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はびりすから教わる、健やかさ~『発達障害』の眼鏡をはずして〜

 2月17日、場所は広島県福山市沼隈町にあるお寺―光源寺。ここで、地域みんなの居場所づくりープレイベントが行われました。

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    福山駅から路線バスに揺られること約30分。最寄りのバス停から徒歩数分で光源寺に到着です。古いお寺をイメージしていたのですがとてもきれいで大きなお寺。しかも、講演が行われる本堂の立派なこと。

※こども食堂については、流行病の件もあり、開催時期の見直しと場所変更の予定となっています。

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開始時間10時が近づき、赤ちゃん連れや子ども連れの母と子、福祉に携わる方など50名ほどがお寺に集いました。

【“ついで”習慣で健やかに】

 理学療法士で、岐阜県にあるNPO法人はびりす副代表の鹿野昭幸さんが講師に招かれていました。はびりすの活動が面白いと聞き、私は参加してみることにしたのです。
 この日は寒波の影響で強風のうえ、とても冷え込んだ一日だったのですが、講演を始める直前、鹿野さんは上着を脱いで半袖姿に。

 「みなさん、まず体を動かしましょう!」
 参加者たちは椅子から立ち上がり、鹿野さんのあとに続いて両手を上に伸ばしたり体をほぐします。少し場があたたまったところで鹿野さんの講演が始まりました。

 午前の部の講演タイトルは『カンタンなのにメキメキ育つ!親子の「ついで」プログラム』。

NPO法人はびりすの設立は2016年、翌年から事業を開始しています。児童発達支援事業所、放課後等デイサービスなどの運営のほか、無農薬野菜などを使ったカフェも運営。法人ミッションは「すべての人にはGIFTがある。すべての人が自分のGIFTに気づき 自分のGIFTしを生かすことを阻む社会的問題を解消する」です。昨年『凸凹子どもがメキメキ伸びるついでプログラム』、『みんなでつなぐ読み書き支援プログラム』(クリエイツかもがわ出版)という2冊の本を出しました。

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 子どもたちを取り巻く変化 発達障害ってなに?

 鹿野さんはまずはじめに、はびりすを取り上げたテレビ番組の映像を流します。
 「はびりすでは個別支援を中心に、遊びを通して体を作っていくことを実践しています。自宅でも親子が一緒に取り組むことができるような実践プログラムをお伝えして。また、徳島の業者とコラボして下駄も作りました。下駄って世界最強の履物なんです」
 下駄を履いた子どもたちが鬼ごっこをしている映像もありました。
 「法人のスタッフは個性あるメンバーで、やりたいことがたくさんある面々。ですが、法人ミッションはしっかりと共有しています。(子どもたちが)がむしゃらに動いていくなかで、友達との意識も芽生えたらいい。その子にしかないもの、家族の幸せといったものを考えながら活動しています」

 鹿野さんの説明によると、子どものことで相談に来る人の数が増加しているそうです。でもそこで「通わせないと良くならない状況っていいのか」と疑問に感じるといいます。
 「より家族の力を…地域のなかですくすくと育ってゆく方法はないかと考えて、出版にもたどり着きました。だから、“ついで”と謳っているのです」

 小中学生で通級に通う生徒はここ20年間で7倍に増えたとのこと。
 「“発達障害”ってそもそも何?少しだけ他の子どもと違うだけで簡単に発達障害のラベルを張ってしまう。すぐ寝そべる、癇癪がひどい、動き回る…。これらの”症状“があったらイコール発達障害なのか。背景には何があるのでしょうか」

  鹿野さんが疑問を投げかけます。

 「いま、子どものロコモティブシンドロームは4割にまで広がっているのです。5秒以上片足立ちが出来ないなど、運動器不全が見られるケースがとても多い。40年ほどで子どもの骨折率は約3倍に増えました」
 昭和のころの子どもたちと現代の子どもたち。子どもたちが外でめいっぱい遊んでいた時代から、今や“スマホ・ゲーム依存症”があちこちで話題にされている時代です。公園に行ったところで、〇〇してはいけませんという看板があちこちに。ブランコだって落下防止のため、親が乗せて揺らさないといけないようなブランコです。
 「子どもが自分で、ではなく大人が許容する遊びの仕方に変わっているんですよね。子どもが『やる』『発見する』から主人公が大人になっている。大人が『―させる』に変化してしまったと言えますよね」

