見出し画像

手水舎(テミズヤ)と禊 ィイ・ヤシロ・チ⑮

鳥居をくぐり、参道を進み、随神門を通り、いよいよ参拝という前に、身についた穢れを祓う手水舎。

https://powerspot-quest.com/manners/sahou

イヤシロチ近くに湧く清水などを利用し、その清浄の力で穢れを持ち込まぬよう洗い落とす設備。これまでご縁のあったイヤシロチの手水舎の数々を思い出してみる。いろいろな楽しい意匠が施されていて、わたくしが毎度愉しく観察する場所でもある。

水口の定番は龍だと思うが、実に様々なバリエーションがあって、こんなインパクトのあるモノも。

画像1

「ちゃんと手を洗ったか?」などとだみ声で訊いてきそう、と友人と笑いながら、おっかなびっくりで自分の手を差し出し眼を合わせぬようにした手水舎は、此処だけかもしれない。数え切れないほど、手水で清めてきたわたくしが。

本来は、社前の水辺(川、湖、海など)で沐浴するほど厳しく穢れを落とすべき禊が習いだったかもしれない手水舎での作法。近年のように娯楽の要素も大きくなり、ポピュラー化した参拝スタイルの定着の過程で、外部からやってくる者が疫病などを持ち込むことの無いように、衛生の保持と時短の為にこのような実務的な簡便システムが成立したのかもしれない。

手水鉢にも様々に楽しい趣向が凝らされているのを見つけると、本来人の仔は造形遊びが大好きなのだと思われて仕方ない。

なかなか目につかないような箇所にある、何ともかわいい意匠の数々。

画像2

目立たず足元で踏ん張るお相撲?さんに「ご苦労様です」と一声かけたり、

画像3

「あら、こんなところで遊んでいるの?」と隅っこのカエルさんを見つけて喜んだり。(見たところ、特になんのお仕事もせず、ただ其処に居るだけの所謂賑やかし役なのか?参拝者が無事に帰るようにの縁起物か)

つらつら思い出すと、次々と各地の石工さんの技と遊び心の結晶のラインナップが脳内に蘇ってくる。イノシシ、鹿、蛇、亀などなど。きっと日本全国には面白い手水舎がいっぱいあるのだろう。此処に京都の楽しい手水舎コレクションがあった。

https://kyotopi.jp/articles/Wq67i

神社にはお宝を納めた宝物殿が常設されているところもあるけれど、わたくしが愛でるのは、誰が作ったのかも知る術も無い、名もなき作品たち。少し気を付ければ見つけることのできる、宝探しのような楽しさが誰でも得られるのもいい感じ。

人によれば深刻な悩みや重い心持ちの参拝を、おめでたい吉祥のキャラクターで思わず微笑ませ、和ませる力を持つこれら。手や口を清めながら心に張り付いた澱みや垢を笑いで禊ぐことができるかもしれない。

そして、やはり、手水舎で手や口を清めることは簡易の禊とコトバンクに書いてあった。

https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8A-138728

古事記にある、黄泉の国からの帰還した折、イザナギが死者の国の穢れを祓い清めようと身体を洗った「禊」は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で行われたと祝詞に残る。かつてわたくしが偶然たどり着くことのできた早朝の阿波岐原の池は、朝日に照らされながら神々しく輝く水面が神話の舞台感を強く醸し出していた。

http://mppf.or.jp/shimin/myth/

ふと、阿波岐原という字には、「阿波」=徳島と、讃「岐」=香川があるな、と思った。もしかして、四国との関連が?と考えが浮かび、探してみると、日本書紀からの「阿波岐原は徳島県」とする説が見つけられた。拝読すると、とても興味深く、ナルホド、と思う。

https://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/03/17/212534

これを知ると、四国の阿波岐原にも是非とも参じなければ、と思う。どんなイヤシロチが待っているだろう?

こちらの阿波岐原は海の禊場であるようだ。確かに、海を渡ってくる神々にはピッタリのお話の舞台かも、と思う。四国と神話の結びつきについては、また別の機会にじっくりと深く考察したい。

さて、手水舎に話を戻そう。この頃衆生を悩ませているコロナの影響のために、使用禁止になってしまった手水舎を、きれいな花で飾って参拝者の心を慰めるという素敵な工夫も現れた。

優しい共生きの感性がとても素晴らしいグッドアイデア。ここ迄読んでくださった皆様にも、こちらの京都の花手水の動画でどうぞ心を癒やしていただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=5Lu0Uquf7vw

姿がはっきりと見えない誰かの大きな声が、長引く自粛と病への恐れに疲れて弱った皆をどこか危ないところに連れて行ってしまいそうな、そんな風潮が気になるご時世である。

こんな時こそ、花手水のように、心の中にも美しい花を咲かせるような、お互いをやさしくいたわる日々の暮らしを明るく紡いでいきたいと切に願う。

一人一人がそれぞれの命と健康を「自分自身で」大切にできること、お互いを自分と同じように尊重すること。こんな当たり前のことが、支配管理的な理不尽で強い勢いに台無しにされないように。

画像4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?