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いねいぶる、に触れて:見学ツアーレポ

 障害ある人たちへの支援活動を中心に行っている「NPO法人いねいぶる」は兵庫県たつの市にあります。人口およそ7万6000人のまち。居場所や子育て支援などの活動をしている知人から「ふだん活動するなかで、しんどい思いをしながら働いている人、心の病のある人などいろんな人に出会う。もっとみんなが生きやすく、楽しく働けたらいいと思うのに…。“そうならぜひここへ”とある人に紹介されたのが“いねいぶる”で、見学ツアーが行われる。良かったら一緒にどうですか」と声をかけてもらったことで、私は「いねいぶる」の存在を知りました。

いねいぶるとは

 理事長である宮崎宏興さんは―わたしたちは、同じ地域に暮らす市民として、障害の有無を問わず「働き」「住み」「喜び」「苦労し」「出会い」「回復(成長)する」希望や尊厳をもってできるようになる(enable:いねいぶる)こと、わたしたちの望みが可能になることを目指した活動を推進しております―と謳っています。 

  いねいぶるは、たつの市内に複数の事業所を展開。具体的な活動は、こころとからだに関する相談支援、居住支援、就労継続支援B型、地域活動支援、グループホームの運営などですが、宮崎さんのその“謳い”が、決して単なる理想ではないことを、見学ツアーのなかで私は徐々に実感していくことになるのです。

小さなパンフレットの大きな意味

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  1月16日朝10時、就労移行支援を行っている「日山ごはん」が集合場所でした。道路を隔て、たつの市役所が目の前に位置しています。この日行われた見学ツアーには遠く沖縄からのグループの参加もありました。私も含め集まったのは12名。「午前中はここで事業の説明、午後は各活動場所を巡りたいと思います」と宮崎さんによる説明が始まりました。

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   法人のパンフレットは2種類あります。ポケットに入るくらいの小さいものとA4サイズの冊子のもの。
 「はじめは、大きいほうを利用者に渡していたのですが、こういったパンフレットというものは、私たちもそうなのですが『施設が言いたいこと』を書いているのであって、利用者が知りたいこととは違うんですよね」
 小さなパンフレットには、名刺サイズの、いわゆるショップカードのようなものが挟まれていて、理美容室や飲食店に置かれているそうです。
「引きこもりの人は、公的なサービスを使うところにたどり着くまで、実は相当悶々とした時期を過ごしている。こっそり悩んでいる時期が長くて、誰にもバレたくないというのが心情です。僕らは“こっそり悩む”を推奨しているんです。この(小さな)パンフをポケットに入れて持ち帰り、カードだけ財布に入れておいてもらえれば。苦しくなったらつながれる。つながるシステム。この小さいパンフがつながるツールになるんです」
 パンフレットがどこかのお店に置かれているということ自体が、“この店、知ってくれている”というサインであって、静かな“支援メッセージ”。
 「高齢者支援の必要の有無は、新聞受けに新聞がたまっているとか、外観から情報をキャッチできますが、引きこもりとか心の問題は外観からではキャッチできません。対話をするなかでわかってくるもの。理美容は誰でも一定のスパンで使うもの。しかも話すのはたいてい雑談。その雑談を通して情報がキャッチできるんですよね。だから理美容界に協力をお願いしているんです。飲食店も、しかりです」

 知ること、聞くこと、考えること

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 法人の活動で大切にしているのが、ヒアリングの姿勢だといいます。プロジェクターには「“あなたにとっての共に生きる風景は?” ヒアリング デザイン 新しい価値 幸せな時間」との文字が映し出されました。
 「地域の困難事例を話し合うなら地域の人を交えないと意味がないんです。専門職だけが集まっても意味がない。だから会議室というものは使いません。話を聞いたらその場で何かしらやり方をデザインする。新しい価値を見つけ出し、本格的にやり始めるんです。映像を見てください」
 災害時に関するろう者へのインタビュー映像が流れます。
 「災害時に公的サービスや専門サービスは機能しません。ちょうど昨日、小学校区の単位で、全員取り残さず避難するにはどうしたらいいかを話し合ったんです。耳が聞こえない人に、災害をどう伝えるのか。障害者や高齢者をどう逃がすのか。まずはそんな人たちの存在を知り、どうすれば生きていけるかを知る必要がある。具体的な話し合いの場を持つことで、お互いの状況を理解し合うことに発展しました。そこから共生にもつながっていくのだと思います」

