冥道血風録~幕末に舞うメイド服~

伏龍・地摺り斬月

 ①
 皐月も半ば、夜も更けた亥三つ(午後十一時)頃。梅雨の合間を、月が照らす夜。京の都三条大路を小走りに進む、不可思議な一団がいた。

 濃紺の長襦袢に白の奇怪な形をした前掛けを合わせ、頭には異様な形をした大髪留めを着用している。隊列の誰もが奥女中に推挙できるほどの器量良しであり、歩調には一切の乱れがなかった。

 彼女たちは何者であろうか。今は急場故、説明は後ほどとする。彼女たちは朝に夕に京を護る戦乙女であり、此度は急報を得て西大路にある旅館桜屋へと突き進んでいた。皆が腿の辺りで長襦袢を持ち上げていた。裾を汚さぬための、たしなみである。

「冥土様じゃ」

「冥土様の行列じゃ」

 たまたま姿を目にした者が、遠くから頭を下げる。その視線は、彼女の奇妙さを疑ったりするようなものではなかった。純粋な敬意と親しみが、寄せられていた。すなわち民草の味方、あるいは王城の守護者たるを証明していた。

「駆けよ。ひた駆けよ」

 親しみを受けて突き進む隊列。その先頭に、頭領たる彩覚尼《さいかくに》がいた。彼女の脳裏には京洛の絵図と、焦燥が描かれている。だが彼女はそれを自覚していた。自覚した上で事を成す。そのための冷静さも備わっていた。

「止まれ」

 そうして暫しの間突き進み、旅館桜屋の前で、彼女は部隊を止めた。手下ではない。京を護る大事な同志だ。全員の顔を一度見回す。この後起こる戦を思い、わずかに目を閉じた後。

「夜分に失礼致します。主人殿は居られますか?」

「はい、ただいま」

 長襦袢を持ち替え、戸を叩く。遠くからの声が、それに応じる。空気が沈む音が、聞こえた気がした。さもありなん。心を固め、鍛錬を重ねてなお。実戦そのものの経験は少ないのだ。ましてや相手は――。

「その姿は冥土隊! 御用あら……」

 扉を開こうとした御用聞きが、察しを付け、閉め直さんとする。刹那、手裏剣が御用聞きの眉間を撃ち抜いた。やったのは列の最後尾に立っていた、尼削ぎの娘。隊列を避け、斜め四十五度から放物線を描いたのだ。

「た、め……」

 眉間を穿たれ、仰向けに倒れる御用聞き。こうなればもはや、箒を振るう他に手段はない。

「一同!」

「はっ!」

 彩覚尼の号令一下、女性たちが長襦袢の裾を高く持ち上げる。するとどこに隠していたのか、短筒《ピストル》、手裏剣、クナイ、箒にはたき。次々と武器が落ち、音を立てた。

「旅館桜屋! 脱藩浪人を多数かくまっておるとの情報があった! 御掃除改めである!」

「御奉仕!」

 独特の唱和と共に、各々が武器を持ち、旅館内部へと躍り込む。彩覚尼は殿《しんがり》に立ち、采配に徹した。

 しかし不逞浪士どもも抵抗を見せた。腕が立つと思しき者たちが、次々と躍り出る。酒でも交わしていたのか、多少顔を赤らめてはいた。だが足取りは確かである。酔いに振り回されるほど、愚かではないらしい。

 立ち向かうのは、一番に乗り込んだ背の低い冥土。未だ年も若く、箒を持つ手は細長い。されど振るうは鉄仕込み。箒を縦横に振るえる者のみに許された逸品である。

「おなごなぞに引ける訳がなかろう! でえやあっ!」

 階段にて、交戦が始まった。腰の物を抜き、横薙ぎに斬りかかるは浪士の一番手。毛が伸び出した月代《さかやき》が目立つが、その剣は確かに疾い。しかし。

「御掃除!」

 先手の少女はあくまで冷静だった。素早く屈んで刀をかわす。目線を切らず、寸毫まで引き付けてから避ける。体捌きも、堂に入ったものだ。そして。

「御奉仕!」

 そこから上体を起こすことなく、男のみぞおちに箒の柄を突き上げた。これぞ冥道総本山より受け継がれし基本技、「柄突き」である。真に秀でた冥土は、これ千回繰り返す間も、頭上の甕から水をこぼさぬと言われていた。

「ぐえっ」

 だがその境地に至らぬまでも、日々の鍛錬が磨き上げた突きには凄まじいものがあった。弱点を突かれ、浪士はたまらず二つ上の段で尻餅をつく。しかし、それは悲惨な攻防の序の口に過ぎなかった。

