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レールモントフ『帆』 試訳



海の青い霧の中に
白帆が一つ光っている
遠い異国で何を探して
故郷に何を捨ててきたのか

波は逆巻き 風は吹き荒れ
マストは撓み 軋む
ああ 帆は幸福を探すわけでも
これから逃げるわけでもない

下には瑠璃よりも明るい流れ
上には金色に輝く日の光
しかし帆は逆らって嵐を頼む
その中にこそ安寧があるように

1832.『Парус』

この詩が書かれたのは1832年9月2日、レールモントフが18歳の時である。前年に父を亡くし、6月には教授陣との意見対立からモスクワ大学を中退したレールモントフは失意の中にあった。

ペテルブルク大学への編入にも失敗し自分の行く末を思い悩む中、友人であったマリヤ・アレクサンドラ・ロプヒナに手紙を書く。

「私たちが離れ離れになってから既に数週間になりますが、長いことこのままかもしれません。というのもこの先慰めになりそうなことが何一つ見出せないのです。
名前は伏せますが、ある人たちの汚い中傷を受けていても、私の方は相変わらずです。ここに書くのは海辺で作った詩の続きです。」

(原文はフランス語、ロシア語訳から重訳)

この後に続くのが冒頭の詩である。しかしわずか18歳にしてなんと達観して完成した詩を書いていることだろう。この辺りの早熟さについてはレールモントフも自覚していたようで、同じ年に書かれた詩には

Я раньше начал, кончу ране
(私は人より早く始めたから、人より早く終えるだろう)

1832.『Нет, я не Байрон…』

という一節もある。このあとレールモントフがわずか26歳にしてこの世を去ることを思うと、なんとも重苦しい運命のようなものを感じさせる。

読んでいただきありがとうございます。

付録『帆』原文

Парус

Белеет парус одинокой
В тумане моря голубом!..
Что ищет он в стране далекой?
Что кинул он в краю родном?..

5 Играют волны — ветер свищет,
И мачта гнется и скрыпит...
Увы! он счастия не ищет,
И не от счастия бежит!

Под ним струя светлей лазури,
10 Над ним луч солнца золотой...
А он, мятежный, просит бури,
Как будто в бурях есть покой!

1832



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