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   続いてプロジェクターに映し出されたのが、「個別偏重問題 専門職の障壁」というもの。
 「専門職の障壁というものをいつも思うんですよ。病院の現実って、“退院”にある。家に帰って良いかの判断は医師であっても、家族が『帰ってきては困る』と言ったら帰れない。地域そのものがもっとバリエーション豊かにならないと、決まった人しか暮らせないんですよね。地域で。個別に対応することがいいとされている最近ですが、個別性が多様性を生むというのは違うかなって。絶対に必要な状況というのは“ここに居ていい”“自分が自分のまま居ていい”という感覚の獲得なんですね。ただそれには他人の存在を感じられないことには得られないもの。全部その人中心で、サービスで賄うっていうのも違う。お互いに求めあって意見し合って…そんななかで自分というものを知るのではないでしょうか」
 いねいぶるの活動に、まちのお弁当屋さん「ごはん亭だいだい」があります。いねいぶるの利用者が“自分たちの生活のなかで必要としていることを自分たちでつくる”ということもしているため、最初のユーザーは“自分たち”だったそう。現在、日々100食ほどを作るお弁当屋さんになりました。
 自家焙煎珈琲も生み出しています。不眠症を抱えていても、珈琲と煙草は好きな人が多く、“眠れる珈琲があったらいいよね”との冗談から「毎日飲める珈琲」というコンセプトでスペシャリティグレードの「365COFFEE」が誕生したそうです。運営しているコミュニティカフェ扉、龍乃家堂本店で販売されています。

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 「こうした生産物というのは、販路開拓が悩ましいことが多いのですが、365COFFEEは市のふるさと納税の返礼品にもなっており、販路のひとつにすることができています」
 龍乃家堂本店とごはん亭だいだいに隣接する龍乃家(富永店)で扱っているクッキーやパンなどは他の福祉事業所が生産したもの。
 「パンやクッキーは福祉作業所の定番商品であることが多いですよね。ただ、作ることができても販路が多くの事業所の課題。いねいぶるは“作る”行為は少なくても、作業所や事業所が幾つもあることもあって”動ける“んです。、他事業所の商品を、企業にある販売ボックスなどに置かせてもらったり、休憩時間に訪問して販売したりと小売販売をしています」

地域をおこすーコミュニティデザインへの取組み
―わくわくするような慮りで弱者を生まずに成長していく過程が地域共生社会の原風景―

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  いねいぶるの就労移行支援事業を利用しての2年以内の就職率は70%を超えているそう。全国平均が15.6%なのですごい数値と言えますが「いねいぶるとしての活動のほかに取り組んでいるT-SIPの活動が影響している」と宮崎さんは説明します。
 T-SIPとは平成23年に宮崎さんが立ち上げた市民団体「たつの市が誰もが誰かを包み込む社会になるプロジェクト」のこと。こども食堂、フードバンク、ユニバーサルショッピングなど多様な活動を企画・運営しながら、コミュニティデザインに取り組んでいるのです。
 プロジェクターには「認知症にやさしいって必要?障害者が孤立しないって何?」との文字が映ります。
 「バリアフリーといったって、例えば視覚障害者にとっては、道は斜めになっているからもうすぐ溝があるってことがわかる。全部がツルツルで平らになってしまうと逆に身動きができなくなる。誰にとっての良い社会なのか。善意のつもりが新たなバリアとなることだってあるんですね。子ども、高齢者(認知症)、精神障害、知的障害などと区分された枠の中に地域があるのではない。〇〇に、から〇〇と、へ。そして“も”へ。新しい価値軸をつくりたいと思っています」