 私は昭和58年生まれ。小学校時代は、携帯電話はまったく普及していません。田んぼなど、とにかく外で遊びまわり、自転車で行ったことのない道を通るのは冒険で、それはもうワクワクしていました。帰る時間は、まちの”夕方“を告げる音楽が鳴ったらならば。それが今や、私の暮らしている地元のまちでは小学校4年生にならないと、ひとりで自転車にも乗ってはいけないのです。
 遊ぶ場所がない。遊ぶ環境が外にはない。友達だって習い事。もはや子どもたちにとっての放課後とは、家で遊ぶか習い事か。二択しかないのでしょうか。

 「多くの問題は生活習慣から由来していると考えられるんです。私たちの行動というものは、45%が習慣によるもの。朝起きたらトイレに行く、食事をする、歯磨きをする…。こういった行動のひとつひとつを考えてからはしないですよね。これまでの療育というのは、療法士が子どもを変えるやり方でした。これからの療育の姿を、生活習慣から子どもが育つという方向にもっていきたいと我々は考えているのです」

 そんなお話のあったあと、体を使う“実践”を交えながら話は進んでいきました。
(このあたりはぜひ、ここで詳しくは述べませんので、はびりすさんや鹿野さんの講演会にぜひ参加してください)

 触覚―さわる、さわられることが、この世界への感覚をつかむことに、人間関係を育むことにつながっていく。
 しっかり“立つ”ための土台づくり、体の軸をつくること。

 なるほど。うん、うん。ほかのお母さんたちにも知ってほしいと思う内容ばかり。

“あいうべ体操”については聞いたことのある方もおられるかもしれません。私も知ってはいましたが、なぜ“あいうべ体操”に意義があるのか、鹿野さんの説明で理解することができたのでした。
 口呼吸でなく、鼻呼吸がなぜ大切なのかということも。鼻呼吸、本当に大事なのですね。

 「鼻呼吸ができるとは、脳のクーラーになるんです。冷たい空気が脳に行くことで副交感神経が働いてリラックスできる。リラックスするほど、消化器官が働ける状態になる。逆に呼吸が浅いと便秘の原因にもなります。興奮していると消化器官が働きにくくなってしまいます。鼻呼吸は、内臓マッサージ効果があるんですよ」

 鹿野さんのこの日の話や実践が習慣化したら…みんなが”健やか“に過ごせるのだろうなぁ。

「自分の体をじっくり味わおう、が『ついでプログラム』。『ついで』の習慣で一生の健康を、と思います」(鹿野さん)


糸山さんの見つけた“宝物”

  【学童に作業療法士ってなんだろう】 

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  このイベント、主催は岡山県学童保育連絡協議会・UMEプロジェクトです。
ん?なぜ広島で行われるイベントに岡山県?

 この理由には、同協議会会長の糸山智栄さんの”思い“が深く関係しています。
 午前の部が終わり、ボランティアの方々が作ってくださったカレーを頂いたあと、糸山さんにお話を伺いました。

 同会は2016年から、作業療法士と連携し、学童保育に通う発達障害の子どもたちの支援や指導員の支援に関する活動を始めたそうです。

(糸山さんのお話)

 いま、子どもは29歳だから、23年前ですね。
 私自身、親も祖父母もみんな働いていました。だから子どもが小さくても働くのが当たり前の環境で…。ある時家に帰ると、子どもが自転車小屋で“ポツン”としていたんです。だけど地元の学童は、狭いプレハブ小屋のようなところで、そこにたくさんの子どもたちがいる。先生は「静かにしなさーい」などと叫んでいる。”こんなところに子どもを入れるなんて”と思いました。


 保護者としてずっと学童保育に関わってきました。指導員をしている知人もいて、指導員の悩みを聞くことも多かった。一方で、他のきれいな学童をみて「これはいいな」と。子どもが通う学童の壁を白いペンキで塗ったりして。環境が変わると学童の雰囲気が変わることも実感したんですよ。

 私は市民団体の専従職員をしていて、市民活動を長年やっていたんです。助成金を得るためのノウハウも持っています。当時は事務的な手続きが得意でした。事務的なことで学童の運営にも携わるようになり、学童との関わりも深くなっていきました。
 学童はプレハブのような建物が多いですが、木造化がいいのではと、木造化に関する運動活動も助成金を活かしながら行ってきました。学童視察ではフィンランドにも行きましたね。一緒に視察に参加した人が報告書を書き、本になって。地元ラジオでその本を宣伝したんです。そのラジオをたまたま友人が聞いていた。彼は作業療法士になっていて。首都大学東京の小林隆司先生です。30年ぶりに会って話をしました。「アメリカの学校には作業療法士がいて…」といった話をきいてピン!ときたんです。

