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結界(ハザカイ)とククリ ィイ・ヤシロ・チ ⑫

清浄が保たれているイヤシロチでは、此処から空気が変わる、という感覚が得られる箇所がいくつも設えられている、と思う。

見えないベールが、区切りの効果を発揮している、という感覚。大気の粒が切り替わるように軽くなる、重くなる、粒が細かになる、密度が高まる、重力が小さくなったように身体が軽やかになる感じ、頭の中がスッキリとクリアになる、呼吸が楽になる感覚などなど、さまざま変化を感じる体験が何度もあった。わたくしには今時流行りのエビデンスなるような証明はできようもなく、何かにかぶれた思い込み、と言われても仕方ないけれど。

が、それはわたくしに限ったことではなくて、幾人かの同伴者の感想で聞くこともあり、著名な寺社系ブロガーさんらも数多あちらこちらで表現されている。

そして、同じ場所であっても、人によって感じ方はそれぞれなのも興味深い。例えば、わたくしには軽いと感じられる処を、重いと書かれているブログを読んだことがある。寺社は人との相性もあるのか、またはハザカイを超えてそれぞれが繋がる界に入ってしまったからなのか。体感も全く異なる不思議にも謎が深い。

いずれにせよ、あるラインで空間に何らかの変化が生じる現象を体験する人が居て、否定する根拠も実は無い。

アルといえば在り、ナイといえば無い。が、アルという証拠は、一つ。その変化の発生場所に名前がついている点である。

古来、大和言葉では「ハザカイ」、仏教の影響を受けるようになってからは「ケッカイ」と呼ばれるようになったらしい。今では、寺社にはある作法を施された「結界」が存在することは、周知・当然のことと受け止められている。

結界となると、シールドのような遮りをイメージするけれど、わたくしの体感では、ハザカイの印象は「ベール」が近い。神社の拝殿で見かける、暖簾のような御帳(ミトバリ)は、可視化されたハザカイに当たると考える。

ハザカイをくぐり、異界に入る。其処に体感が生じるのかもしれない。

クグルといえば、当月九月は別名菊月であり、わたくしには、ククリヒメを想念する月である。言葉遊び的に、菊花、神紋の胡瓜、9月9日の重陽の節句、栗がイベントアイテムである。

https://genbu.net/saijin/kukuri.htm

奇数は縁起のよい陽数、中でも一番大きい陽の数である9が重なる9月9日は「重陽」と呼ばれ、祝われる。優れた薬効をもつ植物である菊が群生している谷を下ってきた水を飲んだ村人たちが長寿になったという中国の「菊水伝説」と菊月をかけて、日本の平安貴族も菊酒や菊が発する露を被綿(きせ わた)で集めて、噺にあやかる健康祈願の行事を楽しんだという。

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そして、現代に暮らす庶民のわたくしも、極端に陽に振り切ったアンバランスからくる厄を祓うため、菊花を愉しむ。そして、重陽の妄想は、「菊のククリヒメは、境界線に立ち、二つの界をつなぎ合わせ、宇宙の構造を保持するはたらき、エネルギーである」に辿りつく。

日本書紀の一書にだけ著される、謎めいた女神。この世とあの世の行き来を制した女神は、今や地上の大切なエネルギーポイントの高い場所で祀られている。

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ところが、かつて訪れた、島根の黄泉平坂には、黄泉の国への道をふさいだ大岩があったが、其処にククリヒメは見つからなかった。

「この岩の先はあの世ですが、ここはあの世からの出口だから、此処からあの世に入ることはできないし、だからこそ安全なんです。」タクシードライバーさんは、そう穏やかにレクチャーしてくださった。

黄泉平坂の大岩はしっかりと閉ざされた扉だから、ククリヒメが其処にいる必要はなかったのだろうか。

ククリヒメは境界の守として、禁を破ったイザナギに「ナニカ」を耳打ちし、追手のイザナミは怒りを鎮めた。

やがて、わたくしの妄想は、このお話は、「見える世界の者は、無闇に見えない世界に立ち入ってはいけない」と明確に線引きされた瞬間を人の仔に示したものと解釈した。

ハザカイの掟。それは、宇宙の物理の絶対的な決まり事としての、カミ(神)。だからこそ、確と心に申すのだ、人の仔は絶対に忘れてはいけないと。

人間の目に見えている宇宙は、全体の4パーセントだと書かれている本がある。不可視の96パーセントとの境界はどうなっているのだろうか。

https://www.sbcr.jp/product/4797365788/

そして、どうにか見えている4パーセントに限っても、わたくしたち人間は、まだまだ把握・理解の域にも到達してはいないようだ。自らの身体の仕組みや、生命の成り立ちでさえ、まったくのブラックボックス状態なのだから。

その見える世界に真剣に取り組むことが、まずは優先されるべきなのである。黄泉平坂の神話は、人間の手に負えない、広大で深遠な世界に関わるのは、人の分際を超えた危険があるとする警告かもしれない。その境界に立つククリの理の女神を崇め、人の範囲を全うするべきという戒めだ。

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話は跳んで、ククリヒメを龍神とする表記も多い。白山の「白」からくる白龍なのか。天御中主(宇宙)を祀る社に、白山や白龍も祀られていることもある。調べていると、五行思想の中国の龍の話もまた見つかった。

白竜(はくりゅう、白龍、拼音: báilóng パイロン)は、古代中国で、天上界の皇帝である天帝に仕えているとされた竜の一種。名前のとおり、全身の鱗が白い。竜は基本的に空を飛べるが、白竜は特に空を飛ぶ速度が速く、これに乗っていれば他の竜に追いつかれないともいう。ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいることもある。

菊理媛神を祀るのは白山神社。白は、百から一を引いたもの。計算すると、重陽の九十九。だから白山はククリの山。シラヤマはシラネヤマに繋がり、富二、フクヂは二つのクのチ、つまりククチ。木の神。富士は、本来、藤原のフジヤマではなく、木の神々の聖なるお山、ククチヤマであったのかも?クが二つのフクチヤマも元伊勢の鎮座する地名であった、とまた連想してしまう。何重もの言葉と音と意味のまじないがかかる女神の名の不可思議さ。

そうだ、山だけではなく、九十九里浜や九十九島もあった。日本の国土は龍体の形をしているから、国全体をもってククリヒメを表しているのか。ハザカイをククリ、世界を保つ。見える界と見えない界のハザカイで、秩序と均衡を保つククリの物理が働く国土であり、その中に数多ある聖処(イヤシロチ)。其処を詣でるちっぽけな人の仔であるわたくしは、宇宙の不思議に触れて心身の結びつきが強化されて癒やされている。

そのような妄想が、秋風の夜半に拡がる月夜であった。

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