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賽の目は踊る(後編)

〈前編〉

 力強いガノンの言葉に、酒場の衆が色めき立った。

「おいおい、コイツは大勝負だぞ!」
「この身体なら、ラガダン金貨もありえる!」
「俺はこの蛮族が負けるところが見たい!」

 空気が変わる。流れが変わる。ガラリアの色に染まっていたはずの酒場の気配が、瞬く間にガノンのそれに変わっていく。しかしながら黒き淑女、【賽の目繰りのガラリア】は寸分たりとも態度を変えぬ。これまでのように挑発めいた口調を崩さず、極めて実直に対峙してみせた。

「たしかに。ラガダン金貨を出してもいいほどの身体だねえ」
「我が寄る辺、我が武器、我が誇りだからな。これを文明人に差し許すならば」
「そうだね。相応の額でなくてはならない。うん、機会は三度。三度の間にアタシのカラクリを破れなければ、旦那はアタシの思うまま、だ」
「いいだろう」

 ガノンが、椅子に座り直す。だが、酒場は未だにざわついていた。彼の肉体をもってしても、三度しか機会が得られぬ。その事実に、動揺しているのだ。だがガラリアは、朗々と皆に告げた。

「まあまあ。落ち着き給えよ皆の衆。あまりに機会が多くちゃ、興が醒めるだろう? 一度ではこの宝物が如き肉体には見合わないし、五度では醒めが近づく。だから三度を選んだ。無論その分、楽しい勝負を約束しよう」
「言ったな?」
「言ったよ。アタシは良き勝負をもたらす。皆はそいつを、酒の肴とするが良い」

 おおおっ。と、酒場がまたもどよめいた。しかしガノンは、またもそれらとは隔絶していた。いかなる仕掛けが、盤面のいずこに行われているのか。仮に賽の目大小で打ち勝ったとしても、三度の機会を不意にすれば一巻の終わりである。故に彼は、すべてに目を凝らさねばならなかった。

「では始めようか。アタシが先攻だ」

 ガラリアが手慣れた動きで骰子サイコロを取り、盆へと投げる。盆の中で骰子が踊り、やがて止まる。繰り出された目は「三」「四」「五」。合わせて十二。そこに手業の気配はない。やむをえず、ガノンは骰子を手に取った。無言のまま、無造作に盆へと投げる。その出目は「一」「三」「六」。合わせて十。またしても、ガノンは敗れた。

「あと二回、だね」

 ガラリアが、ガノンに微笑む。しかしガノンは、眉一つ動かさない。ただただ盤面を、ガラリアの顔をめつけている。その鋭き眼力は、常人ならば汗の一つでも流しそうなものであるが。

「……続けようか」

 そんなガノンに呆れたのだろうか。ガラリアは再び骰子を手に取り、投げた。骰子は盆の中を跳ね回り、やがて目を出す。「一」、「一」。そして「一」。その出目を示す太陽の象りが三つ躍り出た時、またしても観衆はどよめいた。

「凄え! また一揃えだ!」
「一体どうなってやがる!」
「これは蛮族も終わったな!」

 ガラリアの賽の目繰りに、酒場の空気は一瞬で湧き上がる。運命神さえも味方につけた女は悠然と微笑み、いよいよガノンは追い詰められたかに見えた。だが、その時!

「カアアアッッッ!!!」

 ガノンが突如立ち上がり、骨を震わせるが如きの蛮声を放った。安普請の酒場はミシミシと揺れ、全員の目が奇異な振る舞いに動いた蛮人へと向いた。しかしながら、聞くべき耳を持つ者は聞いた。なにかが割れたような、超自然の音を。そして、見るべき目を持つ者は、見た!

「なっ……!」

 おお、見よ。机上の光景が、様変わりしているではないか。変哲もなかったはずの盆には運命神を称える文様が彫り込まれており、賽の目は「一」「一」「二」へと変じている。これは一体、いかなることか?