「一番箒、御美事!」

「おのれ!」

「生きて帰すな!」

 少女を称える彩覚尼の声に、浪士の蛮声が交錯する。敗れた男を踏み潰す勢いで、不逞浪士たちが階段を駆け下りる。しかし彼等には無言の銃弾と手裏剣、クナイが襲いかかった。正確無比の矢衾が、抜刀一つさえ許さない。

「ぎゃっ!」

「ごふぅ!」

 眉間や目を貫かれ、苦悶する志士。階段に折り重なって倒れ、中には転げ落ちる者もいた。誰一人として、階下への突破はかなわなかった。血で服を汚さぬように長襦袢を手繰りつつ、冥土達は無慈悲に階段を駆け上っていく。

 彩覚尼はその背を見送り、胸を撫で下ろした。なにしろ、全てがあまりにも突然だった。島原――遊郭から協力者が駆け込んで来たのがおよそ一刻前。桜屋周りの浪士の集まりは、確かに警戒していた。しかし、事は彼女の予想を大きく上回っていた。

「なんたること! 都に火をかけ、主上《みかど》を攫うなどとは言語道断!」

 副長に告げられ、彩覚尼は思わず叫びを上げた。それほどまでに、協力者が持ち込んだ情報は猶予ならぬものだった。風の強い日を狙って京洛を焼き、帝を連れ去って長州へ動座させる――あまりにも不遜な計画であった。

 彩覚尼は自分たちの職務と照らし合わせ、即決した。情勢が悪化する中、京を護るためにやるべきことは。

「総員を集めよ。最低限を残して、桜屋を御掃除いたす。これは主上へ捧げる、最上の御奉仕であると心得よ!」

「はっ!」

 打ち掛け小袖と島田髷から、まとめ髪と隊、ひいては冥土の正装へ。忍の術にも心得がある彩覚尼にとって、この程度の着衣替えは朝飯前だ。文字通りに一瞬であった。

「四半刻(三十分)以内に準備を整えよ。整わぬ者は置いていく」

「はっ!」

 側の者が場から消え、瞬く間に屯所が戦闘態勢へと変わる。集合、夜更けの早駆け、階段の攻防と経て、今の状況がある。

「御掃除!」

「御掃除改め!」

「掃除!」

 次々と襖が開けられ、店主や家族、下働きの者が引きずり出され、縛り上げられる。だが浪士と思しき者はいない。店主と目を合わせ、彩覚尼は問うた。

「桜屋殿、浪士どもは上階ですかな?」

 努めて厳かに、さりとて微笑みは隠さず。男を魅了するように、言葉を告げる。鼻下に髭を蓄えた商人は、観念したかのようにうなずいた。

「安心なさい。桜屋殿には累が及ばぬように致します。この捕縛は、一時のことです」

 うなずきを確認して、彩覚尼は微笑んだ。花のような笑みである。ついでに下働きの小僧や、孫と思しき童子にも笑みを振りまいた。有り体に言えば、人心掌握の術である。要らぬ反感を買えば、役目を失う。危機感が、彼女をそうさせていた。

「副長」

「はっ」

 副長を呼び寄せる。本山での修行時代から付き合いのある人物だ。ややきつめの顔立ちだが、それでも男の何人かは目を見張っていた。

「私は上へ行く。後は任せた」

「はっ!」

 彩覚尼は伴に一人のみをつけ、上階へと向かっていく。その瞳には、未だ焦燥の影が滲んでいた。


 ②
 さて、ここで一度脇道に話がそれることをお許し頂きたい。つまり彩覚尼と冥土たちが、如何なる人物であるかということについての話である。

 読者の皆様は、「歴史の影にメイドあり」という言葉をご存知であろうか? 否。メイドは西洋からの舶来だと思っておられたであろう。だが真実は異なる。歴史は密かに改ざんされ、闇へと消されたからだ。

 もっとも、それに間違いはない。実質同義であり、同一視されているからである。明治の御代に冥土が一時期禁制とされ、その間に似たような性質を持つ舶来のメイドが大きく広まってしまったのだ。

 では、本邦における冥土とは、いかなるものであったのか? そもそもの始まりは鎌倉時代であったと言われている。開祖が如何なる人物かは史料の不足故に不明だが、少なくとも文書には「冥士《メイジ》」という単語が記載されている。

 この冥士が誤記誤読、あるいは死者の国を示す冥土と混同されたというのが、近年における冥土研究についての定説だ。

 そもそも我が国における冥土とは、「死にゆく者が迷わぬよう、身の回りの世話をする者」のことを指していた。かつては仏法を修めた僧侶が、やんごとなき方々に請われてこの行を務めたとされており、行の作法を冥道といった。