楽しみに変える 遊びにする

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 宮崎さんが映像で見せてくれた、寝たきりの人と一緒にサーフィンしようという「バリアフリーSUPプロジェクト」。参加した人たちの楽しそうな表情は実に印象的。スーパーと取り組んだ、ユニバーサルショッピングの取組みも、地域ケア会議をショッピングセンターのフードコートなどで行う取り組みも、話を聞いているだけで、とてもワクワクしてくるのです。宮崎さん自身もそうした取り組みを楽しんでいるのはもちろんのこと。 
 「遊びをつくることで社会参加を促すんです。遊びをしながら、その日そのときの“偶然”集まった人たちをチームとしてしまったり。ひとりのワクワクがみんなのワクワクになればいい」
 2019 年7月に実施された「Okuri-mono」は「ありがとう」が通貨の0円イベント。自分ができることを贈りあうという趣旨で、地元農家から譲り受けた農産物、フードロスになりそうな食材を使った0円カレー、0円マーケットや音楽ライブなど多彩な内容が繰り広げられたといいます。

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110名を超えた当日ボランティア、延べ70名の事前ボランティア、600名近くの参加者。フードロスチャレンジ、ごみ0運動、食べ残し0運動、清掃活動など、チャレンジした企画はいずれも大成功。たくさんのモノ・コトのオクリモノがあり、たくさんの「ありがとう」で溢れた一日になったそうです。
「0円だけどタダじゃない。自分のできることの交換で一日を遊んでみようというもの。ユニバーサルショッピングだって、盲の人へのアテンド体験も”遊び“の感覚でやってみれば楽しいことに変えられる。高齢者の買い物問題だって、スーパー事体が色んな人に対応できればヘルパーを頼まなくたって済みますよね。無駄な介護給付費を使わなくていい」
 実際にスーパーと提携し、アテンド体験などの取組みをT-SIPとしても行ってきているのです。

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 「聴覚障害の人へのアテンド体験には手話の通訳の人がはじめは一緒に付き添っているのですが、慣れてくると通訳なしでも伝える工夫ができるようになる。手伝いが必要な人のサインとして買い物カートに旗をつければさらに伝わりやすくなる。障害のある人は手のかかる人ではない。キャッシュレス化も進んでいますが、『スローレジ』なんてのを設置してもいいわけです。一回の、買い物アテンド体験が何に影響を及ぼすかわかりません。言葉は悪いかもしれませんがアテンドを“アミューズメント体験”にしてしまうことも楽しいものなのです」

  こうした取り組みに対し、きちんとデータを取り効果を実証しているのがすごいところ。これらの取組みは3年目。売上も向上し、店舗の強みにも結びつきました。
 子ども食堂は、すでに全国で馴染みのあるものになっていますが、T-SIPでは「コドモキッチン」と称して、日山ごはん、公民館、お寺などで定期的に開催しています。

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 「子どもたちがワイワイ料理しながら、大人が500円払って食べさせてもらうんです。ひとり暮らしの高齢者にも“じいちゃん、子どもたち来るけ。500円払ってあげて”などと声をかければ“しゃーないな、行ってやるか”となるわけです。出番や役割を作ればいい。コドモキッチンは近隣の人同士が顔を合わせる機会にもなるんです」

コミュニケーションバリアをのぞく

 会議室で会議をしないとは、いねいぶるの重要な姿勢のひとつ。話し合う内容に対して“関心がない人に、どう関心を持ってもらうか”こそが大切だから。

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 「専門的知見からではなく、その人のことをその人の立場で考えなければいけないのに、会議室で専門職だけ集まって話をするというのは機能不全を起こしているとも言える。シンポジウムでは意味がない。自分たちの打ち合わせをフルオープンに、いろんなところでトークライブをするんです。偶然聞いていく。偶然聞いてもらうことに意味がある」
 それは“コミュニケーションバリアフリー”の可能性を模索するという活動ともなって、すでに3回開催されています。映像会社やFM局とも組んでおり、トークライブを録音・編集。キーとなる場面を編集し、“ミニ研修教材”をつくろうとしているそうです。

