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ストレスの原因は私自身 主導権を取り戻す

目まぐるしい自分の変化に対応中で練習中のnahoです。

ストレスがかかっている自覚がなかったのですが、メンタルの落ち込みが底を打って回復してきたので見えてきました。
ストレス、かなりかかっていました。

ストレス、皆さんは感じていますか?
そのストレスの原因は何でしょうか?自分で自分を責めたり、ストレスをかけるようなことをしていませんか?

私はストレスを全然感じていない、ストレスフリーだと思って過ごしていたので、無自覚にストレスを抱えていたことに気づいて驚いています。

ストレスはないものとして扱わず、あるものとして意識する。
自分でコントロールするためには自分が主導権を握る。
自分で自分に高い期待をかけない。
自分の状況をよく観察する。


ストレスの大きさに無自覚

受講中の講座に対してもやもやすることが溜まり続けていて、それが私が思っているよりもストレスになっていたのだと思います。
解決するために整理して、コーチにも話して、方向性も見出せていましたが、そうなるまでの過程でじわじわとストレスを受けていたのだと思います。

ストレスがかかっているとは思っていましたが、実際にメンタルが落ちてみて、私が思っていたよりも大きなストレスがかかっていたのだと思いました。
もともと、今の生活がそんなにストレスがかかるはずがないと思っていたのが原因の1つだと思います。思い込みです。

主導権を手離そうとしていた

これも大きいと思います。
私が決めたら良いことなのに、講座の流れに沿って参加しないといけないと思っていて、自分でどうしたら良いかの判断をすることを迷っていたと思います。
俯瞰の視点がない、視野が狭くなっていた、どんどん外堀を埋められているような感覚で、影響をすごく受けていたのだと思います。

なんでそんなに私は影響を受けていたのか?
これも依存したかったから?
依存というよりは、教えて欲しいがあって、しかも相手に任せて何とかして欲しいと思っていたからだと思います。
自分で越える必要のあることを、させてもらえると相手に委ねていたからです。

だから、主導権を手離そうとしていたのだと思います。

「こうあるべき私」が私の息の根を止めようとしてきた

私が作り出した「こうあるべき私」が私の首をずっとじわじわ絞め続けていたという感覚です。

自分で鳥かごから出て、一瞬はやりたいようにやるを出来たのかもしれませんが、自分でまた新しい鳥かごを作ってそこに入っていて、扉は開いているのに出ようとしていない状態だったということが分かりました。
コンフォートゾーンに戻って安心したかったからということを教えてもらいました。
自分の価値観ではなく人の期待にこたえることで生きてきたので、それを手離せてきたのに、外に基準がある状態が長くて安心だったから、自分で新しい基準を作ってそこにこたえようとしていました。

今回は、自分で作り出した「こうあるべき私」に抑えられていた
ということが分かったのですが、抑えるというよりももっと強い力で首を絞められていたと思いました。
ぎりぎり窒息する前に気づいたから手を払いのけられた感じがします。

前は親の期待や世間のこうあるべきの鳥かごに入っていたけれど、今回は自分が作った鳥かごで、その鳥かごの方がより私にとっては狭くて苦しい場所だったということだと思います。

親の期待や世間のこうあるべきよりもはるかに高いことを私は私に課して、こうあるべきと設定していたということです。
書いていてもあまりぴんとこないのですが、私が設定していたこうあるべきって今の私からすると手が届きそうもないことなんだろうなと思いました。

安心するために「こうあるべきを私」を作り出していたのは、本当にそうだと思うのですが、
なんでそんなに苦しい設定をしちゃってたの?という所がよく分かりません。
自分に対する期待?理想?これは、1回考えてみたけど、「こうあるべき私」って全然明るいイメージが持てなかったんだよね。
暗いイメージしかない。その時に考えたのは、自分に厳しいというワードだったのですが…。

やりたいようにやる私、自由にやる私っていうのが、私の中ではめちゃくちゃ優秀な設定だったってこと?

抑えるというレベルではない位に私は「こうあるべき私」によって苦しくなっていたのに、そこまで苦しくなってまでも設定する理由って何?

これ、1人で考えても答にたどり着けないやつかもしれません。

思い当たるのは、一度書いていますが「何事も全力でやることが善」だと思っていて、全力の最大限の力でやれば出来ることを「こうあるべき私」に設定していた可能性です。
けれど、実際には全力を出すことが私は出来ない状態で、だからどんどん首を絞められていて、「全力を出していないからだよ、それはあなたがそうしないから悪いんだよ」、っていうことで息の根を止めようとしてきたのかな?と仮説が立ちます。
息の根を止めようとしてはいなかったのかもしれませんが、苦しいとか焦りの感情があってそれを失くすためには、今ある目標に向かってもっと行動することで解消できるはずというのは分かっていました。

全力を出せなかったのは、自分の変化に追いつこうとすることにエネルギーをとられていて、そこまでの力が私に残っていなかったからです。

主導権がなくなっていたことが大きいのか

「こうあるべき私」を作って設定していたことも、主導権が私からなくなることだと言えます。
そこに標準を合わせて行動しようとしていたからです。

「私のやりたいようにやる」と決めて、出来ている時と出来ていない時があって、揺り戻されてはぐらぐらして、へんこんで立ち直って修正しています。

自分の人生の舵を引き寄せられる時とそれが離れていく時がある、と感じているので、今回自分の中で「こうあるべき私」が新たに作り出されていて、しかもそれはコンフォートゾーンに戻るという現象だと気づかせてもらったことはとても大きなことでした。

時間がかかります。今まで価値観だと思っていたものを手離すことも、自分のやりたいようにやることもです。

楽しく自分の変化をなじませていきたいな、と思っているのですがなかなか今回はきつかったです。

まとめ

「主導権を取り戻す」ということを教えてもらったことで、私の今の状態がどういう状態なのか分かったと思います。

ほんとにぐちゃぐちゃの状態になっていたのだなと思います。
「こうあるべき私」の正体は完全には見えていませんが、すごく万能な私だということは分かるので、その私は旅に出そうと思います。

エネルギー消費が激しい状態で、全力を出し続けることも出来ないのが今の私です。
全力、出せるようになった時に出したら良い。

「やりたいようにやるんだ、自由にするんだ」という私はパワフルですが、
今の私の状態に合った歩幅なの?
無理してない?
を「本当にやりたいの?」
も含めて確認していきます。

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