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龍と出逢いに その2 イイ・ヤシロ・チ㉗

なぜ十二支の中に架空(肉眼で見える動物ではない、という意味)の聖獣の龍がいるのか?以前から謎の一つだった。龍虎は、十二支の中でレア度ナンバーワンツーは間違いない。虎はなかなかお目にかかれなかった生き物だけれど、美しくて恐ろしい地上最強とみなされる実在の猛獣である。だから、龍は天空の王者として考えられた?とも想像できる。そして、図書館からのアンサーが見つかった。↓

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000101047

ナルホド、化石(死骸)の発見で、実在性を補強されて、生きている姿は目にできないけれど、存在は確かと信じられた説。その骨格を見た人は、空を飛ぶ巨大な生き物の実在を確信できたのだろう。写真や映像が手がかりのネッシーよりも確かさはアリに違いない。

その後は、人間の想像力により、どんどん肉付けされた龍の姿形etc。そのおかげで、絵画やアニメの世界で出会う龍たちに、わたくしはすっかりとメロメロになった。更にググっていけば、鱗が81枚あるとか、喉のあたりに逆さについている鱗(逆鱗)に触れると大変にお怒りになるとか、色などの種類や指の数の違いなどどんどんバリエーション豊かになっていった。人間の想像力の逞しさに心底愕かされながら、数多の人間たちがアレコレと時間をかけて作り上げたイメージの結晶はやはり素敵だ。龍は、美しく格好よく魅力的なのだ。

例えば、指の数についての情報↓こちらの解説は大変参考になり、指の数論争に対するバランス感覚の優れたお考えについても、わたくしは学ばされた。

https://jpndragon.hatenablog.com/entry/talk/finger#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%BE%8D%E3%81%AF%E5%89%B2%E3%81%A8%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E6%9C%AC%E6%95%B0%E3%81%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E4%BA%8B%E5%AE%9F

以上は、各種資料に基づく龍の謎へのアプローチであった。が、実際にわたくしを含め、龍好きたちは、ただの空想の産物だとするのではなく、肉眼には見えないけれど確かに存在するナニカであると、思って(信じて)いるのだ。

わたくしが観察するに、感応力の高い人は、色やら形までもはっきりと第三の目?で龍を見ているようである。もちろん、凡人のわたくしにはまったくそんな超能力はない。が、それでも何か常ならぬエネルギーを感じることがある。

例えてみると、空中に渦を巻くようであったり、すごい速さで上空を流れていく感じ、天まで上昇する勢いや海や川の岸からズンズンと上がってくる気配など。自然の豊かなロケーションでは、たぶんどんな人もそのようなナニカの存在の体感を心地よく得ているのではないだろうか?

イヤシロチには、あらゆる生き物の生命エネルギーが蘇るような環境条件があり、その働きが、有難い龍神と例えられるのかもしれないな、と妄想するのである。そして、その賦活の力に惹きつけられてまた、多くの人の仔は其処を訪うのである。

そんなことをつらつらと考えていると、大変腑に落ちる説明をしてくださっている動画を見つけた。ありがたくて、心底感謝である↓

https://www.youtube.com/watch?v=H6iX1x0io9o

ところで、最近、小さな地震が何回か起こった京都の地鎮祈願にと、伏見へ友人と出かけた。稲荷信仰のお山として、つとに有名な稲荷山だが、わたくしにとっては、龍だらけのパワースポットなのである。大人気の映る鳥居のトンネルにしても、龍としか見えない。

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行場やお塚と呼ばれる民間人の奉納所が山全体にところ狭しと散らばって、なかなかに凄まじい雰囲気でもある。実は、その念の集まり様にしり込みしていた。そんなわたくしが、コマ龍が居る伏見神宝神社の存在を知って俄然参拝する気満々になったのは、数年前。その稲荷山デビューから、このたび三回目にして、やっと龍との出会いと地鎮を目指して、登拝することができたのである。

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ところで、丁度よい間隔でお休み処が配置された、高さも手頃なこのお山が稲荷山と呼ばれる前は、どんな名前だったのか?滝や池、川など水場で龍の存在を感じながらゆっくりと「お山めぐり」し、気になる場所で祈りをささげた。途中、同行の友人が青い卵?を激写し「龍の卵かなあ?」などと訳の分からない冗談を言いながら、機嫌よく山頂をゆるゆると目指した。

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参道沿いのお塚もよく見ると、金龍、白龍、黒龍などがそこかしこに祀られている。そもそも稲荷山の頂上一の峯の末広社とは、末広=八→八大龍王と連想できる。二ノ峯の青木社を単純に青龍、三の峯の白菊社を白龍とも受け取れるだろう。狐がやってくる前は、此処は龍の山だったのでは?と、龍好きは楽しく妄想たくましくするのである。

前述の伏見神宝神社のコマ龍は、天龍と地龍のペアだった。地龍は地面を担当するとも聞くので、「大きな地震をどうぞ小分けにお願いいたします。」と、わたくしにしては珍しくお願いさせて頂いた。これが聞き入れられるか、はもちろん不明である。それでも、ちっぽけな人の仔のわたくしなりに誠意と真摯さを尽くしたつもりである。この小さいけれど切実な意識が世界に「バタフライ効果」を及ぼすようにと、心底願うばかりだ。

さらに、変わり者のわたくしに限らず、ボランタリーに地鎮や平和のための祈りに各地へ向かう人の仔が、この国にはどうやらかなりの数おいでだと、数日前に友人から聞かされた。そして、そのボランティアは大概「普通のおばちゃん」らしい。権威のない、ただのおばちゃんの私心のない愛が龍とつながり、大難を縮小し、生命や地球を救う最強のかんなぎ(巫)なのかもしれないぞと、希望的妄想で明るい心持になるわたくしなのである。

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最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。



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