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子どもを守護る 背守り からだ♡ダカラ⑭

「背守り」なる“まじない”の作法を知ったのは、それほど昔ではなかった。

子育て真っ最中は日々のアレルギー対策に始まる健康管理や、事故予防と防犯の実践的なテクニックを学び、実行することで精いっぱいだった。だから、残念ながら、おまじないにまで気が回る余裕はなかった。

実家は遠く、親せきも昔からの友人もそばにはいない、今どきでいう所謂ワンオペ育児だった。それでも新しい出逢いに恵まれて、気の良い友情で結ばれた人間関係の中で初めての子育てを自分流にチャレンジして暮らせたのは、運のいい方だったと思う。人と人のつながりの中で我が子を育てることができたのは幸福だ。その頃の温かなお付き合いは、子育て卒業後の今も続いていることもまた有難い。

こういうわけで、わたくしの育児はおまじないからは遠かったのである。子育てがとうに終わってから、その存在を知ることになった「背守り」。わたくしの時よりもいろいろと気をもむことが多くなっているように見受けられる昨今の親御さんにこそ、背守りは心持ちの安定にも役立ちそうだ。

おおまかにご紹介すると、「背守り」とは、子どもの安全を祈り、子どもが身にまとう衣服の背中に施す刺繡のお守りである。例えば、↑の黄色い刺繍の意味は「上と下の点を結んで均衡を表し、子どもが心身のバランスを安定させて平穏に育つことを祈る」である。

嵐のような子育て時代を過ぎ、心身も落ち着いたタイミングに、遅まきながらその存在を知ったわたくし。であるけれど、これから子育てを、という方が知れば、楽しい手作りの抽斗アイテムになるかもしれない。

此処↓に、背守りを習えるお寺のサイトを見つけ、なんだかほのぼのしていていいな、と感じた。「背守り」についての説明もシンプルで好ましいので、シェアさせていただく。針仕事をしながら、ゆったりと子育てを語り合う時間を持つことは、育児を楽にする大切なサポートにもなるだろう。

https://www.kagawa-konzouji.or.jp/semamori/index.html

ところで、背守りを背中に施すことの意味を、わたくしには、個人的にナルホド!と一人合点した出来事がある。それは、友人の鍼灸師に治療をお願いした時だった。

「あらぁ、珍しく風門が弱っているね。」という指摘。暑さにめっぽう弱く、6月あたりから具合の悪くなることが初夏の恒例であるけれど、その日は特別弱っていた。何が原因かもよくわからなかったので、とりあえず気の流れを調えるべく、鍼灸治療を友人にお願いした。この鍼灸も針を刺すわけもいかない虚弱・敏感体質のため、先の丸い棒状のもので経絡を刺激する治療である。

その時、友人鍼灸師から教わったのには、風門から病の邪気が体に入ってくると言われているらしい。さらに、暑さで自律神経も弱っているので、身柱という経絡もスカスカしており、これまた初めて聞いた霊道という手首の経絡も併せて調える施術をしてもらった。

お陰で、どうにか復調し暑さを乗り切ることができた。背中が護られる大事さを実感した体験だ。

背守りの位置もやはり首の後ろ、邪気を払うことが主眼だったのではないか?昔は多くの子どもが病死していた。きっかけは風邪などの症状でも医療が整わないなかでは、子どもの発病は親にとって今以上に怖いことだったろう。墓参で、わたくしの親世代から遡れば、墓石に幼児の名前と年齢が刻まれているのを見るのは、珍しくもないのだ。

たちの悪い邪気が可愛い幼子の背後に忍び寄らぬようにと、その入り口にまじないをかける。心を込めて、意を込めて、針と糸で子の魂が遠くに行かないように、この世にとどまるようにと縫い留める。その切実さは本当に強いものだ。

「糸で縫い付ける」作業の意味するところをよく考えてみると、千人針というまじないもあったなと思い出す。それと同様な思考をベースにしたような、百人からもらった布で作る、子どもを守る百徳着物というものもあると、初めて知ったわたくしである。

https://www.youtube.com/watch?v=CXJI0AbsjGI

子どもが大事にされているのかどうかも怪しい今のこの日本で、子の健やかな育ちを一生懸命に願う心の発露を、ひときわ美しいと感じる自分がいる。

ところで、また東日本大震災の原発事故から12年の同じ日がやってくる。あの時に安全に避難させてもらえず、その後も適切な保護が得られなかった子どもたちの権利を守る裁判がもうすぐ結審を迎えようとしている。

子どもだった原告は、この長い訴訟期間の中で心身を傷つきながらも強く成長した。わたくしも微力ながら、この活動のはじまりから細々と支援を続けてきた。しかし、理由も説明せず棄却という結果がこの12年の結末になりつつある。それは、この国の子どもの権利に対する姿勢の表れのようだと感じる。当時の大臣が被ばく被害を訴えた福島県民に「被ばくでガンになったら、国を訴えればいい。」と言い捨てたこともそれと同様である。

そうした切り捨て路線の先に、今のおかしなコロナ騒ぎや、不自然な予防対策で、さらに子どもたちを痛めている状況があると見えて仕方がない。もういい加減、大人が自分の頭で考え、子どもを本当の意味で守るにはどうすればよいのか、学び知らねば、少子化も子どもの育ちの環境悪化も防ぐことはできないところに来ているのだ。

あわただしく一方的に流れてくる恐怖情報に惑わされず、深く思考するためにも、一針ずつ、背守りを刺し、百徳着物のように子を想う心を寄せ合いたいと心底願う。

この国の子どもたちの心身の育ちを支え守る、合理的な思考と慈しみを取り戻すために。


枝垂れる梅の薫りに護り抱かれて 春の午后

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。




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