イベントの日付を間違えたので、そろそろ「偶然の産物だったZINE」について語ろうと思う。
予定していなかった出来事に対して、私はどちらかというと嬉しく感じます。もちろん、その出来事が無地かな誰かを悲しませるようなことではなく、道を間違えたり、格好を間違えたり、時間を勘違いしていたり。
ちょっとした偶然にいつも期待している私です。
今回は
そこら辺に落ちている偶然が今のZINEへとつながっている
なんてことを話してこうと思います。
これからもしZINEを作ろうと思っている方、興味がある方に、もし参考になれば嬉しいです。
偶然撮った渋谷2024
そんな今日も3月16日17日に開かれる「インディーズコーヒーフェスティバル」を目当てに足取り軽く向かったわけですが、どこへ行けど何も開催されておらず。
やってしまった。踵を返し、ふと手にはデジタル一眼 SONY a6400。
そういえば渋谷の街はだいぶ変わった、暇だし撮ろう。写真に収めました。
そんなこんなで適当に写真を撮ってはSNSにたまにあげたりあげなかったり。無意味な写真がフォルダには常に山積み状態です。
ZINEを作ったきっかけは「偶然に撮った写真から」だった
現在私のZINEは、基本写真を中心に雑誌っぽく綴っています。
もう売り切ってしまった私のZINE第1号、第2号(新しく刷ればいいのですがまた販売できるのですが、その需要があるのかどうか…)、実はZINEを想定して写真素材を集めていたわけではありません。
たまたま暇で散歩していて、偶然いいなと思ってシャッターを切った(スマホのボタンを押した)寄せ集めが第1号、第2号でした。
まるでさっきの渋谷の写真のように、おもしろーと思った瞬間に右手人差し指が動き瞬間を打つ。
偶然撮った写真には、後から見返すと色々と面白いことが見つかります。
特にそれらを編集で組み合わせたり、特定のテーマで繋ぎ合わせたり、日付も場所も目的も違う写真が、テーマによって見方によって後から意味が加わってくる。
写真を撮ること自体はとても瞬間的です。
でもそこに受け手の時間が加わってくると、瞬間的に切り取られたものに発酵的に意味が加わってくる。私の場合はZINEを作る過程において、偶然撮った無意味だった写真たちが意味を装い、ZINEというクリエイティブに醸造されました。
偶然が新しいクリエイティブを生む、何か自分の新しい可能性を発露させるワクワク感は、朧ながら実体験を伴った実感としたあったのを覚えています。
伝えたいことがなくたっていい。その場で答えがなくなっていい。だって意味付けは後付けだから。
だからこそ、こう思うんです。
写真、イラスト、どんなものでもそうですが、最初からそこに伝えたいものがなくたっていい。後から時間を加え、手を加え、思いを加え、徐々に形が成せばいい。
私はよくあるのですが、その場で意見を求められてもこれといった意見もなく、ただ後々思い返してみるとこんなことも言えるなぁなんて。
もちろん、確固たる自分の思いが最初からありそれを表現したい伝えたい、その姿勢を否定するつもりは微塵もありません。むしろそれはそれで素晴らしく、正直羨ましいです。
ただ、私もそうであるように、その場で答えや意味を求めなくてもいいんじゃないかと思ってます。余白だらけの方が後から色も足しやすいですよね。
ZINEにはその「余白」があると思っています。意味を後付けしていい余白。
その余白があったからこそ、元々デザイナーでも編集者でもない私がZINEというクリエイティブを作れたんだと思います。
ZINEの可能性は余白の分だけある気がしています。そう考えると、もっともっと面白いZINEが日本、世界には転がっていそうな気がするので、なんだかワクワクしますね…!
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