スウェーデンで働いていた日本人の作業療法士から「ハビリテーション」についても話を聞くチャンスがありました。


 作業療法士は地域にいて、介護の分野で言うケアマネージャーみたいな存在。子どもから大人までを支援しているって話を聞いてなるほどって思いました。これは何かできそうだと。そこから岡山県で、作業療法士と学童との連携事業を始めました。

 するとみんなが興味を持ってくれた。これはもう、全国展開して制度化したらいいんじゃないかと思ったのです。沖縄や宮城などでも連携が始まって、どんどん成果が現れました。

 指導員はみんな忙しい。外部研修を受けて知識を得ても、具体的なアクションにはつながっていなかったのでしょうね。学んだことを現場に落とすことができていなくて。障害のある子どもにも対応したいけれど、対応しきれていない。いつも悩んでいて、現場の個々には対応できていなかった。そんな現実でした。


 作業療法士とは具体策を考える人だったんです。だから、成果や効果がはっきりと現れた。それがとても嬉しかった。

 連携事業を始めてからはもうトントン拍子というか、やることやることがハマっていきました。出会いも広がって…。今回のイベント、はびりす代表の山口さんとの出会いもそうです。岐阜で面白い活動をしている人がいるよって教えてもらって。

 地域には、可能性があるんです。病院にだけ作業療法士がいるのはもったいない。
 「作業療法士の仕事はひとりの幸せを追求する」という言葉を知ったんですけど、これね、今の世の中とは逆の方向みたいじゃないですか。“みんな”が求められて、“我”が出てはいけないような。“はみ出ないでね”といったような雰囲気があるなかで。
 でも結局、ひとりひとりの幸せがなければみんなの幸せにつながらない。
    地域にこそ、作業療法士がいるべきだと思います。

 作業療法ってね、おもしろいんです。
 話をすると、隠れていた“その人のやりたい”が出てくるんですよ。
 「これこれ!やりたかった!」
 行けば次、行けば次、って開いていくんです。可能性が。
 作業療法士が活躍すると、みんなが喜ぶ。達成感がなんとも言えなくて活動しています。

 私は、宝物を見つけた気持ちでいるんです。

 学童の現状

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 さて、糸山さんに話を聞いて一息ついた後、お寺さんの一角の部屋を借り、鹿野さん、糸山さん、この日のイベント・UMEプロジェクトリーダーの髙橋真理子さん、髙橋さんの旦那さん、プロジェクトに賛同し、尾道市向島で子育て支援活動などに取り組んでいる瀬戸房子さんと時間を過ごしていた時の話の一部を紹介したいと思います。

 現在4歳の私の娘は、幼稚園に行っているので、まだ学童のことはよくわかりません。ただ、仕事をしているため(娘は1歳から保育園に通い始め、保育園拒否から、年中の秋―2019年9月から幼稚園へ転園。現在は幼稚園の預かり保育を利用しています)学童にお世話になることと、予測はついています。
 そんななか、糸山さんや髙橋さんの話から「学童の現状に課題がある」ということが伺い知れたのです。
 どういうことだろう?と調べてみました。

 ・学童保育の待機児童が増え続けている。
 ・小学生、ともあって利用はしたいけどあきらめて利用申請しないケースなども含めれば、潜在的ニーズはかなりある。
 ・大規模学童保育が急増:生活の場として適していない
 ・指導員の雇用条件の悪さ
 など。予想以上に深刻なようです。

 「環境に問題のある学童が多くて…。子どもが落ち着けるはずはないですよね。指導員だってそんな環境だったら適切な支援や指導をするのは難しいと思います。子どもは遊びと生活を通して育っていく。学童は生活の場です」(糸山さん)
 「行政が学童を民間委託するケースもあります。環境がよくない場所に100人とかが詰め込まれているような状況で、“子どもに静かにしなさい”って無理でしょう。そんなところで長い時間過ごせるとは思えません。一方で、待機児童は増え続けている。都市部だけでなく、地方でも。『小4の壁』もあり、学童を利用しづらい状況も生まれてくる。これまで働いていた女性がキャリアをあきらめてしまうんです。企業で働くパートの女性だって、わずかな時間しか働くことができません。子育て支援は、乳幼児には厚いものがありますが、就学児になったとたんに薄くなるんです」(髙橋さん)

