私のことを傷つけることができるのは唯一私自身だけ 自責か他責•受け身か主体的か

私は何者にも傷つけられることはない。
ただ、唯一私のことを傷つけられる人がいる。
それは私自身である。

これを教えてもらって、「えーっっ」とびっくりしました。

退職して2ヶ月目、ストレスフリーに毎日を過ごすコーチングに全振り中のnahoです。
世界は私を傷つけてくると見ていたので、傷つく、傷つける、傷つけられるには敏感です。

▼下記のnoteは、傷つけられたは自分の認識によるということを学んだ話です。

というのも、私は「外の世界は自分を傷つけてくる怖いもの」と認識しているということが分かって、そうか…と思っていました。

そして、「傷つけられる」は私自身が選んでいるということを学んだばかりです。相手ではなく、私に傷つくかどうかの決定権がある。
私が誰にも私を傷つけることは許さないと決めれば、傷つくことは減るんだなと理解しました。

傷つけられるのは私、しかも他の人も私も私を傷つけるのではなく、唯一私だけって、かなり興味を持ちました。
そもそもは、他者が私を傷つけると思っていたし、自分で自分を痛めつけるって本当に?と思いました。

そこにきて、傷つけるのは、私自身!!!それも唯一の存在。
まじかーって感じです。周りは少し安心できる場所なのねって思っていた所に、想定外の伏兵現るといった感じです。

これは闇を見るような気配がします。私が私を傷つけるなんて本来あってはならないというか、やってはいけないことのように思います。


私を傷つけられるのは私だけ

この言葉を聞いた時は、全然理解できていなくて、私が「外の世界は怖いもので私を傷つけてくる」について考える中で分かりました!!

何が私を傷つけるのか?

周りのせいにする他責思考

これは、自覚しないと無意識に陥ります。

私の場合、人に受け容れてもらえないのは周りのせいということでした。
自分からは何も努力していなくて、相手の判断に完全に委ねていました。相手が拒否してくる、だから怖い。
そして、私には価値がないにつなげていました。
受け容れてほしいならどうすれば受け容れてもらえるのか?と考えて行動すれば解決するかもしれません。
なのに、そうしない。もっというとそうしない私が私を追いやっていて、結果傷つけるに至ります。

受け身の姿勢

他責思考と関連して、受け容れてもらいたいは、受け身の姿勢です。
相手に委ねている態度。自分からは動かなくて、お願いしているというか、丸投げ状態です。

主体的にならない私が私を傷つける

つまり、主体的に行動しない、できない私自身が私を傷つけるということです。

人任せにしたり、相手に委ねる、受け身で何も行動しない、そういう主体性のない状態が私を唯一傷つける。
これ、言葉だけで、私を傷つけられるのは、唯一私自身だけなんだよって教えてもらった時は、全然理解できていなくて、自分にとっての傷つけられる=外の世界は怖いもので私を傷つけるについて、考えていく中で体感的に理解できました。

私が私の人生の舵を握り行動することで、人生は拓けていくし、諦めたり行動しないことは私を傷つけるだけ。
だったら、私を満たせるように大事なものを掴めるように何よりも私自身が私に対して誠実にいることが大事だと思います。

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