 しかし時代が下るにつれ冥道も冥土もは変質していった。僧侶から女性へ、死期に側にある者ではなく、常に付き従い、主人の身を守る者へ。人の業が深まるとともに、その姿は変わっていった。

 やがて冥道の教えにも箒捌きや足捌き、毒物の処理といった武術・暗殺の要素が組み込まれていき、遂には忍の技である手裏剣やクナイも取り込んでしまった。戦国の御代において、冥土が忍びじみて取り入れられたためである。

 武田信玄の歩き冥土、上杉家の軒下猿……更には松永弾正久秀もが冥土を駆使して勢力を得た。彼は自身も冥道の行を修めており、その縁から公私様々に冥土を使っていたという。多くの冥土が、戦国の世を駆け抜けたのだ。

 ともあれ冥土は世の陰で長く続き、そしてまた、新たなる乱世に引きずり出された。その頭領たる彩覚尼もまた、運命に翻弄された娘であった。

 ある高位の公家の私生児として生を受けた彼女。才は父も認めるところであった。だが実子と認められることはなく、冥道寺《めいどうでら》に師事することとなった。父が保身に走ったからである。しかし同時に、父の愛でもあった。

 身分差が小さく、尼寺よりは世俗と繋がりのある冥道寺であれば、彼女を世へ送り出す手段があるやもしれぬ。彩覚尼の父はそう考え、すがったのだ。

 そして彩覚尼は父の願いに応えた。若くして本山に召し上げられ、更に研鑽して武芸を磨き、高位の冥土となった。結果。

「……父上たっての頼みとおっしゃるのでしたら、お引き受けいたします。一月ほど、お時間を」

「おお! ありがたい! なにぶん宮中は複雑怪奇、伏魔殿にて。貴殿ら冥土であれば、派閥争いなどには……」

 父に請われ、洛中警護・准検非違使としての職務を負うことになったのだ。宮中政治闘争の顛末による白羽の矢とはいえ、彼女に断る理由はなかったのだ。


 ③
 閑話休題。さて、彩覚尼と伴の者が屍山血河と化した階段を踏み越えると、視界には奇妙な光景があった。大広間と廊下を隔てる襖を前に、冥土たちが顔を見合わせていた。さらに向こうでは、手傷を負った冥土が応急処置を受けていた。

「何事か」

 彩覚尼が問う。

「はい。敵が総領様との一戦を望んでおります」

 応えたのは、一番箒を果たした娘だった。周りの表情が、この一見突拍子もない発言を肯定していた。尼削ぎが、補足説明に割って入る。

「我々がこの襖を開けた時には、既に血の海が広がっておりました。一人の男が、首謀者を含め、他十数名を斬り殺していたのです」

 にわかに信じ難い報告。彩覚尼は意識せずして美しい顔を歪ませた。一度深呼吸をした後、尼削ぎに続きを促す。

「男は、不逞浪士というよりも無頼漢、あるいは剣客に近しいところがございました。彼は真っ先に突っ込んだ二名に傷を負わせ、吠えました。『俺はこの時を待っていた。ここに居た者は全て俺が斬った。冥道者よ、うぬらの長と戦わせろ。うぬらでは相手にならぬ』と」

「……」

 無言のままに、彩覚尼は場の全員を見回した。苦虫を噛み潰したような顔が、全てを物語っていた。途端、彼女の心中に火が灯った。冥道者、一人の武芸者としての衝動。あるいは、隊を見くびらせぬという怒り。綯い交ぜになり、突き動かした。

「承知した。私が其奴と箒を交えるとする」

「総領様?」

「襖を開けよ」

 動揺する冥土たち。だが彩覚尼は意に介さなかった。尼削ぎと一番箒が、素早く襖を左右に開いた。ぱぁんと、小気味の良い音が鳴った。血の跡が、視界いっぱいに広がった。

 宴の痕。血溜まり。息絶えた屍。広間の片隅に、それを起こした者がいた。刀を脇に携え、刺身をぶら下げていた。

「お待たせ致した」

「おう、待ちくたびれたぞ。後少しもすれば『冥土隊は申し合いを拒否する臆病の群れだ』とでも叫び倒しておったわ」

 男は刺身を舌に乗せ、一息に飲み込んだ。漲らせた剣気に、酒と血の臭いが混じる。彩覚尼は目を合わせず、ジリ、と距離を詰めた。異様な近づき難さが、そこにはあった。

「……冥土隊総領・彩覚尼」

 しかし彼女は名乗り、箒を脇に構えた。同時に、心が鎮まっていくのを感じた。揺るがず震えず、泰然とそこに立つ。冥道の心構えが奉仕であるならば、冥道の身構えは泰然自若にあった。彼女はそれを、体現していた。

