嫌われるお役目
{2022.05.21の記事}
いつも書いていますが、鏡の法則に則ると、[『イラッ。』とさせた人]がいる
のではなく、
[『イラッ。』と"した"自分がいる]
これが正しい解釈です。
つまり、自分の行動によって、誰かが自分を嫌ったときというのは、その誰かの中に問題が存在しているのであって、自分が100%悪いとは限りません。
勿論、自分自身の学びというものも存在するので、対人トラブルが起きた際は自分を見直すことも必要な場合も多いのですが、必ず、[感情が動く側の問題である]という点は押さえておかなければいけません。
自分が誰かに対して
『イラッ。』としたら、自分の中に問題がある。
違う視点から見れば、その誰かの言動は
[自分の中にある問題に気付かせるために起きている]ということになります。
だから、逆に自分の言動によって誰かを怒らせてしまったときというのは、[その相手の中にある問題に気付かせるために起きた]トラブルでもあります。
世の中は上手く仕組まれていて、魂が抱える問題を出題し合うように人と人が出会わされます。
それを、
「あの人が悪い!」
「自分は悪くない!」
だけで片付け続けている限り、シチュエーションや相手を変えて同じ問題が出題され続けます。
自分が問題を解く側になることもあれば、当然出題者側に回ることだってあります。
「自分は何もしていないのに嫌われた。」
こういうときは大抵、嫌った側の人間の魂の問題を刺激したということになります。
自分が気付かない内に相手に嫌われる
これは、天の采配の元に起こったことである、と軽く受け流せる余裕は必要です。
人は、絶対に誰かに対して【問題提起の役目】を担うときがあるのだと思います。
だから、人に嫌われることが起きたとしても
『嫌われた…。』と、深く落ち込み過ぎる必要はないのではないでしょうか。
何度も言いますが、対人トラブルが起きたときは、自分と向き合うチャンスなので、[流して終わり]にしたら勿体ないですが、執拗に反省したり、自分を責め続ける必要はありません。
自分の魂レベルが向上するほど、自分より魂レベルが低い人が増えますよね。
そうなると、魂への問題提起の役割を担う機会が増えます。
だから、嫌われやすい人というのは、魂レベルが高い可能性があります。
多くの魂に対して問題提起してあげなければなりませんからね。
人の魂は、レベルアップさせようとしたときに
・魂の傷を治す
・魂の輝きを増す
要は、
マイナスを減らすこと
と、
プラスを増やすこと
の両面からのアプローチが必要なのではないかと私は感じています。
魂の傷を治す
とは、自分の中に抱える問題に気付いて自分で癒すこと
魂の輝きを増す
とは、自分の優しい心(愛)を広げたり深めたりすること
だと、思うのです。
【愛を広げたり深めるお役目】は動物や子供が得意ですよね。
いわゆる"ほっこり"させてくれる存在が、愛をひろげてくれる存在ではないでしょうか。
多くの人に愛されて然るべき存在です。
恐らく、誰もがそういう役目を担いたいものだと思います。
しかし、【マイナスを減らす役目】、嫌われ役も、世の中には必要なので、嫌われやすい人は、大きなお役目を背負ってこの世に来ている……
のかもしれません。
ところが、この世に生を受けた時点で、あの世で担った役割を忘れてしまうように出来ています。
そのため、【嫌われやすい人】として生まれた人は、とっても大切な役目を担っているにも関わらず、"嫌われる"という辛い経験により、堕天しやすくもなってしまうのではないかと思うのです。
元々素晴らしい魂であるにも関わらず、"嫌われる役目"を通して深まる筈の学びを得られずに、マイナスの方向に向いてしまう人も少なくないのではないでしょうか。
私たちは、全員各々の世界観を持って生きているので、
『私の世界観が正しい!』と訴えるつもりではないのですが、
[嫌われる]という状況にも意味がある
という視点で、1度物事を観てみて欲しいな、と思ったんです。
この考え方で捉えたら、もし自分が嫌われまくったとしても、
『まぁ、そういう役回りだからねー。しゃーないしゃーない。』と、落ち込みすぎることを防げますよね。
だから、
『こういう考え方いかがですか?』
って感覚で書きました。
何もして(したつもりじゃ)ないのに嫌われるって、かなり凹むじゃないですか。悲しいじゃないですか。
でも、私はそういう役目も大事だと、本気で思うんですよ。
と、いうか、私が
『何じゃアイツぷぎゃぁぁぁあ……。』
ってなったときに
『あー、でもこの人のこの言動のお陰で、私の心の問題に気付けたんだよね…。』と後から感じたことがあって、そのときに
『あー、そういうことか。』って、この魂の磨きあいシステムが腑に落ちたんです。
そしたら、
『嫌われた。』って落ち込むのは勿体ないことだな。って思ったんです。
あ、余談ですけど、[勿体ない]って言葉の本来の意味って[本来あるべき姿でない]って意味らしいです!
私はそういう意味で書いてます!
それで、人はみんな何かしら【嫌われ役】が回ってくるときってあると思うので、そういうときに
『嫌われた!』ってあたふたするのではなく、
『あー、当番回ってきたなー。』程度に思ってたら良いんじゃないかな、と思うんです。
自分を見直したりするのも良いことなんですけど、
『自分は嫌われる存在なんだ…。』ってオドオドびくびくして、行動出来なくなるのが一番良くありません。
誰かに嫌われた=人類全員に嫌われる
ではありませんからね。
ここのとこ忘れてはいけません。
誰かに嫌われると、
『世の中の全員が自分のこと嫌いなんじゃないか…。』って疑心暗鬼になっちゃうこともあると思います。
まぁ、そういうのって学校生活で起きがちだから、大人になったら滅多に無いかもしれませんが、[嫌われる]って、別に大したことじゃないんです。ただの当番です。
『疑心暗鬼のせいで、自分を抑えすぎないでね。』って言いたいんです。
太陽だって、直視したら目に良くないのと同じで、
『輝きが強いから目を反らされるんだ!』って、自分が光を放っていることにも気付いてあげて欲しいです。
誰かが魂の自分に気付くための、ヒントになりますように。
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