校時間を心配して、夕方のうちに帰途についたから、経験しなかったのだ)

さて、三回目。過去二回と違って曇天、時々雨。そんな天気にもかかわらず、大いに親子連れが増えた。子どもが多い。遊具の上(結構、特等席)から手を振る子らが、無邪気でいい。出演者のラインナップの影響もあるのか、昨年の「箍がはずれた」感じの興奮軍団が、禁止事項の押し合いへし合い(なんとかという名前があるんだよね)をする姿も見られなかった。全体的に平和な空気が感じられる。

METROCKの、大舞台と、中舞台(海側)と、小舞台。3か所を行ったり来たりするのも体力がいる。走れなかった最初の年とともかく、昨年はあちらこちらと移動した。今年は中継が充実してるらしいよ、と暗に「現場に出向かない」ことを勧めてくれた娘と息子に「おかあさんはひとりでも行くよ!」と意地の宣言をして、結局ふたりをつき合わせている。幸いなことに、今年はたまたま、大舞台に居座るラインナップになった。

大舞台は、背後に高い風力発電塔を背負っている。三枚のプロペラがゆっくりゆっくり回り、風向きによってその角度を変えていく。それをたぶん制御している人がどこかにいて、その人は、このフェスとは直接の関係がない。フェスの運営にもたくさんの人が携わっているけれど、ここに公園がある、そのことだけでも、たくさんの人が仕事をしているのだ。当たり前のことだが、そういう背景が気になる。
そして運営会社の都合なのか、機材の精度が向上したからなのか、はたまた音へのこだわりがバンドによって違うからなのか、最初の年よりも音響設定の時間が短い気がした。あの、マイクテストのために発する音が面白くて、何度も真似してきたのに。

合間の時間に、芝生に座り込んで舞台を眺めていると、プロペラの右後から、不意に飛行機が現れる。小さな飛行機は、塔の背後を通り、まるで塔がドラえもんのガリバートンネルだったみたいに、大きな機体となって塔の左側に現れる。くっきりと、その側面の飛行機会社のロゴが認められるくらい大きく、近くに。もしかするとこの飛行機はこの公園に音を聴きに来たのかな?と思うくらいに一気に下降して、機体の腹を見せて迫ってくる。

いいよ、一緒に聴こうよ、と異国の飛行機に小さく声をかけたりして。
まるでうなづくように一瞬、下降の角度を変えると、直後に思い直したように少しだけ機首を上げる。そうだった、僕の行く場所はここじゃないんだ、とでも言うように。晴れやかに、轟音を地上に響かせて、大きく旋回すると、緩やかに着陸態勢に入っていく。左手奥の方向には、羽田空港がある。彼らの行きつく先は、決まっているのだ。

ひとつ見送って、顔を上げると、また雲の中から次の飛行機が向かってくる。また声をかけて、鮮やかな飛行機マークを見送る。これを繰り返す。

空に、道はないのに、雲は動き続けるのに、また同じ雲間から、彼らは現れて、同じルートを通って、旋回していく。

行く先が決まっているというのは、いいものだね。それは決して物語の終わりではないのだと、今ならわかる。生きているものは、いつか死を迎える、そのことは、まぎれもない事実であって、でも、嘆くことではない。
道はなくても、進むルートは、飛ぶ者が決めればいい。

 「ここには座り込まないでくださーい 前の方から詰めて並んでくださーい」マイク越しのスタッフの声に起き上がり、準備体操。さて踊る準備だ。老体は、いきなり動くと危険だからね。
 
あんなにひっきりなしに現れていた飛行機が、見えなくなった。
塔のプロペラが、向きを変えた。風向きが変わったのだろう。
と、大粒の雨が、頬にあたる。
カッパのフードを手の平で抑えて、わたしは飛び跳ねる。

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