 確かに、テレビのニュースや新聞でも、保育園の待機児童に関する話題が圧倒的。でも、”子ども“でくくれば、条件はみな同じです。

言い続ける、やり続ける。

 居場所づくりが重要とは、すでにどこも、誰しもが気づいている事実。
 でも、高齢者だけの…赤ちゃんだけの…では「地域全体がよくなる」ことには結び付きません。
 髙橋さんは話します。
 「子ども、ハンディのある人、高齢者…自主防災だってそう。何もかも巻き込んでいかないといけないですよね。ぜんぶイコール。できない、難しいとは簡単に言える。でも、全部ひっくるめての地域です。言い続けて、やり続ける。それしかないと思っています」
 髙橋さんは意思の強い女性です。東京都で長年学童保育の仕事に携わってきました。
 UMEプロジェクトとして、尾道市の飛び地・浦崎に「みんなの居場所―地域みんなの“お故郷、浦崎の家”」づくりを進めているのです。

 昨年4月、髙橋さんは旦那さんの故郷・浦崎へ。旦那さんの仕事の関係上、半年間は単身赴任だったそう。現在、東京の自宅との二拠点生活をしています。

 髙橋さんの旦那さんは“自閉症スペクトラム”との診断を受けています。ただ、髙橋さん自身はそれをずっと知らぬまま、旦那さんと生活をともにしてきました。
 「彼、異様に音に反応するんですよ。テレビをつけているなかで、私が電話しようものなら、うわ~って耳をふさいだり。それにイライラすることもしょっちゅうでした。でもね、予めそう(自閉症スペクトラム)だとわかっていたら違った対応ができていたはずなんです」
(※旦那さんの診断名の公表については髙橋さん、旦那さんから許可を得ています)

 鹿野さんがコメントします。
 「すべてのもとは“聞く”です。ふつうにいったら、いろんな音が混じり込んでいるのですが、情報が入る脳の部分で交通整理をしているために、気にならない。だけどそのノイズキャンセルが出来ない人は、人が多いところとかって非常に疲れるんですね。ヘッドホンをつけて歩いたり耳栓をつけたりしている。カミングアウトして『〇〇すると過ごしやすいです』などと伝えて、合理的配慮というものをみんながすることで、同じ場にいることができる。ここ最近、“感覚への個人差”というものの理解は進んできています」

 「そうですよね。『自分がいる世界がふつう』ってみな思うけどそうじゃない。子どもは自ら学べる存在。支援学級とか、なぜ学校のなかで『分ける』ことをするんだろう。作業療法士とか理学療法士とかが関わることで、ともに学べて、ともに遊べるはずなのに」(髙橋さん)

 慕えるまち、浦崎で


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(イベントでの懇親会にて。右端の女性が髙橋真理子さん)

   浦崎町は、もともと扶助の文化が培われているようで、「こういうことをやりたいんです」というと、協力してくれる姿勢を見せてくれる人が多いそう。のちのち子ども食堂の運営も考えていると髙橋さん。食材はふんだんにあるそうです。
 「お米も収穫できる地域なのでお米にお金がかからないのと、みな自分たちで畑をやっていたりして、野菜が余っているんです。寄付というわかりやすい形で頂くことができますね。浦崎のおじいちゃん、おばあちゃんの力はすごいです。教育には力を入れてきたまちだと聞いてきましたが、単に頭がいい、ではなくて聡明な方が多いんです。一方で、子どもたちのクリエイティブさはすごいものがある。想像を超えていきますから」

 イベント後日、髙橋さんに尋ねたいことがあって、私はメールを送りました。返信には、居場所づくりに関する熱い想いが込められていて、私はジーンとしてしまいます。その想いを、ぜひみなさんにもぜひ聞いてほしいと思っていて。以下、髙橋さんのことばです。
 
 (私は)子どもたちの持ち合わせている感性や魅力を十二分に発揮してもらいたい。
 地域の人たちと出来ることを一緒に考えて、ひとつひとつ積み重ねていきたいと思っているんです。
 大人が与えるものでは決してなく、子どもたちが考えたいろいろなモノやコト、それを大人として寄り添って、形にしていきたいのです。
 この地域を支え、子どもたちや父兄を見守り協力されてこられた浦崎の高齢者の方々とともに。
 
 この一年、プロジェクトに関する私の思いを浦崎で伝え続けてきましたが、地域のみなさんが耳を傾けて理解してくださって「そりゃー、ええことじゃ。子どもたちや親を支えていける、システム構築。わしらに、私らに出来ることがあるならなんぼでも協力するでぇ!」と言ってくださる。
 そんな方々の力をお借りしながら、ひとつひとつ出来ることに取り組んでまいります。

