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PASSION アマゾンへ

 2月4日、マナウス行きの飛行機に乗った。サンパウロからマナウスまでのフライト時間は3時間45分。離陸してから3時間以上が経過してくると、高度が下がった。窓から見えた風景は、うっそうとした終わりの見えない熱帯雨林だった。間には、蛇のようにくねくねとした茶色の川が走っているのがわかる。もうここは“アマゾン”なのだ。期待と緊張が入り混じった。

 アマゾン。
 その独特の響きとイメージ。
 未踏の地、文明知らずの民族、ジャングル、人食うピラニア、マラリア発生地域。
 アマゾンについて、多くの人が抱くイメージは大体こんな感じだろう。

 マナウスについて言えば、まちの内部は「都会」だ。ショッピングセンターもあり、バスも走り便利である。河周辺には市場があり、魚の独特の匂いが漂い、船もたくさん停泊している。


日伯協会での出会い

 マナウスの空港に着くと、年末にユバ農場で出会った藤本さんに電話をかけた。旦那さんの仕事の都合でマナウスで暮らしているという藤本さんは、私の旅の目的を知ると協力を申し出てくれたのだ。マナウスにある西部アマゾン日伯協会に連絡を取ってくれたうえ、日伯協会の宿泊施設に泊まることができるよう斡旋までしてくれた。
藤本さんの家で昼食をごちそうになったあと、タクシーで日伯教会へ。日伯協会はまちの中心からやや離れた場所にある。マナウスのまちはアマゾン河の支流であるネグロ川に面した場所から内陸部へと広がっている。
 近代的なビルやショッピングセンター、高層マンション、たくさんの車。“アマゾン”と聞いたときの多くの人が抱いているイメージとは程遠く、マナウスの内陸部は都会だった。
 警備員のいる門をくぐって、日伯協会に入る。建物の二階に事務局はあり、挨拶をすると事務局長の木場孝一さんが応接間に案内してくれた。緑茶をもらって歓談したあと、数日間宿泊する部屋に案内された。


 2日後の土曜日の昼間、日伯協会はたくさんのブラジル人と日系人であふれていた。何かと思いきや、日伯で行われている日本語学校だった。木場さんいわく、600人以上がここで日本語を学んでいるという。
ドン、ドン!ドン、ドン!
夜、併設されている体育館から太鼓の音が聞こえてきた。辞書を引き、入口にいた男性に「見学させてください」とポルトガル語で話しかけた。
 「どうぞ、どうぞ」
 日系人の彼は、笑顔の日本語で返してくれた。
 練習は始まったばかりのようである。大太鼓をたたくのが二人、中太鼓、小太鼓と続いていて、形はきちんと整っている。15人はいただろう。太鼓をたたく表情は真剣そのもの。
 「ヨォー」
 「構え!!」
 リーダー、副リーダーが存在し、腕の角度やバチさばきに問題があればサッと指摘し指導する。こんなに本格的な練習をしていることに驚いた。
 いったん休憩。目が合った男性に「こんばんは」と言ったら、姿勢を整えて「こんばんは!」と言ってくれた。「どうぞ、どうぞ」と言ってくれた男性がそばに寄ってきて、説明をしてくれた。
 太鼓団の名前は、2007年にNHKで放映された大河ドラマの「風林火山」にかけた“風河火山”。“河”はアマゾン河を差している。もとは「よさこいソーラン」を踊るグループだったが、2009年6月に太鼓団が生まれたそうだ。土曜日と月曜日の夜に集合して練習する。メンバーは25人ほどで、17歳から38歳までの男女が参加しているという。インターネットの動画サイトやチャットを利用するなどして、懸命に研究と練習を積んでいる。
 メンバーにはブラジル人が多い。
それなのに、「風河火山、いっくぞー!」の掛け声が響くのだ。「直れ」の声でピリッと締める。そんな光景に、素直に感動してしまった。日本文化を源とし、新たなエネルギーが生まれているのだ。移民史というものを越え、アマゾンのど真ん中で日本とブラジルは出会っていた。



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