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美しい、はうれしい ②

花鳥風月

 テキストのタイトル『美しい、はうれしい』は、実は『庭は手入れをするもんだ 養老孟子の幸福論』という本から借りています。この本ではまず、養老さんが「花鳥風月の世界」を訴えます。花鳥風月の世界とは人間の意識の外に、人間の意志とは無関係に広がっている世界(=自然)のことで、

「人事の世界」も「花鳥風月の世界」もそれぞれプラスにもマイナスにも変化し、そのなかで私たちは生きています。どちらかの世界で何か大きなマイナスが起こった時、もうひとつの世界に駆け込めたら、そのマイナスをしのぎきれるかもしれません。 

とあります。これは「ホントそうだな~」と実感できる話ですよね。自然の世界で私(たち、人間)に何か不都合なことが起きたとき、人同士の関係、関わり合いに救われたりする。逆に、人間の尽きない悩みなどは、大自然のなかに身を置くと“ちっぽけだな”と思わされたりするものです。  続いて、森のこと、産業革命、林業に関することが綴られ、世界の森林に対する日本の影響を知らされます。こんなに森や山がある日本なのに世界の安い木材を利用して家を建て…。 

四国ー香川県の山林のなかで

「美しい」は「うれしい」と見出しのついた章で、養老さんは語ります。
 
ぼくは、日本でいちばんきれいな風景のひとつは四国の新緑だと思っています。四国の森は木々が互い違いになって万華鏡のように見える。……(略)………それぞれの木は一日にもっとも多くの日光を受けられるように葉っぱを並べます。最新鋭のスーパーコンピューターでも解けないような非常に複雑な問題を自然は何億年もかけてといてきたのです。今、ぼくたちが見ているのは、自然が出したその答えです。そしてその答えが、えもいわれぬ美しさを持っているから感動的なのです。エネルギーが最適な状態だと脳は疲れない。快適だ、ということになる。「美しい」ということは「うれしい」ということになります。
 
 

脳は疲れない。


 

 思い返せば、山に登ったり、海で泳いだり、海岸で歩貝殻を拾ったりして、つまり自然のなかで遊んでいるときって、身体は心地よさを伴った疲労感に包まれるけども、脳は疲れていません。快適さのなかには「うれしい」が含まれているんですね。脳は疲れないとは、自然=自ら然る(しかる)。脳でなく身体の反応。それは幼い子どもの姿も一緒だなと気づきます。

徳島 日和佐の海岸
2時間半以上、遊んでいました。「移動しよっか」と声をかけても「ここで遊ぶ」と主張する娘

アーシング



 疲れを知らない。海辺に行けば、自ずとサンダルや靴を脱いで海に駆けていく。本能的な動きを見せる。子どもの遊びには、打算的考えは一切ない。
 
海に行って、アーシング。
裸足になって、砂地に触れる。足の裏の感覚が
めちゃくちゃ心地よかった。気持ちよかった。


砂浜を裸足て歩いていて、足元が「パリパリ」。薄焼きせんべいみたい。すなわち「砂せんべい」。なぜか丸い穴がありました。なんだろうか、これ。

とことん、地べた


 
 子どもと過ごす時間―とことん地べた、ってものすごく自然な在り方なのかもしれません。
 気持ちは「うれしい」。
 すなわち、美しい。


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