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 その後、もう一通、髙橋さんからメッセージが届きます。

 補足させてください。

 主人のような自閉症スペクトラムであっても、関わってくださった学校の先生方、地域の大人の方々、両親を含め祖父母、この浦崎の環境が、彼を育み育てて下さったからこその、彼の個をとても温かい人間性につくりあげていただけた、と、一保育者である私は見ております。

   浦崎にできる、「みんなの居場所」とともに、髙橋さんの今後の活動-UMEプロジェクトが楽しみです。
浦崎とは、どんなまちなのでしょう。
暮らしているひとたちにも出会ってみたい。
遠くないうちに、訪ねてみようと思います。

U…うらしま、M…みらい、E…ええじゃん。ユメ・プロジェクト。

うらしま…主に浦崎町での活動ですが、沼隈、常石…。市町を越えての、子どもたちや親御さんへの支援をという髙橋さんの思いと、このあたり一帯を”うらしま”ということから。

ラベリングで安心感?

 さて、私は話題を振ってみました。

 子どもに対して何か不安があると、「これって発達障害なんじゃないの?」と短絡的に考えてしまいがちな風潮があります。
 スマホ片手に何でも調べられるから、情報収集して、〇〇病、〇〇障害にあてはまる項目が見つかるものならもう…。
 ある意味で、ラベリングすることで安心しているような。
 医者は医者で何か診断(名)を下そうとする。
 専門家のいう言葉は強いですよね。

 (鹿野さん)
 「みんな、何かしらこだわりを持っています。こだわりのない人はいない。ただ、強弱はある。その夢中さを、何か他に活かせればいいねと。療法士の役目はそこにもあるのだと思います。はびりすのめざす活動にも言えるのですが、『困ったら専門家』ではなく、『引っかける支援』でもなく、公民館などに子育て中のお母さんたちに集まってもらってそこで自然に…。自然に、健康にも関心がいったらいいと思います」

(高橋さん)
「できないことではなくてできることに目を向けたいですよね。ゆるくていいから。みんな、正解を求めたがるけど正解はない。正解がないところから始めないと。答えが欲しい、じゃなくて」

高橋さんのこの言葉には、この場にいた一同が頷いたのでした。

夜のプログラム 作業療法=夢中療法

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夜の部は18時半から。すっかり暗くなった外。参加者が集まりました。
●はびりす紹介 ●こども×作業療法=∞(無限大)を理学療法士と語ろう というものです。

 もともとは高齢者の多い現場で働いていた、理学療法士の鹿野さん。理学療法士が二人という職場で勤めていた頃、はじめての作業療法士がやって来ました。
 その作業療法士が“障害を減らす関わりかた”=問題解決型ではなく、“なりたい自分になる”という考えの、自己実現型だったそうです。
ともに活動をしながら、その人がどんな人生を歩んできたのか聴くことの大切さを実感したと語ります。
 「その人が何を大切にしてきたか。入院していてもその人らしく、“挑戦したいこと”とは何かを考えることで、前向きな目標が生まれるということに気づかされました」

 とある事例を鹿野さんが説明します。
 脳梗塞で長期間リハビリ生活をしてきた70代の男性は歌を大事にしてきた人生だったそう。
 リハビリの取組みで歌を介入したら、男性に変化が見られた。
 「ボランティアで歌を披露しようかな…」との発言があったといいます。
奥さんとの会話も増え、表情も明るくなって、人前で歌を披露することができたのです。
 「やがて亡くなってしまいましたが、“歌えて良かった”とおっしゃった。人生のなかで大切にしていたものはいつまでも残るんですね」(鹿野さん)

 その後、縁あって、仲間たちと“はびりす”を立ち上げることになった鹿野さん。はびりすでは、子どもたちとの関わりが“主”です。

 講演の終わりが近づきました。

「療法士の強みって、評価できることなんですよね。ここができていない、ではなく、何なら夢中になれるかを大事にしているんです。“作業中”っていうと、なんだかとても集中している感じがしませんか。だから、言い方を変えれば”夢中“なんです。作業療法=夢中療法。努力よりも好き、好きよりも夢中。努力は夢中に勝てません」

 鹿野さんがこの言葉を発した時、明らかに参加者たちに「わぁ…」っていう“なにか”が生まれていました。

講演終了後、懇親会が行われました。
そして21時すぎ、光源寺を出て空を見上げると、星がキラキラしています。

“好き”って気持ちは、何よりも尊いのかもしれません。

年齢なんて、関係なくて。

高齢なひとにだって、“好き”な気持ちは、その人を前向きな日々へと“押して”いく。


子どもの育ちを“推して”いく。

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