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 「わたしたちの活動は表面的には福祉活動ですが、まちを使うとか、いろんな人たちとまちそのものをつくっている活動とも言えるでしょうね」
いろんな場所でいろんなものを仕掛けていけば、いろんなものが生まれてくるのも当然のこと。豊かなアイデアだって生まれるのです。
 「こんな仕組みがまちにあったらいいね」と、市民の人たちの声から制度を作っていこうという取り組みも始まっているそうで、“こんな仕組み”の内容は、聞いていてワクワクするものばかり。
 「地域デザインは“ついで”。ついでの豊かさ。幾つものファクターがクロスオーバーしていくんですね。どんな人と、どんな場でというのも決まっていないところで、障害者のひとも、そうでないひとも自由参加。その“ふつう”のもと、混じり合う。制度間も施設間ももっとボーダレスでいいのではないでしょうか。各々が、できることを交換していけば、何も事業所ひとつで完結する必要はありません」

 就職に必要な姿勢って

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 「たつの市も人口減少と高齢化が進んでいます。まちが発展するにはどうしたらいいか。“就職できる場の数”はその要素。日山ごはんで職業訓練をしている人たちは本気で就職しようとしている人です。接客対応は利用者が行います。ここには職員は3名いますが、一定の場所から外(フロア)に出ることはありません。就職に必要な能力って、仕事への“ほうれんそう”(報告・連絡・相談)なんですよね。その仕事ができるかできないかより、困ったときにきちんと聞けるか、確認ができるか。そうでないと大量のエラーが起きてしまいますから。日山ごはんで、“困ったら『ひく』”という姿勢を必ず身につけてもらうんです。困ったらスタッフに聞けばいい。それさえできればどの仕事にも就けると思います」
 一方で、いねいぶるでは障害者雇用へのアンケートも500ほどの企業に対して行っているそうです。
 「アンケートを依頼し、返信してくれるところに僕らが障害者雇用の話を実際に持って行くのです。返信があるということは関心があるということ。推していったら“当たる”確率が高まります」

事業所めぐり だいだい亭

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 お昼ごはんを頂いたあと、事業所めぐりに出発します。初めに訪問したのは就労継続支援B型事業所・お弁当屋さん「だいだい亭」。10名ほどの利用者に、3名のスタッフが付いているといいます。
 「B型の就労継続支援というのは、本人のやり方に合わせて仕事環境をみていくというものだと思うんです。弁当屋ひとつにしても、お金の使い方がわからなければ、そこでの仕事ができないということになってしまいます。お弁当の仕込み、店番、精算といったように仕事を各工程に切り分けます。人とのやり取りが苦手な人は仕込む仕事のある場所に。何もなくてもずっとそこにいられる人というのも必要な人材。というのも、お弁当屋というものは、客足がピークなときと、まったく暇な時もあるわけです。待つという役割も必要。一人では成り立たないですが、みんなが仕事を続けることができるシステムがあればいい。仕事ってどんどん膨らんでいくんです」

数を数えるのが苦手なら…

 お弁当が20個必要というとき、数を数えるのが苦手な人がいても「数えない働き方を支援する」のが、就労継続の場だと宮崎さんは説明します。工夫をすればいいだけのこと。お弁当が24個並ぶスペースがある。それならば、お弁当を並べてみて4個差し引きすれば自動的に20になる。
 「働くこととは続けること。仕事ができるかの有無より、働く環境のほうが大切ですよね」
 環境の整えは、作業療法士といった資格を保有する職員の出番でもあります。

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手すき工房 紙や

 続いて一同は、だいだい亭のすぐ近くにある「手すき工房 紙や」へ。宮崎さんの名刺も、ここで作られたものでした。地元商工会の協力を仰いで、牛乳パックといった素材を収集。専門業者と組んで、漉いた紙がプリンターを通るよう何度も試作、実験。素材収集などに協力してくれているカフェには、漉いた紙でショップカードを作りお礼に。同時に、カフェにはいねいぶるのパンフレット(カード)も置かせてもらっているのだそう。
 「そうした動きをすることで、顔なじみの人や店ができる。みんなの行ける場所が増えていく」

