音は、自由を掻き立てる。
先日、メルボルンに流れるYarra Riverのほとりで収録を行った。
この収録では主に頂いたコメントに対しての返事をしたものだ。
もともとこの川沿いで収録をしようとは思ってはいなかった。天気がとてもよく散歩している中で、この川の流れる水の音がBGMにあったら、よりメルボルンを感じられるかな、と思い散歩がてら収録を行った。
その収録を改めて聞きなおしてみた。面白い。音声のみ、という視覚情報がない中で、メルボルンの自然を音声のみで伝えることができるのだろうか、と不安に思っていた。
むしろない方がいい、と聞いて思った。
文字だと、もちろん人によってとらえ方は異なるが、言葉から想像されるものはかなり限定的になる。
音声は、かなり自由だ。開放的だ。川の音や、鳥のさえずり、聞こえてくるすべてが誰かの耳から脳内に突き進み、想像を掻き立てる。
文字という視覚情報よりもより鮮明に立体的にその情景が浮かび、まさにその場にいるような感覚になる。
これから音声プラットフォームが来る!とか、ラジオがあつい!とかよく言われる。その理由はいろいろあって、僕の知らないところで様々な議論が重なり合っては崩れ、また積み重なっていくのだろう。
どうなろうと僕には関係ないが、せめてこの音声は「自由」であってほしい。誰かがこうすべき!とかこれをすればこうなる!とか、じゃなくて、それぞれが自由に楽しむことが、音声、ラジオの本質なんじゃないかな、と僕は思う。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事は、以下の収録を元に書きあげました。
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