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映画の感想「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」

こんばんは、かなり久しぶりに文章を書きます。
そして書き方を忘れてしまい困ってます…。習慣や継続の重要さや大切さを感じているなぐです。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

最初に見たのは中学か高校ぐらいか、それだけ古いのにいまだに人気がある超絶凄い作品です。
ストーリーは短縮されている為、一度アニメや漫画を見ている人向け前前提なっていると思うので、見た事ない人は是非アニメ版を見て下さい。

1作目はストーリーは以前と変わらずですが、当時幼い視点で見ていた時と感じたものが大きく違いました。

特に気になったのは、シンジがエヴァに乗りたくないといいふてくされているシーン。
昔は過酷な状況に無理やり自分を適用させようとして苦しんでいるシンジに目がいっていました。

今回はミサトさんの言葉で「降りたければ降りていい。どうしたいか自分で決めなさい」という言葉。

「周りが乗れっていうから」「ミサトさんが乗れっていうから」「乗ればいいんでしょ」
シンジは人に認めてもらう為、自分の居場所や存在理由を作るために、自分の意思ではなく周りの期待や言葉によって動かされていると感じます。
そこに対してミサトさんは自分で決めろと言う。

このエヴァを自分の周りに当てはめてみると色んな事に当てれると思います。

会社を辞めたいけど辞めたら社会や周りや親族からの声が…、離婚したいけど×というレッテルを貼られる…、住む場所を変えたいけど行った先の人間関係が不安だ…。

一部ではありますが事あるごとその都度近いような言葉が出てくるんじゃないでしょうか?
これらは全て【他人や社会など周りが主にある状態】だと思います。

自分の意思とはかけ離れた行動はかなりきついですよね。
でも腹減って食べるとか、眠くて寝るとか、sexするとかでいちいち人に聞くでしょうか?

「お腹減ってるけどミサトさんが食べろっていうから食べる」「ミサトさんが寝ろっていうから寝る」
なんだかおかしいですね(笑)
でもこれは、自分で自分の命を他人に預けてる行為だと思います。

色々な条件や立場からそれを選ばざるを得ない事も多々あると思います。
でもそれすらも流されるままに生きていると次第に自分の気持ちは分からなくなり、考えるのが辛いという事から逃げて不感症になったり、正解探しや他人に聞く事しかできなくなる人生になるのではないでしょうか?

自分で決めるのなんて自分の意思だから簡単!だといいんですが、実際はそうではありませんよね。固定概念や潜在意識に自然と操作され本当の意味での自分の意思などはわからなくなってしまいます。

でもそれを諦めて放棄する事が一番の損。
そんな事を考えさせられた序章でした。



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