 だいだい亭も、紙やも、“居ぬき物件”を利用しています。固定資産を持たないため、費用を抑えられるのはもちろんですが、あくまでお弁当屋も紙すきも“リハビリ素材”。プロの紙すきを目指しているわけではありません。
「オープンすると同時に、どうやって閉めるかも考えています。いつでも辞められるように」
 いねいぶるの利用者の作業や仕事は挙手制で決まります。その作業や仕事への希望者がゼロになれば事業を閉める必要が出てくるわけです。事実、閉めた事業もこれまでに複数あるとのこと。
 「誰かを対象とした自立支援なのに、いつの間にか自分たちの業務継続になってしまっているケースが非常に多いと思います。こっちが身軽であれば、支援の自由度も広がる。利用者のところに仕事を持ち込めばいいというスタンスです。変化できるシステムを持っておくというのは非常に大切なこと」

コミュニティカフェ扉

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  たつの市の観光地ともなっている古い街並みのなかにあるのが「コミュニティカフェ扉」です。日山ごはんも、もともとはここにありました。

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 「老人会を担う人がおらず、老人会がなくなり、高齢者は外出する機会を失ってしまいました。家にはいるのですが、ヘルパーなどにより配食は玄関先まで届くので余計に外に出ない。一方で観光地化が進んだことで日山ごはんは観光客にシェアされてしまったのです。観光客誘致とその場所の生活保存とは関係がないんですよね。古民家を活用したカフェは集客装置にはなりますが、もともと暮らしていた人たちとの温度差が生まれてしまうのです」
  本来の目的に沿った活動をすべく、日山ごはんは市役所のそばへ移転。ごはん屋さんではなく、地域包括支援センターと協定を結び、お弁当販売所、珈琲販売、カフェ事業を行う場所になったのです。

いねいぶるの本拠地へ

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   いよいよ、見学ツアーの最終地点・いねいぶるの本拠地「たつの市地域活動・相談支援センター」に到着しました。敷地内に龍乃家/365COFFEE(堂本店)があり、T-SIPでのフードバンク用の食材もここに集められています。
 「0円スーパーがやりたいんですよ。レジカウンターみたいなものをつくり、出口にケースワーカーを配置する。食材提供は一時的救済にはなりますが生活再建までにはたどり着かない。生活保護の対象になる人は生活能力に課題があることがわかりました。生野菜とカップ麺を渡し、生食材が使えるかの有無でその人の生活能力がわかる。食材提供と相談(支援)をセットにする必要性があるんですよね。生活支援のコーディネートに持っていけないか。生保の人の生活復帰するためのシステムが今はないけども、フードドライブはそれを動かすシステムになり得ると考えているんです」
 こんな話から始まった、本拠地での話。宮崎さんという人は、課題を見つけ、掘り続け、なおかつその課題解決の道を具体的に探る人です。鳥の眼、虫の眼といったらよいでしょうか。双方の視野をバランスよく捉え、離すことがありません。いったい、どこからこんな発想が出てくるのでしょうか。宮崎さんの”深み“のもとが、気になるところ。またどこかでお話しを聞きたいと思います。

