この詩が書かれたのは1832年9月2日、レールモントフが18歳の時である。前年に父を亡くし、6月には教授陣との意見対立からモスクワ大学を中退したレールモントフは失意の中にあった。
ペテルブルク大学への編入にも失敗し自分の行く末を思い悩む中、友人であったマリヤ・アレクサンドラ・ロプヒナに手紙を書く。
この後に続くのが冒頭の詩である。しかしわずか18歳にしてなんと達観して完成した詩を書いていることだろう。この辺りの早熟さについてはレールモントフも自覚していたようで、同じ年に書かれた詩には
という一節もある。このあとレールモントフがわずか26歳にしてこの世を去ることを思うと、なんとも重苦しい運命のようなものを感じさせる。
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