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子どもっぽい話注意!

ハローハロー。ハローワールド。南雲や。今俺は明日の分の文章を先出しで書いとる。

なんでやって?
今吐き出さんと、朝には忘れかねんのや。

いやな。もしかすると、俺が本能的に他人の下に付いてまうのって。幼少期のある事が原因やったんかなって。実にしょうもないから耳かっぽじってよーく聞いとくれな。

「ファミコン・スーファミを旬の時期に買って貰えへんかった」

「しょうもないな。言いがかりだろ」
「まあそう言うなって」
~通りすがりの人々~

ちなみに昨日太字まで書いといて今は朝やから、寝ぼけてもおらんで。今思えばホンマにしょうもないけど、当時の俺を思えば案外おかしくもなさそうでな? 仮説にはなると思うたんや。


子どもの世界のヒエラルキー

子どもの世界いうか小学生男子の世界って評価基準がほぼ定まっとるやん?
①運動ができるか(サッカー、野球が上位やな)
②勉強ができるか(ただし出○杉のように顔が良い方が更に強い)

少なくとも俺の世代(90年代中盤)はそうだったんや。だが、ファミコンスーファミの登場はここに3つ目を叩き込んだ。

③ゲーム機持ってる?(要は50年代あたりのテレビの構図やろか)

ポ○モンの登場が通信ケーブルの有無をヒエラルキーに持ち込んだように、その前でもこの評価基準が持ち込まれてたはずなんや。同世代は思い出しとくれ。ゲーム機のある家が遊び場になること多くなかったか?

こういうことを思い出した途端。変にピースが繋がったんや。

何度か駄々をこねた記憶もある。
友人になかなかやらせてもらえずに指をくわえてた記憶もある。

もしかしたら。もしかしたら……。『親は俺のわがままを聞いてくれない』、『なにかを買うには許可をもらわないといけない』『ゲームをやらせてもらうためには友人の機嫌を取った方がいいのかもしれない』。そんな偏った考え方を当時の俺がうすうす感じ取った可能性がある。まさか、とは思うんやけどね……。

ただ、無断で物を買ったことが今に至るまで少ないのと。対等と言える人間関係が殆どないのと。もしかしたら、その思考の根っこは。こんな些細なことやったのかもしれん。そんなふうに突然昨日は思ったんや。

ただ。今はもうちぃと自由で。許可さえ取れれば旅行にも行けるようにもなった。ゲーム機だって旬とは行かないまでも何個か手に入れたこともある。同世代と噛み合わん、別方向に行っている自分に、自分が勝手な劣等感を持っているだけ。なんも考えずにさらけ出せば。もしかしたら対等な仲間が得られるかもしれへん。

そんな思考の記録をさらけ出して、今日は終わるで。またな。


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