「わかった、のかい?」

 音声に耳をやられたか、僅かに顔をひきつらせたガラリアが問う。しかしガノンは、黙して語らない。それどころか、興味を失ったかのように彼女に背を向けた。

「わかったのか、と……」
「そこまで」

 なおも詰めようとするガラリアに、第三の声が割って入った。それは先刻、骰子の見分をした遊び人が内の一人。なぜ気付けなかったのかと戸惑うほどに、安酒場には似合わぬ正装に身を包んでいた。紳士然とした、初老の男である。

「蛮人どのも、座られよ。このままでは、酒場の皆々様も納得されぬでしょう」
「ガノン。ラーカンツのガノンだ」
「失礼。ガノンどのも、一度、席に」
「……」

 のしのしと歩いて、ガノンが席に戻る。それを確認してから、正装の男は口を開いた。

「勘、でござろう」
「そうだ。盤面にも骰子にも、特段の仕込みが見えぬ。ならば、とな」
「なるほど。置かれている場、そのものを疑う。見事な喝破でございました」

 そう言うと男は、紳士の礼を取る。およそ、蛮人に行う振る舞いではなかった。しかし今の酒場に、それを咎める者はいなかった。すべての空気が、ガノンたちに掻っ攫われていたからである。

「さて。一部始終、すべて真実を見ていたそれがしから述べましょう。此度の仕掛けは……」
「いや。筋からしても、アタシからだよ」

 語らんとする正装の男を、ガラリアが押し止める。すると紳士は、素直に退いた。

「アタシが仕掛けたのは、一種の幻術だ。話術や大手業――旦那に見せた、最初の芸当だよ――で相手を引き込み、後の本番じゃあちょこちょこと運命神に助けてもらう。とはいえ、全部が全部幻じゃあタネが割れる。だから、アタシの腕前自体も七分はあるよ。【賽の目繰り】という名には、ちょっと弱いかもだけどね」

 ほう……と、酒場のそこかしこから声が漏れた。そのほとんどは、遊び人と思しき連中だった。彼らは荒野や街を渡り歩き、賭博に興じてはその稼ぎで糧を得る、いわば漂泊者。国に拠らず、己が蓄えと英知、そして鍛え上げた業で生き残る者どもである。ガノンの行く道とは近しくもあり、また決定的に遠くもある者どもだった。

「旦那のナリからいって、おそらく、常の旦那だったら捕まえられなかっただろうね。金を得て酒をやり、気が大きくなっている。そんな様子だったから、仕掛けられたんだ」

 後ちょっとだったんだけどねえ。そう言って、ガラリアは椅子に背を預けた。これまでに得た金も、先程勝ち取った剣も、無造作に彼女の近くへと置かれている。しかしガノンは剣だけを掴み、酒場の主に問うた。

「店主よ、飲み代はいくらだ」
「へ、へい」

 店主が慌てて彼の飲み代を弾き出すと、ガノンは先刻奪われた布袋ぬのぶくろから、数枚の貨幣を差し出した。

「え、ええんで?」
「元はおれの金だ。そしておれは勝った。後はわかるな」
「へ、へい」

 店主はコクコクとうなずき、己のあるべき場所へと戻った。それを確認すると、今度こそガノンは立ち上がり、ガラリアに背を向けた。

「後は好きにしろ」

 それだけを言い残して、蛮人の男は酒場を去って行った。

***

 朝焼けの中を、ガアガアと鳥どもが喚いている。未だ早朝なれど、ガノンの朝は早かった。彼は常の通りに半裸に下穿き、剣を背に括り付け、粗末な靴を履いている。僅かばかりの旅支度は、腰回りに括られていた。人混みの中であろうと、一目でわかりそうな出で立ちである。彼は今、荒野へと戻らんとし……

「戦士の旦那……いや、ガノンどの」

 艷やかな声によって止められた。

「なんだ」

 ガノンが声のした方角を見る。するとそこには昨夜の黒装束ではなく、すっかり旅支度を整えたガラリアが立っていた。ある意味で派手な出で立ちはどこへやら。外套を頭からすっぽりと被り、一目ではそうとわからぬ格好となっていた。

「『好きにしろ』と言われたのでね。ああもタネが割れては、しばらくは稼ぎにも困る。他の遊び人にも目を付けられる。だったら」
「勝敗にかこつけて、おれをよすがにしようという魂胆か」
「ご明察。やはり常のアンタには勝てそうにない」

 ガラリアは、極めて真剣にそうのたまう。しかしガノンはただただ背を向けて。

「好きにしろ」

 それだけを言い残し、荒野への一歩を歩み出した。

賽の目は踊る・完

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