朝の全員MTとスタッフのお昼MT

 宮崎さんは「朝の30分間のミーティングにギュッと大切なことを詰め込んでいる」と話します。
いねいぶるの利用者は、朝自力でここにやってきて、ミーティングに参加することから活動が始まります。その日何をするかは挙手制だから。必要な人数よりもその仕事に多く挙手があった時こそが“いい機会”。譲りあったり、話し合いができるか。“いいコミュニケーション”を磨くチャンスです。そして、自力で事業所間を移動していきます。
 「移動支援を早いうちから受けてしまうと、まったく“術”を知らないことになってしまいますよね。公共交通機関を使って移動するチカラがあれば、ほかのことにも応用が利くでしょう。バスに乗ったことがなければ、スタッフが一緒にバスを乗ることから支援を始めます。移動手段はいくつも知っておいたほうがいい。それは本人の意思で行きたい場所に行けることにつながるから」
 ミーティングでは、今日の自分の調子を〇パーセントという数字で伝え合うことも。それにより、仕事や作業内容の調整もするのだそう。
いつもは、だいだい亭での立ち仕事だとして、その日は体調が優れなくて「今日は20%の自分」だとしたら、内職を選択すればいい。支援センターには内職の仕事があります。内職=単なる下請けの作業ではありません。使い勝手のいい“内職”をチョイスしているそうです。
 利用者同士が顔を合わせること、話をすること、ミーティングをして他の仕事場や作業場の様子も知ることができるということ自体が、次の支援につながります。
 「今度はあそこの作業に携わってみたい」と話が出たなら、それは本人の意思で次のステップに移行できるということ。選んだ働き方ができるということ。
 「自立できるとは量ではなく決断。何ができるかより、自分で選んでやり遂げられることが自立の始まりだと思うのです」
 ”自分を操縦するということを目指している“とも。
 「障害者は、変化に適応するのが苦手な人が多いです。予めわかっていれば、調整がきく。選んだ働き方が可能になるわけです。支援センターのように、毎日変わらない場所やモノ(内職/業務)があるから変わっていける。ここ(支援センター)は、セーフティゾーンにもなっているとも言えますね」

 私はこの日、宮崎さんが“対話の重要性”を繰り返し伝えてくれていたように思いました。

そのまちの、対話のポテンシャルを広げることは、まちづくりにもやがてつながってゆくのかもしれません。


人との関係の構築は、対話なくして出来ません。
「コミュニケーションバリアフリーがそこにあれば、障害だとか医療だとかいろんな壁も超えられる。
いい治療を引き出すには、いいコミュニケションが必要。
自分の症状を端的に伝えられれば、いい治療方法を医師から引き出すことができるんですね、
慢性疾患なんてとくにそうだと思います。自分の変調をうまく伝えられるか、先週と今週の自分はどうか、違いはあるのか。答えが2つしか選べないのではなくて」

空振りOK!見逃し厳禁!!

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(見学ツアーの参加者で集合写真)

さて、活動場所が幾つもあるいねいぶるですが、スタッフ間の連携はどうやって行っているのでしょうか。
申し送り、情報シェアの時間は、お昼の時間の15分間にありました。
「お昼にスタッフは支援センターに集合。今日の午後からと明日することを話すんです。(午前中の様子も含め)利用者に気になることがあればお昼のミーティングで情報がシェアできます。そうであれば他の事業所とのアレンジ、人の調整も可能になりますから」
 宮崎さんは「スタッフも利用者も孤立させない、押し付けにしない、自分の足で前に立たせたい」という表現をしています。
 宮崎さん自身が持っている情報、やり方は、スタッフに惜しみなく伝える。現場スタッフに判断してもらう。「結果は教えて」と言いながら。
活動が多岐に渡るゆえ、いろんな苦しさだとか悩みだとかを抱えている利用者や家族もいることでしょう。
 「あの時実は気になっていた…」では済まされないことにもなりかねません。
 「鎖につながれる思いはするなと。わかった時点で絶対にやろうと徹底しているんです。『空振りOK!見逃し厳禁!!』なのです」

まちは、誰かの資産ではない。
まちには人が暮らしている。

人は、ひとりで「ひと」であるのではない。
社会というもののなかで、“生きあっている”存在。
そこに役割だとか、仕事だとかがある。
楽しさ、面白さ、悲しさ。誰にも言えないような悩み、過去、後悔だって…。
ひととして生きている以上、避けられない感情は、刻々と、日々、生まれては消える。その繰り返しです。
みんな、何かしら抱えているということを想像できたなら。
“当事者だったら…”と思いを馳せることができるなら。
話をすることができる場所。話を聴いてくれる人がいる場所。黙っていたっていい場所があること。そのままの、いまの“わたし”で“居る”ことのできる場所があれば。

「いねいぶる」は、そんな場のひとつ。宮崎さんはその場その場に、光をくれる、あるいは光を見つけるヒントをくれる、大きな存在なのだろうなと私は感じたのでした。




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