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一刀命奪 #1

 強大なるガノン。南方蛮人の生まれでありながら戦神せんじんの寵愛を受け、戦士として、指揮官として、そして王として名を馳せた男。
 彼の築いた王国はほぼ一代のみの国でありながら壮健を誇り、黒河から白江に至るまでのあらゆる民を尽く、その威光によってひれ伏させた。
 これはそのガノンが、【赤髪の牙犬】、【大傭兵】などと呼ばれていた頃の物語である。

***

一刀命奪いっとうめいだつの剣だと」

 ヴァレチモア大陸西部。今や大いなる進撃を続けるダガンタ帝国軍の一翼を担う【赤き牙の傭兵団】は、想定外の小都市に苦戦を強いられていた。その原因は――

「はっ。かの町に住まう薬師が刃を振るうと、かすり傷であってもたちまちのうちに討ち死にするとのこと。兵が怯えて、街に踏み込めぬありさまに」
「ぬう」

 【赤き牙の傭兵団】団長にして強健なる【大傭兵】、時として【赤髪の牙犬】と呼ばれる男、かつては『ラーカンツのガノン』と名乗っていた男は、顎下に蓄えた髭をいまわしげに指で撫ぜた。
 軽装備――変哲もない鎧兜と剣に身を包み、二本の白牙を斜めに交えた紅地の旗を後方に従え、今は指揮所としての天幕テントにてどっかりと座り込んでいた。謳われる通りの赤髪は肩を越えて今日も蠢き、あいも変わらず火噴き山を思わせる色をしていた。

「団長」

 椅子の傍らに立つ壮年の男が、ただ一言のみ口を挟んだ。およそ戦の臭いが抜け切らぬこの場において、彼は戦装束にさえ身を包んでいない。あたかも付き人、家宰の如くに、ガノンに向けて南方豆を挽いた茶を注いでいた。

「わかっておる。だが」

 みなまで言うなと、ガノンは壮年へ視線を向けた。しかし、男に動きはない。ガノンの持つ、燻るような金色の目。どこか遠くを見据えているような目を前にしてなお、動じない。もしやこの家宰じみた男もまた、一廉の戦士ということなのであろうか。
 茶を注ぎ終えた男は一歩引き、常に身に着けている手袋を整えた。その時。否、ほとんど一瞬に限り、彼の目が鋭く光った錯覚を場の者どもは覚えた。しかし鋭さはすぐに消え、泰然と口を開く。

「長がその席を外し、仮に討たれた場合」
「わかっている」

 ガノンは、やや鬱陶しげに壮年の口を止めた。本人も重々承知していることは、場の誰もが認めるところである。しかし同時に、ガノンの足がうずいていることもまた、この場の誰もがわかっていた。

「おれた……我々は傭兵団だ。かつてのようなはぐれ者の集まりではない。一つの軍団だ。長が消えれば、すべてが崩れる」
「ならば」
「だが、兵を無駄に失うことはできない。彼らとて人間だ。おれが判断を誤れば、奴らはすぐに逃げ出すだろう」

 ガノンは、渋面を浮かべつつも壮年に抗弁する。場の者ども――一定以上の指揮官たち――もまた、同様にうなずいた。いかに小都市とはいえ、街道沿いの街である。下手に迂回しては、急襲や奇襲、非正規戦を仕掛けられる恐れもあった。

「大将。俺が行こうか」

 ここで一人、声を上げる者がいた。傭兵団のうち、遊撃隊の一隊を預かる男であった。タラコザ傭兵の上がりで、名をサーザンという。これまでにも幾度か功績を上げており、その腕前はみなが保証する冴えを持つ。刈り込まれた、湖を思わせるような青髪と、背丈よりも長い朱槍。そして顔の各所に刻まれた刺青いれずみが、彼の大きな特徴であった。

「サーザン。しかしおぬしは」
「あー、大丈夫だ大将。万一の時に備えて、次の隊長は決めている。むしろソイツを、少ない手数で倒すほうが大事なんじゃねえか?」
「……」

 言われてガノンは考え込む。他の面々も、各々の思考に没頭する。サーザンの口の叩き方には目に余るところがあったが、誰一人として口を挟まなかった。ガノンの鷹揚さと、サーザンが傭兵団の古株であることが、彼らをそうさせていた。