「雲州浪人・伏龍と申す。冥土皆伝という噂を聞き、刃を交えたく思っていた」

 とうに名を捨てたか、大仰な偽名を名乗る浪人。しかし青眼に構えれば、気迫に満ち満ちていた。外面は怪しげである。擦り切れた黒の上下を纏い、髷の手入れはろくにされていない。されど彩覚尼は、一瞬にてすべてを読み取った。

「不足なし」

「ならばい」

「御掃除」

 短く言葉を交わす。直後。

「ちぇるぁああっ!」

 遠間から先に動いたのは、伏龍だった。気勢十分に踏み込み、右袈裟を狙う。しかし彩覚尼にかかれば、足捌き一つでかわせる一撃だった。だが――

「喰らえ。秘剣・伏龍――」

 回避されることが前提だったのか。あるいは袈裟斬りそのものが囮にして前段なのか。彩覚尼が回避した直後、伏龍の髭面が眼下にあった。臭いを察知してなお、遅かった。

「キエアアアアアアアアッ!」

 刃が返り、凄まじき疾さで斬り上げられる。地摺り斬月を思わせる剣の動きに、彩覚尼は躊躇なく逃げを打った。右に飛び、盃や肴を跳ね飛ばし、流れた血さえも身につけて。十歩は距離を置き、膝立ちに構えた。

「……至らずか」

「否。危うかった」

 空気が解けた後、長襦袢の布地がはらりと落ちる。刹那の差。だが、その刹那こそが。

「冥道のおなごは、須らくが処女《おとめ》と聞いたが」

 僅かな空白の後、伏龍が口を開いた。彩覚尼は、姿勢を崩すことなく応じた。

「須らくとは大袈裟にございますが、おおよそは。冥道は仏門の一つゆえ。されど」

 彩覚尼は立ち上がる。浪人の剣気が、薄れつつあった。

「されど、貴方様が私を食らう前には。皆が全てを掃除するでしょう」

 冥道の身構えを表す立ち姿は、血に塗れてなお美しい。仲間を信じる微笑みをもって、浪人の眼《まなこ》を見返した。

「はっはっはっは……。最初から我は負けておったか。これが我と達人の差か。されど」

 一度は刀を納めたかに見えた伏龍が、再度上段の構えを取った。剣気が漲り、先の一撃よりも溢れ出す。彩覚尼は箒を両の手に持ち、胸の前に構えた。鬼の形相が目に入る。形振りを捨てた意志が、そこにはあった。

「されど今一度届かせん! キエイリャアアアッッッ!!!」

 蛮声を轟かせ、踏み込んむ伏龍。その速さたるや、先の一撃にも勝る勢いであった。しかし。

「御奉仕」

 此度の彩覚尼は、冷静だった。まず箒を頭上に掲げ、一撃を受け止める。並の箒であれば当然、両断の憂き目だ。だが、皆伝を為した彼女のそれは、鉄仕込みであった。本山謹製の一品物は、斬鉄の豪剣さえも敵わぬ代物である。

 ぎゃりり、と嫌な引っ掻き音が響いた。左腕を下げ、剣を逸らす。その間に彩覚尼は右足を進め、次の一撃の布石を打つ。そして。

「御掃除!」

 決意の一声と同時に、左の腕《かいな》を前へと突き出した。その軌道は、まごうことなく伏龍の喉を指し。

「ごおっ……!」

 突き穿ち、終《つい》の一撃となった。


 ④
 伏龍は大の字に倒れ、それきりかなかった。死してはいないだろうが、しばらくは起き上がれまい。それだけの威力が、上位冥土の一撃にはあった。彩覚尼は呼吸を整える。血が引いていくと同時に、衝動に身を預けた己をも恥じていた。

「総領」

「彩様!」

「ご無事ですか!」

 ややあってから襖が開き、冥土たちが口々に叫んだ。皆が皆、焦燥に満ちた顔をしていた。彩覚尼は一旦目を閉じ、思考した。頭領ならぬ振る舞い故に心配をかけた者たちへは、どういう言葉が適切なのか。脳に血を巡らせ、答えを出した。

「私の未熟さ故に、皆に心配をかけたようですね。ですが」

 一度は頭を下げ、詫びる。しかしすぐに顔を上げ、笑顔を見せた。皆の顔が明るくなったのを、彩覚尼は己の目でしかと捉えた。

「私は無事です。傷一つございません。御奉仕は無用ゆえ、御掃除を済ませてしまいましょう」

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