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競争ではなく共創のスタンスを作ってくれた、ジャズダンスとの出会いの話

18歳でジャズダンスを始めるまで、運動は一切やっていなかったし、まさか自分が踊るようになるなんて全く予想もしていなかった。
それなのに大学のジャズダンス部は私にとって、仕事のための基礎を作ってくれる場所になった。

入学式の後、校門前の長い坂道が近くの大学からのサークル勧誘でごった返すような女子大に入学したのに、なんとなく参加した大学内の部活案内で初めてジャズダンスを生で観て、「私もこんなふうに踊りたい!!!」と強く思ったしまった。

雷に打たれたかのように感動し、「これをやりたい」「もっとできるようになりたい」と思う出会いはここから後も何度かあって、その雷が今ここまで連れてきてくれた感じがする。


体験入部でストレッチをした時、先輩がたの体の柔らかさに比べて自分の体の硬さに愕然とした。でもその後の振りを入れて皆で踊る時間は、楽しくて仕方なかった。
うちの大学には鏡張りのダンススタジオがなかったから、できない自分の姿を直視しなかったのも幸いだったのだろう。初めて部活に参加した後は、入部することを決めていた。

結果的に、大学の4年間はジャズダンス中心の生活となった。
大学から1時間半かかる実家から通っていた私は、部活が終わった後は毎晩22時すぎに帰るようになった。入学してすぐに付き合い始めた恋人は、まだまだ下手くそな私のダンスを会うたびに見せられるはめになった。2年生の途中からは部活以外でもダンススタジオに通うようになり、部活がないときも踊るようになった。進路を決める時に、本気でダンスを仕事にして食べていけないか悩んだ。


ジャズダンス部は毎年5月と11月の2回、大きな舞台があって、残りはその舞台のためのレッスンをしていた。
この舞台というのが、曲も振り付けも自分たちで行い、全体の構成も部長を中心に考え、テーマを決め公演タイトルをひねり出し、パンフレットを作り、パンフレット制作代金を稼ぐため近所の店舗に広告営業に行くという、今思えば事業開発そのものの動きをするものだった。

舞台のための練習は、公演日が近くなるにつれて忙しくなり、1ヶ月前くらいからは土日もなく毎日レッスンをするようになる。
思い通りに動かない自分の肉体と直面し、全員で振りを合わせないといけないのに自分が足を引っ張ってしまい、毎日遅くまでレッスンをして疲れ果て、衣装も自分で縫い、人によってはバイトも勉強もやれる余裕がなくなって、新入部員は初めての11月の公演までに、何人も辞めていく。公演が終わったら辞めると決める人もいた。
3年生はそんな新入部員のメンタルケアもしてくれて、企業におけるマネージャーとやっていることは同じだった。

そしてジャズダンスは、ジャニーズやAKBのダンスのように、一糸乱れぬパフォーマンスが多いダンス。
順位を競うものではなく、皆で一緒にひとつの舞台という結果を作っていく『共創』のスタンスが大好きだった。結果的に何度も舞台に立つことで、ジャズダンスが私の人生における姿勢である『共創』の意識を高めてくれたと思う。


そして舞台は、これ以上ないくらいの快楽だった。いまでもあの場所以上に気持ちの良い場所を知らない。
スポットライトを浴びてその瞬間だけに集中し、いまできる最高のパフォーマンスを全身で表現して、終わったら観に来てくれた友人や家族から「こんなに誉めてもらえるの?!」というくらい誉めてもらえる、という特別な場所だった。まさに晴れ舞台。結婚式と同じくらいの気持ち良い晴れ舞台が年に何回もあるなんて最高、と思っていた。

1学年10人弱で構成されていた私たちのジャズダンス部は、多くのスポーツの団体同様、たくさんの物語があった。

続きます。

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