「……ダーシア」

 沈黙を見て取ったガノンは、少し待ってからかたわらの壮年に話を振った。この戦場にあるまじき服を身に着けた男は、それでも饒舌に口を開いた。そして天幕内の誰もが、それを止めようとしない。それもそのはず。このダーシアという壮年は、ガノンが自身で幕下、己の補佐へと迎え入れた男だった。

「たしかに兵の損失を避けるには、誰かが一騎打ちを挑むのが先決でしょう。サーザンどのは、非常に適任かと。しかし」
「しかし?」
「サーザンどのが仮に敗れた場合。あるいは敵手に対して敵わぬと判断された場合。もはや団の沽券として、団長が出る他になくなるかと」
「むう」

 最悪の場合を示されて、ガノンは小さく唸った。たしかに、己の足は戦の予感にうずいている。さりとてそれが軍の命運を分けるともなれば、軽挙妄動は避けたくもあった。それについて、先刻この壮年は示したはずなのだが。

「先の収穫祭にて、団の戦士が腕を競い合いましたな? 団長も、自ら腕を振るわれた」
「ああ。……。そういうことか」
「左様。サーザンどのと団長がついの勝負を行われ、団長が団長たるを示されました。故に」
「わかった。わかった」

 ガノンは二度言葉を続け、側近の言を遮った。そして、豆挽き茶を一息にあおった。この補佐は理詰めの上に、やや言葉が多い。しかし、だからこそ。ガノンは己の金で、彼を配下に迎えた。さもなくば、自身が武勇に任せて、すべてを放棄しかねぬからだ。傭兵団の運営とは、武勇のみではおいそれと行かぬものである。

***

 かくて翌朝、【赤き牙の傭兵団】は兵馬を連ねてかの街へと歩を進めた。街からはすでに、ほとんどの人が消えている。護るべきものなど、もはや皆無に見えた。

「総員、ここで止まれ。おれとサーザン、ダーシアの三人で街に入る」
「団長!」

 指示を下すと、すぐさま兵たちがざわつき始めた。いくらなんでも危険が過ぎると、直に訴え掛けてくる者までいた。しばしの間、陣が荒れる。すると。

「うるせえなあ……」

 街の方から、一人の男が現れた。風が砂を巻き上げるのにもいとわず、段平めいた剣を担いだ男が、ガノンたちに向けて進んで来たのだ。

「ゆ、弓隊」
「やめとけ。狙ったところで、奴さん強えぞ」

 慌てて指示を下そうとする隊長の一人を、サーザンが押し留める。この時点で、彼には敵手の強さが見えていた。

「アンタだな。噂の一刀命奪ってのは」
「その二つ名は知らんが、貴様らの軍勢を追い払っている者であれば、それは儂だ」

 段平の男は、ダーシアに似て壮年であった。異なるとすれば、ダーシアが白髪で男は黒髪。ダーシアが髪を短くまとめているとすれば、男は腰さえも越えるほどに伸ばしていた。白い布一枚を紐でまとめて身に着け、戦場に向かうとは思えぬ軽装で彼はこの場に現れた。

「爺さん。名乗りな。俺はサーザン。【赤き牙の傭兵団】で、遊撃隊の部隊長を張っている。格は低いが、腕じゃ二番目だ」
「マーサラザ。この街の薬師。避難できぬ民を守るため、幾年かぶりに剣を抱いた」

 サーザンが提げていた槍を構え、マーサラザが担いでいた段平を抜く。幾年かぶりという言葉とは裏腹に、使い込まれた艶が見受けられた。そして。

「おいおい。一刀命奪ってのは、そういう仕掛けかい」
「はてさて、なんのことやら」
「ふざけんな。ウチの団長が本気出した時ぐらいしか、そいつァ見たことねえぞ」

 黒髪男の全身が、にわかに光を帯びる。それだけで、サーザンは敵手がなんらかの祝福――神々の威光を、借り受けること――を得ていることを見切ったのだ。

「まあいい。団長に啖呵を切っちまった以上、一合も交えずに手は引けねえ。爺さん、一本勝負だ」
「良かろう。千の生命を斬り、千の生命を救った。その深淵を、見るがいい」

 両者の間に、砂混じりの生暖かい風が吹く。それが戦の、合図だった。

#2に続く

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